Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site 

https://michika-6.wixsite.com/michiyokamei

ジョーズとボヘミアンラプソディ

2021年07月03日 23時40分34秒 | 映画

とにかく映画が好きで、それが唯一の娯楽というか趣味というか。
テレビで放映される映画を録画しておいて、
昼ご飯食べながら見ます。

画像は「ジョーズ」のオープニング。
このスピルバーグの「ジョーズ」(Jaws 1975 米. Steven Spielberg)
子供の頃、父と弟と一緒に映画館で見た。
で、良くあることだけど、最近見てドはまりました。



これはサメのパニック映画というより、3人の人間の話だと思います。
絵に描いたような学者、漁師、警官
全く異なるキャラの3人が力を合わせるというのが、
何より見どころなのだと今更気がつきました。

フーパーは若い海洋学者。
サメの知識も豊富だし、最新の機器を持っている。
でも経験が浅くて力も弱いのか、ビックリするとすぐに何でも落としちゃう。

真反対の漁師クイントは、素手でサメと格闘するような肉体派。
でもそれには理由があって、インディアナポリスの乗組員だったという凄すぎる過去。
インディアナポリスの乗組員だなんて子供の頃に聞いても、分かるはずもなく。
でも今なら分かります。この人にどんな悲劇があったのか。
分からない人はニコラス・ケイジ主演の「パシフィック・ウォー」(2016 米)を観て下さい。
日本人なら観といていいかも。

二人はサメのプロだけど一人ド素人の警官、ブロディは海が似合わない。
拳銃の構え方もニューヨークポリス的だし、どこか島を見下してる感じがする。
で、すぐに無線で応援を呼ぶからクイントに叱られ、無線機をたたき壊されたりして
そのドサクサに逆ギレする姿が笑えます。

サメ以前に学者と漁師の小競り合いが最高に面白く、
間に挟まれるニューヨークポリスも自然とキャラが立つ。
「3」という数字は本当に示唆深い。
人間が巨大な化け物に立ち向かうには知恵(学者)と体力(漁師)、
そしてそのどちらでもない「第3の要素」も必要なんじゃないの?という
そんな問いかけを感じたりして…




最近は「ボヘミアンラプソディ」も放映されて
フレディ・マーキュリーって実際どんな顔だっけ?と思うほど
ラミ・マレックの顔が印象深い。濃い。

「友」とは何だ?「友」を持て!とたたみかけられつつ
ライブエイドに向かう展開には、やはり涙。そしてブワッと力涌いてきて
よーし、やるぞ~!!
でもすぐに疲れちゃう。私にとっての「第3の要素」は何でしょうね。
あと、私、友いるっけ?なんてはっとしたりして(笑)
映画は最高です。

Bohemian Rhapsody (2018 英・米.Bryan Singer)
エビぞるフレディ・マーキュリー


「ノマドランド」観ました。

2021年05月06日 19時21分03秒 | 映画

久しぶりに映画館で映画を観ました。
「ノマドランド」。
これは3月の人人展の時に、是非見た方が良いよ、と
お客さまがチラシを下さって気になっていた映画です。

展覧会の後、4月はいろいろなことがあって
たった1ヶ月で何ヶ月分もの重みがのしかかった。
これは私の人生にとって笑えない重大な1ヶ月だったと思う。
(コロナではないですよ)
まぁ何とか耐え忍んでその嵐が去った時、映画館に駆け込んでいた。
「ノマドランド」を奨めてくれた人は私にとっては預言者だ。


家を持たない漠とした人々の繋がりを
何の前知識も持たずに見たが、
最後のエンドロールを眺めながら、
登場人物名と俳優名が同じ人が多いことに、あれ?って思った。

帰宅して調べたら
これはドキュメンタリー映画ではないですか!!(笑)
米国に増えている高齢の白人「ノマド」。
彼らは家を持たずにキャンピングカーで生活をしている。
その米国の社会的、経済的な背景を知ってひっぱたかれた気がしました。

★ひっぱたかれたい人、まずは観て下さい。
ノマドランド

★現在、山梨県の甲府・シュミヤ・アート・ウインドーで展示中の
亀井三千代展「トーテム=団結の装置」のインタビューは続いています。
是非ご覧ください→ インタビュー


「地獄の黙示録」ドローイング

2021年03月01日 09時24分34秒 | 映画

このコロナ禍で、録画した映画を観る機会が以前より増す。

先日は「地獄の黙示録」のファイナルカット版を観ました。
ジャングルのシーンがとても美しいので、ドローイングを始めることにした。
こんなに映画観るなら描きながら見る方がいい。

「地獄の黙示録」は子供の頃に父に映画館に連れて行かれて、一緒に観た。
まぁチンプンカンプンだったわけです。
ベトコンが何かを知った今なら味わえる。そしてこれは河川版のロードムービーだと思います。
映像がめちゃくちゃ美しい、のだけれど美しさの中に狂気と残酷さが潜んでいて
それを意識しながら観る。自分が安全な場所に居ることを確認しながら、です。



その前に観た戦争映画でもちょっと引っかかったことがある。
『ハクソー・リッジ』(Hacksaw Ridge, 2016米)
これは第2次世界大戦の沖縄戦で、多くの兵士を救った米軍・衛生兵の実話。ストーリーはその人物の子供時代から描かれます。
まぁそれはいいとして、問題は私自身にあります。
後半の残虐な沖縄戦のシーンでは、何故か米軍側の立場にいる自分に気づきました。
日本兵が敵に見える、何故でしょうか?ありえないことです。
これが刷り込みなのだと気づき、恐ろしくなりました。
私は日本人なので、日本兵が殺害されるシーンは当然耐えらないはずなのに
米軍の主人公に感情移入し、米軍の応援をしてしまっている。

これには主人公のルックス、せりふ、子供時代からのエピソードなど多くの情報が
作用していると思います。
そしてこんなことが日常にもあるのだと思う。
広告・宣伝、うわさ話、陰口。自分にバイアスを駆けないことに一苦労です。
生きることは本当に戦いだと思う。
人間は人間を操作したい生き物でしょうか?
そのバイアスから逃れることはできないのでしょうか?
操り人形のようにならないためには、常に疑い考える必要があり、それが唯一の武器かもしれません。
でもまぁそんなことしてたら、日本の社会では嫌われますね。疲れるし。
逆に楽して生きたいなら、操られていれば良いのかもしれません。
そういう人には日本は優しい国だと思います。どっちがいいかな?

優れた映画は、観る体験を通していろんな事を教えてくれますが、
かといって次に気になるのは、放送スケジュールに何らかのバイアスがかかっていないか、です。
(以前より戦争映画の放送が増えた気がするのは気のせいか…)


ホラー映画で猛暑をやり過ごす

2020年09月01日 09時04分45秒 | 映画

人人展の打ち合わせで何人かの作家に電話をかけたが、
「お元気でしたか?」
「暑い」

「ご無沙汰をしています」
「暑い」

もう「暑い」しか出てこない。
でも今日、9月に入ったら突然涼しい。
8月中は旧作に加筆したりうちわを作ったりしながら猛暑をやり過ごした。

うちわは平面だけどある意味立体
表と裏に絵が入れられるのも楽しい。
今年は龍に挑戦したが難しかった~(@_@;)

もうめちゃくちゃ(笑)





この夏は、録画していた「死霊館」「死霊館エンフィールド事件」を見てはまり、
その後 アナベル人形シリーズ のDVDを借りまくってやり過ごした。
もともとホラーは好きだけれど、こんなにはまるのは久しぶり。
暑すぎるので、これくらいの刺激でないと感じなくなっているんだと思う。

映画では、闇に潜む実態が良くわからない(けど何かいる)ので、
巻き戻して何度も見るがやはりわからない。
それを何度かやってるうちに、私の目が悪いのではなくて
分からないように撮っているのだとやっとわかる(笑)。
目をこらしても見えないほど闇の感じが深い、これはホントに恐怖だなって思った。
絵の世界に置き換えると「分からないように描いて見手に想像させる」
とかそういう陳腐な言葉になるのかもしれないけど
だんだんと「想像させる」ことが目的になり、作品自体が仕掛け化してつまらなくなっていくのはよくあること。
やはり描くからには自分も作品に仕掛けられたいと思う。
作家が何かを仕掛ける主体ではなく、作家自身もまんまと作品に仕掛けられているのがいい。





死霊館シリーズは実話がもとになっていることが怖さのポイントだと思う。
伝承や回想っぽいところに妙なリアリティがある。
そういえば私の邦画ホラーのNo.1は渥美清が金田一をやる「八つ墓村」(1977、野村芳太郎監督)。
これは本当に怖い。
ホラー映画を借りるとき、パッケージの説明なんかをよく読んで借りても
結局がっかりすることが多い。
仕掛けに焦点を当ててしまうと、仕掛け自体をエスカレートさせていくしかなく、
それがつまらなさに繋がる。人間は刺激に慣れてしまうのだ。
怖さのリアリティは全く別のところにあると思う。
絵も同じかな、なんて思いつつ猛暑をやり過ごす。

アナベル人形、怖いんだけど時々可愛く見える瞬間がある。
私は異常かもしれません。



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亀井三千代HP


Melancholia , Antichrist / Lars von Trier

2018年11月09日 18時12分50秒 | 映画

ラース・フォン・トリアー 監督の映画作品は娯楽を超えてアートだと思う。

トリアー作品を初めて見たのはビョークが主演した
「Dancer in the Dark」だった。
この時はまだ監督のことは眼中になく
ただビョークの主演するミュージカルだという
友人に半ばだまされて(笑)映画館にのこのこついていった。

ミュージカルなのに超シリアス、まるで何かの事件に遭遇したかのように
身体が激しく硬直したのを覚えているー悪夢!!
早くその状態から解放されたかった。

死刑シーンまで加速するストーリーとビョークの歌声が圧巻で
泣きっぱなしで鼻かんだりして
終わってあかりがついたとたんに友人から

「亀井、顔にティッシュついてる」

と突っ込まれたりして…


他のトリアー作品を観ても、私の身体は必ず硬直。
やはり悪夢を見ているようで、早く解放されたいと願いながら
でもその映像の、怖いほどの美しさと、深く深く進行していくストーリーにのみこまれてしまう。
生きているということは、素晴らしくて、そしてどうにもならないほど恐ろしいことなのだ。

「Nymphomaniac: Vol. I,Ⅱ」はツタヤで借りたけど、
レンタルすると返却しなくてはならない、というのがもうストレスで
だからしばらくツタヤに行かなくなり、カードも期限が切れていた。
先日久しぶりに更新。「Melancholia」と「Antichrist」を借り、そしてまたもや金縛り(゜Д゜;)

こんな絵が描けたら…と願いながら。
予告はこちらから↓ よろしければ是非作品を観てください。
注:どの映画も後味悪いし体力使うので、元気な時にどうぞ。

Melancholia : youtube →惑星メランコリアが地球に突っ込む話し。2章仕立てで後半の不安の煽り方がもの凄い。ワーグナーなりっぱなし。
Antichrist →子供を亡くした夫婦が森に入り問答を繰り返す。手に負えない自然が人の狂気をエスカレートさせていく。人間のどこまでが野生なのか。


雪の日、ノスタルジア

2018年01月23日 08時50分16秒 | 映画


タルコフスキーの名作「ノスタルジア」(Nostalghia 1983 伊・露)

20代の頃ビデオを借りて見た。
途中、猛烈な眠気に襲われて うとうと
目が覚めて進展してない感じなので、また うとうと
でもってまた目が覚めて、これさっきと同じシーンじゃん!!(@_@;)!!
それを幾度も繰り返す、現実的には悪夢だった。

作家の友人には、この「ノスタルジア」信奉者が多く
寝てしまったことを不覚に思っていたが
じゃぁもう一度借りて見るかというと、それほどでもなかった
それがついにテレビで放映されたので録画した。



★このシーン、人形の服の中から鳥が飛び出すシーンを記憶違いしていました。
妊娠している女性のロングスカートの中から無数の鳥が飛び立つシーンとして長年記憶していたのですね。
どうしてこんな記憶違いをしていたのでしょうか…

で、見てみた。寒いと思ったら外は雪。
ノスタルジアに持ってこいなムードで、

映像美は理解できました。詩ですね、詩!!

でも途中やっぱり退屈になっちゃって
ドローイングしながら見てしまったら、
結局テレビの画面見るたびに、え?これさっきと同じシーンじゃん!!ってなって
ちっとも代わりばえのしない自分にがっかりしました。

ドローイングする元気もないときに、ぼーっとその映像美を堪能するならいいかも。
でもそんな時は結局寝ちゃうんだろうなぁ。





ノスタルジア見ながらのドローイング。ドローイング楽しかった。


シャーマニズム VOL.2

2017年11月06日 08時06分34秒 | 映画

すごく良い映画見た。
『彷徨える河』http://samayoerukawa.com/ 
(『El abrazo de la serpiente』Ciro Guerra 2015/コロンビア・ベネズエラ合作)

『彷徨える河』公式サイトより 上:絵を描くおじいさんのカラマカテ 下:青年のカラマカテ

ジャングル映画なのにモノクロ??というのが見始めの印象だった。
ぎらついたジャングルをカラー映像で見たいなぁ、と思ったのですが
これはモノクロでなくては繋がらない複雑なストーリーだと納得。
層状になった回想と現実、夢が同一平面上に置かれていて
時間の進行もらせん状。
そこが大事なところなので、カラーだと色が邪魔になるかもしれません。

モノクロの画面(絵でも)を見て、
「モノクロの中に色を感じる」
とか
「色を想像させる」とかよく言われるけれども、
私はモノクロはモノクロだと思う。
おそらく、カラーのものとは見え方(仕組み)も記憶のされ方も違うのではないだろうか。

それに、経験としてもモノクロ映像はカラー映像に置き換えられて記憶には決して残らない。
常に光の世界で、色つきで生活している中でモノクロの世界は明らかな異物なのだと思う。
色を取り去ることは異常なことだと、この映画を観て学びました。
つまり、モノクロにするには、そうする理由が重要になるわけです。

ストーリーは摩訶不思議、複雑すぎてここでは書けない。
公式HPを参考にしてください。
ジャングルなんて恐ろしいところで生きるには
自然の規律に従うしかないのでしょうが、
彼らが神と呼ぶのはやはり実体はなくて、ここでは規律そのもの。
神という自然の規律を守りながら生き、破れば即、死。
私たち日本人は欧米人よりはまだ、自然の中に神を見ることができるかもしれません。
カラマカテは自然の規律を知るもの=神と交信できる者
絵も描きます。かっこいい❤(ふと、好きになちゃってます(^_^;)

是非観て下さい。(DVD出ています)


ヒーローは要らない

2016年11月22日 08時30分23秒 | 映画


カリンが届く
一気に部屋中が良い香りに包まれた。

ほっとします。

匂いは目に見えず、感じるたぐいのものだけど
「護られてるな私、良かった~( ̄。 ̄;)」としみじみ。

実は、最近TVで横溝正史原作の映画が立て続けに放送されたのを
録画したので、
先日の夜、飲みながら一人で観た。

渥美清が金田一をやっている昭和52年の作品
怖くてタイトル入力できません!!

後半、「怖ぇ~…」と思いながら観ていたら、
隣の部屋でスリープさせておいたパソコンが急に立ち上がったり
キッチンのあたりでパチ、パチっと変な音がした、したよね? 今してるよね!!((((;゜ロ゜))))
それがしばらく続いたり。
腰が抜けました!

冷静に、
キッチンの音はきっと冷蔵庫が氷を作ろうとしているのだ、とか
パソコンは、ちょっとわかんないけど、あるある こういうこと、と流したが
いやな感じが続いていたので
カリンがとても有難かったわけです。





私は、
祟りやその類いの伝承話しは「迷信」ではなく「有り」だと思っている。
人間の世界だから有り、なのだ。
人は、気持ちと視覚が結びついて、実体のないものに「何か」を見てしまう。
そんなものにすっぽり支配されたり、逆に利用したりもする。
思い込み、と言えばそれまでだけど、
その思い込みで以て、綿々と人類の歴史は続いているのではないだろうか?

絵を描いているとつくづく思う

絵画の世界もそれらに限りなく近いと。

だから容易に「持ってかれないように」したい。
映画から学ぶことは多いが、それは
疑似体験という警鐘なのかもしれません。






ところで この映画では、
渥美清の金田一がとても良かった。
服装が普通だし(笑)

これを見たら、もう他の金田一が見られません。

定番の帽子、袴、マントとボサボサの髪型とか
あまりの現実離れに どん引きです。

そんなありえないヒーローの目線でストーリーを展開させられることに
もはや耐えられない、そんな自分を知りました。
ヒーローなんて要りません
好きに見させて下さい。


「オデッセイ」考2

2016年08月12日 20時50分52秒 | 映画


見事な擬態、と言いたいけれど育ちすぎ!!笑
わかりますか?
枝よりもはるかにぶっとい
食欲旺盛な我が家の クワエダシャク

とはいえやはり気がつかず、枝かと思って持っちゃった(@_@;)
ぐにゃっ!ときて初めて気がついた
ずいぶん葉っぱをやられました。





ところで、
前回の続き
悪役の出てこないSF映画「オデッセイ」で
登場人物が全員能力の高いエキスパートで、力を合わせて目標を達成するが
美術・芸術はどうか、というところだった。
映画のストーリーが壮大なので、こちらも壮大に考えてみた。

「美術・芸術は人類から必要とされているか」
という問いを立て次に
「絵を描いている私は人類から必要とされているか」
と問うてみる。
全く必要とはされていませんね・笑

必要とされるには、何かに貢献するしかない。
それには、自分が何に貢献できるか考え行動するしかない。
大きく構えすぎかもしれないが、
この貢献は人類に対する貢献であって
社会貢献とは違うものでありたい。

新しい視点、見過ごされているもの、
今の常識に対する異議申立
それが単なるエゴを超えれば
必ず共感・協力を得ると思うのだが甘いだろうか。

そして思うに、全員にその気概があれば
(せこい下心なしに)

足を引っ張りあってる暇はないだろう。
そして、自分ができないことをやっている
同じ志の人と組むのだな~んて
ありえないのでしょうけど、諦めませんよ。





ところで、先ほどの問い
「美術・芸術は人類から必要とされているか」と日本人に問えば
ほとんどの日本人はYesと答えるだろう。
じゃあ
「美術・芸術はあなたにとって必要か」と問うならばどうだろう?
もちろんそこには「どのように必要か」という問いも含まれている。
そしてそれが

「哲学はあなたにとって必要か」という問いに
置き換えることが可能なことを
どれだけの人が了解してくれるだろうか。

(理屈っぽくて疲れるので、続く)


「オデッセイ」考1

2016年08月03日 18時20分59秒 | 映画


座の会の後半、夏風邪を引いて微熱が下がらず
終わってからもしばらくは体調不良が尾を引いていた。

また、終わって早々に座の会の会合があり
結局会合というものは、声の大きい人が勝つわけで
そこに割って入るには相応の声で喋らなければならず
またまた翌日から具合が悪くなる。

暑いし、しんどい。

描いていないと ますますしんどいので
制作の合間、地味に残暑見舞いのカードを作ったりしている。

また、展覧会後の楽しみの一つ、DVDを借りて映画三昧の日々。
「オデッセイ」観ました。
原題は「THE MARTIAN」2015米

悪役が出てこない。
「ゼロ・グラビティ」も同じだった。
善悪の戦いではなくて、孤独や自分との戦い。
何だか良い時代になってきたと思った。

スポ根もの、ライバルと闘うとか相手に打ち勝つとか、
人をおとしめるとか勧善懲悪とか、きっともう古いのだ。
そんな古い図式が、無駄に人の根性をねじ曲げたり
情熱を削いだりするのだ。
共通の目的を持つなら悪者はいらないのに。

ただし、これらの映画に共通する点はもう一つ、
優秀な人間しか出てこない・笑
宇宙物理学の天才だとか、各分野のエキスパートしか登場しないので
人間のレベルが高すぎる。
好きなことや研究に没頭できる恵まれた人は
その全能力を他者との共通の目的、大いなる任務に使うことが喜びなので
仲間を助けるとか、協力することしか考えていない。
人をおとしめるのは自分の首をしめることと同じなのだ。

絵画はどうなんだろう。
美術や芸術は?

(続く)