Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site 

https://michika-6.wixsite.com/michiyokamei

画室の大惨事

2016年12月30日 08時44分35秒 | 日記


ドローイングは楽しい❤

忘年会も終わり、やっと制作の時間がとれるようになった、
と思ったら、年末の大掃除やらがはじまってしまう。

少しモノを捨てて
空間を作ろう。

先日、たっぷり水の入った筆洗を 思いっきりひっくり返した。
大量の水が床に溜まり どうしよう!
呆然 としている場合でないので身の回りの雑巾をかき集め
水たまりに被せた。
すぐに水を吸ったので洗面所に絞りに行くとき
足が墨の入っている絵皿を蹴飛ばした。

((((゜Д゜;))))!!
となって飛び散る墨を拭く最中に
今度は絵皿を並べた板をひっくり返した。
凄い音をたてて絵皿と岩絵の具が方々に飛び
服まで絵の具だらけになった!
最初の水たまりがまだおさまっていないというのに…

災いが次から次へと連鎖して、玉突き事故のようになり
画室が無茶苦茶になっていた。
漫画のようだが本当に起こったことだ。

連鎖は瞬時に起きているので防ぎようもない。
でも後になって冷静に考えてみたら、
一番の原因はおそらく最初の水たまり。

「水が下の家の天井に伝わる」

天井にシミがみるみる広がる図を
妄想で垣間見たのだ。

そこであまりにも慌てたので、周りが見えなくなった。

周りが見えずに妄想が見えるって良くない。
何とかしたいです…


蚤の市@ポルトリブレ新宿2丁目

2016年12月25日 14時04分29秒 | 日記


歳末蚤の市で見つけた開運湯飲み
何度見ても、一瞬「カワウソ」って読めてしまうのは何でだろう…


何の模様だかよくわからない。
これで400円でした(^_^;

肩に何かのっかってんじゃないかと思うほどの肩こりで具合が悪く、
厄払いのつもりで買った。
この日、鍼灸にも行こうと思って出先から電話をかけたら
休みだった。
おそらくは「耐えろ」もしくは「自分で何とかしろ」という指令だ。

先日、一瞬だけ凄く調子の良い日があった。
とにかく制作のプランがバンバン浮かんで、
この調子でいったらもの凄いことになっちゃうんじゃないのぉ?
みたいな感じだったが、浮かびすぎて妄想だけして1日が終わった。

それがたったの1日だけで、そのあと肩こり責めが続いている。

ただ、調子はちょっとだけ悪い方が良いような気がする。
力や勢いで描かないし、適度に休憩を入れるしかないし。
些細な事に敏感に反応できるし(敏感にムカついたり・笑)
で、それが拒絶に繋がっても、
まぁ自分を許そうかな、と思えるし(許さないとキツイので)。

クリスマスはどってことなく終わり
ジュエルオーキッドはやっと開花の気配

なんっじゃこりゃぁぁ


下の方の花から咲き始めています。

歳末蚤の市は新宿2丁目のポルトリブレ、年始も続きます。

障害福祉施設「まあるい広場」さん作成のエコ封筒もあります。
これが大好きで、毎年沢山買います。

写真を撮り忘れて残念ですが、
他にもアフリカっぽい置物、仏像、絵画や古本、わけの分からないモノたち、
そうそう猫のコーナーもありました。
珍品お宝が満載です。是非お立ち寄りください。

ポルトリブレ
『ポルトリブレ年末・年始蚤の市』
年末:2016年12月19日(月)~28日(水) 13:00~20:00 ※最終日も20:00まで
年始:2017年1月8日(日)~15日(日) 13:00~20:00 ※最終日も20:00まで

 


ExtrART エクストラート FILE 11 身体について語りました。

2016年12月20日 07時34分25秒 | 日記



雑誌取材を受けました。
『ExtrART エクストラート  FILE  11』アトリエサード/書苑新社
P28 ~P37 まで、10ページに渡ってご紹介いただいています。

丁寧に取材して下さったのは志賀信夫さん。

インタビュー10項目に長々とお答えしたものを
内容を変えずに、読みやすくまとめていただき、誠に感謝しております。

内容は幼少期から、何故絵を描くようになったか、
医科歯科大との出合い、現在取り組んでいる解剖図と春画のモチーフに関して
そして私なりの身体論、エロティシズム論を述べさせていただきました。
要するに、私のつたない半生と絵画論を、志賀さんの取材に基づき語らせていただいた次第です。



雑誌のサイズはA4版で図版も文字もゆったりと読みやすいです。

是非ともご覧ください。
宜しくお願い申し上げます。

★ ExtrART  FILE  11


ゴーギャン、井上洋介、ボルタンスキー

2016年12月19日 09時32分00秒 | おすすめ展覧会


とある友人、というか尊敬する作家さんとの恒例の展覧会めぐり。

ボルタンスキーで合流するが、その前に
個人的に見たかった「ゴッホとゴーギャン展」と「井上洋介展」を見る。

「ゴッホとゴーギャン展」はゴーギャンがとても良かった。
西洋的遠近法破壊への命がけの苦闘と言いたい。
そのための、不思議で意図的な1本の線、置かなくてはならなかったのだろう色面
慎重で隙のない画面…筆致に見とれてしばらく動けませんでした。
風景に溶け込み、描き手を無視するように描かれていた人物像は
タヒチに入ってからは、こちらを睨む挑戦的な視線に変わった。

私は、タヒチに行く前の作品が好きだ。

川辺で遊ぶ少年、鵞鳥と農婦、牧歌的なテーマに苦戦の跡を見たんです。

しばらく都美館でゴーギャンに見とれてから
次なる渋谷、アツコバルーという画廊に向かう。
かつて人人展にも出展したことのある故井上洋介 氏の個展を見る。

(撮影OKとのことで)








ジャン・ドュビュッフェ的な画面に圧倒される。
画面は厚塗り、黒い線でしっかりと描かれた裸で丸坊主な人間群像
エロティシズムとユーモア…めちゃくちゃ自由です。

ただし、画面のエネルギーが強すぎて、落ち着いて鑑賞できない。
気が散るというか。
数が減ってもいいので
もう少し作品の間に隙間が欲しかった、というのが正直な感想です。

そして目黒へ。





いよいよボルタンスキー「アニミタスーさざめく亡霊たち」を体験しました。

ホロコーストを根っこに持つ作家の展示は
人間という幽霊が主役かもしれません。

目黒の庭園美術館 は建物自体が素晴らしい。
1階、各部屋にはセンサーによる音声のインスタレーション。
反響の仕方が部屋によって違う。
亡霊?たちの会話 にもならない「つぶやき」が
気になるでも無く重複して聞こえ、だけど素晴らしい調度品鑑賞の邪魔にはならない。

アネックスのインスタレーションは
作品の中に潜り込む、草の匂い、風鈴の音、そして映像
五感にビンビンくる作品。
特に匂いは強烈な印象を残しました。

ボルタンスキーの作品は、昨年の越後妻有トリエンナーレでも見ることができた。
その展示が良い、と勧めてくれた とある知り合いが
目黒の会場に居たような気がした。
その人は、既に亡くなった作家さんのパートナー。

まるで霊に導かれたような、ちょっと怖い感じになってしまって
だから声はかけなかった。





私は幽霊に実体があるとは思わないけど
縁という繋がりはあると思う。
不思議な縁を霊と感じることがあるのだと、信じたい
信じたいが…


3週間ほど上海の恩師が帰国していた。
度々ご飯をうちで食べたりした。

今までも、恩師が帰国するたびに左肩が痛くなる。
恩師は、中国の霊媒師に「オニ」(日本では幽霊のこと)を持っていると言われ
何度か除霊はしたそうだが、私はまだちょっと変だと思う。
今回は左から始まり、極めつけに右肩まで激痛になり
首が動かなくなってしまいました。
文字通り 首が回らない(笑)


 

ボルタンスキー@目黒庭園美術館 ~12月25日まで

井上洋介展@アツコバルー ~12月25日まで
21日にはイベントも。
◉2016年12月21日(水) 19:00~21:00 ¥1000 (1drink付)
『こんなにすごい画家がいた!井上洋介さんのこと』
桑原茂夫(詩人・アリス研究家)×土井章史(絵本編集者・トムズボックス主宰)

是非ご覧ください。


神ではない。

2016年12月13日 09時31分22秒 | 日記


墨で描いていると、
能動的に「描く」、というよりも
水の動きや染みこみに合わせて、自然に絵が出来てくる。
かといって、私は受動的な存在というわけでもない。
絵とのやりとりは、受動と能動の混じり合ったその中間だと思う。

よく、何かが自分に降りてきて「自分ではない何者か(神?)に描かされているのだ!」とか言う人いるけど
その場面に出くわすたびに、違うんだよなぁ~(ずるい!)って思う。

そんなふうに言葉にする方が神秘的に思えるし
素直な人はひっかかるのかもしれませんが
そもそもこの世界は、言葉にするなら受動と能動が混じり合い
分かつことのできない状態じゃんか!と思う。

人は言葉に惑わされて、
私は受動なのか、能動なのか、
凡庸なのか、非凡なのか、…などと自分を定義したがるが
よくよく日常を観察すればそんな定義は普遍になり得ず
それを考えているその瞬間にも自分は自分をすり抜けて
すでに流動していることに気づく方が有意義だ。

だから「あの人はああいう人だ」「これこれはこういうモノだ」と定義するのも
ある意味無駄なことだし、視野を狭くする。
会話だったらおそらく不毛。逃げる方が良い。

言葉の定義づけから自由になるのは
「訓練」と呼びたいくらい難しいことかもしれないが
その事に気づいている人を見つけたら、互いにツッコミを入れながら会話を楽しみたい。
(ただし、いろんな人の集う場でこれをやると
単なる”地雷踏むKY”で終わるので気をつけたい)


封じられた覚醒

2016年12月03日 22時26分08秒 | 日記


訳あって筋肉を描いています。

複雑なねじれや走行方向を
丁寧に観察し、描き出すのは快感です。

解剖図イラストを描いていた頃は辛いことが多かったですが
この技術を習得できたことは何事にも代えがたい。
私を鍛えてくれた解剖学教室の先生方には感謝しています。

山本もえ美さんの夢の絵画を紹介いたしましたが
私は未だに解剖学教室の夢を見ます。

それは大抵恐ろしい夢なのですが
夢のなかで、これは夢だとわかるわけです。
で、早く目覚めなくてはと瞼をちからいっぱい開こうとしても
なかなか目覚めることができなくて、
このまま目覚めなかったらどうしよう!と
夢の中に閉じ込められるような不安にかられます。

そのうちに疲れきってベッドから下り、やっと目覚めたと思っても
実はそれがまだ夢のなかで…というのを何回か繰り返します。

夢の中で、これは夢だと気づくことは凄く怖いです。

よく言われることですが、
「現実」と呼ばれている世界と「夢」は似ていると思います。
この世界は、死ぬ瞬間まで目覚めない夢なのでしょうか。