荒井経「景色2/10 11:54」
5月まで参加させていただいた「春色の墨」展に続いて
パークホテル東京では夏の企画
「涼味 RYOMI」展 http://www.parkhoteltokyo.com/artcolours/
が開催されています。
今回私は参加しておりませんが、
企画は引き続き羽黒洞さん
参加されている作家さんは
荒井経さんと水口和紀さん。
夏だけに
ブルーが基調になっているようで
春とはうって変わって
すっきり男性的なイメージでしょうか…
とてもとてもすばらしい作品です!!
是非ともご高覧いただきたく、
お案内申し上げます。
上から荒井経さん、肉筆浮世絵、水口和紀さん、泥絵
羽黒洞さんからは
泥絵*¹ や肉筆浮世絵(掛け軸)の展示もあるようです。
夜には、これも春に引き続き antymarkさんの映像が
ロビーの巨大壁面に投影されるそうです。
もし、ホテルにいらした際には
是非是非ハンバーガーランチ*² を食べてください!!
かなりオススメです。
私もまた食べたいと思います。
*¹ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A5%E7%B5%B5
*² http://blog.goo.ne.jp/michika-6/e/a379d877fb917ccaf632d1fbed8672ed
どうぞよろしくお願い申し上げます。
HPのアドレスが変わりました。
新しいのはこれです。
http://www.ze.em-net.ne.jp/~usa/michiyo/
と言っても、
全く更新していないので
これを機に何とかしなくては…
更新したら
またお知らせいたします。
高尾山ケーブルカー* のトンネル
日本一の急勾配なのだそうです。
トンネルは行く先に光があって
とりあえず、あそこで抜けるってわかるからいいけど
日常では
気がついたらトンネルの中にいて、
いつ抜けるかもわからない。
だから、
ある日突然、抜け出たときには
いきなりジャンプしたような感覚に陥る。
実は
ジャンプではない。
ジャンプのように思えるけど、
着実な歩みの結果なのかもしれない。
「凡庸の反対語は愚直」だと
恩師が刺してきた。
全身から血の気が引いて
倒れそうになる。
トンネルから出たくて もがいていた。
どうせ抜けてもまた入るから、
もがいたって意味がないと、
一生トンネルなんだと
腹を括る方が良いのだろうか…
それもつらいなぁ~
* http://www.takaotozan.co.jp/timeprice/index.htm
こんなにかわいい花も
終われば種をつけます。
写真右端にちらちら見える赤いのがそれ。
同じ花
種は…
膨出!
ひとつの花に対して
複数の種ができるらしい。
今まで
種は一個ずつだと思っていたが
勘違いだったかしら…??
それとも
放射能で奇形になったのか
ほらほら、いくつも。
中から押し出されるようにも 見える。
種はやがて黒くなり、
花弁は反り返る。
少しエッチな形態(に見えるのは私だけ?)
剥き出しじゃん!!
種の周りには
赤くて細い突起が無数に伸び出して
付け根もぱんぱんに膨らんだ。
黄色い花の頃の可憐さは もうない。
ふと、羽子板の羽根を思いだした。
かつては植物の種に羽根をつけて
遊んでいたのだそうだ*
* http://www.okadanouen.com/zukan/tukubane.html
名前も知らない木
紅白の順番で植えられている。
白の次は、
赤…そのまた向こうに 白、赤と続く。
近くで子供たちが木を見て、
「わー気持ち悪い~!!」と叫んだ。
毎年6月のこの時期、
気づくと もさっと花をつけている。
まるで、冗談みたいだ。
あまり背が高い木ではないので
下を通ると
髪が花に触れそうになる (のがちょっと嫌だ)。
この時期に訪れてくれた友人も
必ず反応して
「この木は一体何ですかぁ?」とか、
連泊の人は
「あれ?昨日まで、咲いてませんでしたよね」 とか…
彼らの微妙な表情を
この紅白を見るたびに思い出して
何だか可笑しくなる。
ピアニストのアファナシエフ*¹ は
ピアノの調律はちょっとだけ狂っているのがいいと
著書*² に書いていた。
ストライクゾーンをほんの少し外した魅力
完璧はつまらない、外しすぎはいやらしい。
私は多分、この木のことが
大好きだ。
*¹ http://www.youtube.com/watch?v=vKPjvGJELB4
(少し長いですが、24分過ぎからの演奏シーンはすばらしい)
*² 「音楽と文学の間―ドッペルゲンガーの鏡像」
Valery Afanassiev 論創社 (2001/11)
http://www.tsutaya.co.jp/works/40181602.html
先日、
座間の方へ引っ越した作家さんを訪ねた。
抽象画を描く彼女は20年来の友人だ。
作家同士でも
話の合う、合わないはあるのだけれど、
その人と私は
絵も、世代も全く違うのに
何故か通じ合える。
ピンとくるものがあるのだ。
その「ピン」って、実は
声のトーンや、間の取り方
その空気のことかもしれない。
そして決まって私にとって居心地の良い相手は
死のような空気を持っている
彼女のアトリエは
男のものでも、女のものでもない
生活感の全くない
絵、ただそれだけの為にある部屋だった。
立てかけられた作品だけが
静かに息をしていた。
孤独…
そういえば上海に行った恩師も
どっぷり死の絵を描く人だった。
絵とは、死の中から生まれてくるのだろうか?
絵描きはどこまでも孤独なのか?
「絵があれば、私は全く孤独を感じない」
と、彼女は言った。
孤独だとか、考えてる時点で
まだまだなのかな…
私、まだまだ甘いかな…
夜の東博
ボストン美術館展* に行った。
こんなに異様で美しい絵を描く日本人は
尋常ではない。
誇らしくさえ思う。
* http://www.boston-nippon.jp/