Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site 

https://michika-6.wixsite.com/michiyokamei

越後妻有~中之条ビエンナーレ

2015年09月28日 08時44分42秒 | おすすめ展覧会

先日、
越後妻有トリエンナーレと中之条ビエンナーレを車でめぐる。

越後妻有の方は田中芳さんという日本画家の遺作展が開催されており、
ご家族からご案内をいただいたのがきっかけです。


会場に向かう みちすがら、小雨がぽつぽつ…



田中芳展「けれども、たしかにある光」は
歩くと木造の床がきしむ
旧家の素晴らしい日本家屋を会場に大作が展開。

自然をモチーフにしたミニマルな作品
ミニマルはなんて複雑なんだろう!
執拗に反復される自然界のかたちは「リズム」なんだと、はっとしました。

箔の柔らかい反射は、未だ瞼にうつろいます。

また彼女に出会いたい、素晴らしい展示でした。

田中芳 アートフロントギャラリー
越後妻有トリエンナーレ




ところで中之条ビエンナーレ
ここでは、座の会で一緒の作家さんが参加しているので応援にきました。


高田研二郎 さん

透けた布に動きのあるモチーフを動きのあるままに描きつけている。
大胆に描けば描くほど繊細さが引き立つ素材は魅力的です。

寄ってみると、絵の具が布に引っかかってできた溜まりがわずかにあって
それを目で追うことによって、描いているときの力加減や躍動感が追体験できる
それは作家にとっての一瞬なのでしょうか。

また、この作品、暗闇で光るんです。
(家の地下、会場にて)

少しだけヒンドゥーの神々を連想してしまった。
モチーフにしている冬虫夏草の話をこの暗闇で聞き、
植物と動物の構造の類似など、解剖学を思い出しました。

ちょうど昨日も、
蛍光塗料で描く別の作家さんに出会い、
話を聞くことに。。。
光を変えることによって作品の見え方が激変する、
つまり、光をフラットにしないことは時間の概念を取り込むことで
これは「4次元のアートなのだ」と言っていた。
う~ん確かにね、でもちょっと無理があるなぁと思いつつも(笑)
ものを作る人の頭脳は最高に面白く、話に聞き入ってしまった。





越後妻有トリエンナーレでは
作品もさることながら

地元の方たちの行き届いた対応や
展示場所を知らせる案内板の巧みさにも感心。
町や人が一丸となって取り組んでいるのがよくわかりました。
というか、それがこの大展覧会を成功させているんですね
おもてにあるのは作品かもしれませんが、
それを支えるすべてが見える(なんなら丸見え)
それが地方野外展なんだと知り、とてもよい勉強になりました。

それと…

当たり前かもしれませんが、新潟はお米がむちゃくちゃおいしかった。

宿泊した温泉宿では
朝ご飯三杯おかわりした、
というか、軽く四杯目に突入できると感じたとき、

恐ろしくなって自分をおさえました。


* 中之条ビエンナーレ ~10月12日まで


稲葉有美展

2015年09月24日 10時56分54秒 | おすすめ展覧会

一人奮闘する友人、稲葉有美展を見る。

26日に終わるので、大急ぎでお知らせいたします。


稲葉有美展 circlogy
SPC GALLERY

愚直にぶれずに描く姿勢、
女性ならではの血と力強さを久しぶりに嗅ぎました。
これは、26日に終わってしまうので もう時間がないけれど
おすすめしたいです。

仕事であまり会場に居られない本人がたまたま居て
話をすることができました。
とても美人で話も面白い作家さんです。

もっと早く見に行けばよかったと少し後悔しています。
お時間のある方は是非。


珍道中(@_@;)3 太郎×正義と東京展

2015年09月10日 09時25分09秒 | 旅行


とうとう旅のメイン、豊橋美術博物館へ。
第一回「東京展」に関するギャラリートークを聞く。

1970年代中頃、
同時期に中村正義によって発足された「人人展」と「東京展」
混同しそうだが、実はまったく違う形式で作られていた。

「人人展」は1974年、7人の作家によって「反体制、反画壇」の美術集団として結成。
「東京展」は1975年、旧態依然とした画壇、美術団体に対する公募展として開催。

つまり「人人展」は公募団体ではない。





ギャラリートークでは、笹木繁男氏を中心に
「東京展」当時の事務局の作家を含めた

参加作家3人が当時の様子を生々しく語ってくれた。
発足当時の様子を知っている人が会にいるのは重要なことだと思った。
なぜなら、創立者中村正義本人をナマで知っているからだ。

人人会では、創立メンバーは全員物故となっているので
当時のことを知る人は少ない。
今いるメンバーはそれを引き継ぐ、子メンバー、孫メンバーで
若手に至っては20代(孫孫?)。
「反体制、反画壇」と言ったところで、
対抗する画壇そのものが無い。
何に対して反旗を翻すというか。

それなのに大抵、何処にいっても
「人人は今でも反体制がコンセプトですか?」と
わざわざ聞かれる。
最近、それが半分は嫌みかも知れないことに気がついた。





中村正義を崇拝する人は多い。
まるで宗教だ、と思ったこともあったけど、
略歴を読むとその凄さは想像以上だ。
絵も天才的に素晴らしいが一方で政治力もあり、
仲間の作家を経済的にも支えた。
(その上、顔も恐ろしくハンサムで病弱で…)
52歳で無くなるが、晩年は絵をあまり描かずに
この「人人展」と「東京展」に力を尽くしたそうだ。

現在「人人展」は美術館側の経営の変化に伴って
公募団体に変わろうとしている。
それは生き残りをかけての苦渋の判断には違いないが
その変化の中で創立メンバーの意思をどのように留めるのか。
会を活性に向かわせる良い機会にしなくてはならない。

なんて気持ちが
「東京展」のメンバーの話を聞きながら、メラメラと芽生えてきた。
私は発火しやすい。だから、私を誘った人は相当な目利きですね。
 
岡本太郎と中村正義「東京展」図録より
左「千手」1965 岡本太郎 P46
右「男と女」1963 中村正義 P39





熱くなった気持ちをかかえながら帰宅。
お土産はゼッタイにこれです。

ヤマサのちくわ


これを田丸屋のわさび漬けでいただきます。

実は、「豊橋」というと、このちくわを連想する。
皮がぱりぱり、味は濃厚。

ビールも最高!

感謝:
ギャラリーサンセリテ

パンリアル美術協会

中村正義の美術館

泉屋博古館
(順不同)


珍道中(@_@;)2 美術と戦争

2015年09月08日 10時09分53秒 | 旅行

前回のつづき


名古屋市美術館
「画家たちと戦争:彼らはいかにして生きぬいたのか」展
鑑賞時間は約30分。


めちゃくちゃタイトなスケジュールなので
ざらっと見る程度しか鑑賞できないか、と思いきや
そうでもない。

順不同だが、下記の作家の作品を
原則として戦前、戦中、戦後各3点づつ9点を展示
戦前絵画の、牧歌的あるいは生き生きと精力的に行われていた実験的な試みも
戦中に入るとガラッと変わって暗く沈み、目をそらしてくなるような戦争画を描き
戦後は、私も知るあの「暗い近代」の匂い
歪んだ人間の内面性の表現「不安、不信、葛藤、疎外…」
「戦後を乗り越える」わずかな兆しすら感じられません。

吉岡堅二、藤田嗣治、北川民次
福沢一郎、松本俊介、北脇昇、恩地孝四郎
横山大観、山口薫、宮本三郎、吉原治良
岡鹿之助、香月泰男、福田豊四郎





心当たりがある。
20代、絵に興味を持ち始めたころ、
海外のアートに夢中だった。
特に大型のインスタレーション、コンテンポラリーと呼ばれたもの
日本の作家でも現代アートを中心に見て歩いた。

一方で日本の絵画は古臭く感じていた。
今から思えば、まだ戦後絵画の延長上にあったのだ。
その切実な「不安、不信、葛藤、疎外…」が
20代の元気な私には重たくてしかたがなかった。

でも、今は理解できる。
戦争はどの国も経験している重要なファクターだ。
アートはそれを乗り越えてきているんだなぁと思う。
決して無視はしてはいない。
内容と表層は違うのだ。

今でも人人展は「暗い近代」の真っただ中で
時々「時代遅れ」と言われてしまう。
それを新しい地平に向かわせる方法は?

「時代を引き受けつつ断ち切る(突破する)」
そんな表現は可能だろうか??


福沢一郎「牛」

これから150年後、第3次世界大戦が終わり
世界の体系がすっかり変わって振り返れば、
今の時代は「戦前」だったりして。

「21世紀 戦前の美術」…あり得る!

今この時代(流行)のど真ん中で澱んでいる場合ではない。
すでに新しい戦争時代に突入した感じ、するじゃない。

「戦後」を引き受け、次の時代へ警鐘を鳴らしつつ
それを突破していくこと。

新しい「狂気」が必要かもしれません。





ところで
5人の美術業界ご一行は、
名古屋でお弁当を買い豊橋へ向かいます。
お弁当は東海道線の中でどうどうと食べましたが
我々以外、食べてる人なんか誰もいないですよ(笑)!!
さすがです…


豊橋駅のコンコース

続く


珍道中(@_@;)1 出会い

2015年09月07日 09時45分25秒 | 旅行

とある方に誘われて
名古屋・豊橋への小旅行に出かけた。

「来たものに乗る」のを信条として生きてきたつもり。
経験から「ゼッタイに乗ってはならない」ものもあると学習したが
今回のこれは、「乗る」というより「乗らなくてはならぬ」か。

現在、豊橋市美術博物館で
「太郎×正義 日本の美術界に挑む!」という展覧会が開催されている。
これは、岡本太郎と中村正義のこと。

ここで、現代美術資料センターの笹木繁男さんが
記念トークをされるので聞きに行こう!という旅。

内容は、40年ほど前に中村正義が発足した伝説的展覧会、
「第1回東京展」についての検証。
当時の事務局、出品作家も交えて語ろうというもの。

中村正義は私が属する人人会発足の作家でもあり、
この「東京展」と「人人展」は正義によって
同時期に、ほぼ同じコンセプト"反権力・多面性と反逆精神"で作られた2つの会だ。
ハンギャク… 

そっか、だから誘われたのか~
人人会としては、このトークは目撃しなくてはならぬものだったのだ。
モクゲキセヨ(`Д´)!!




…とまぁそれはいいとして

豊橋の前に、名古屋市美術館に寄り
企画展「画家たちと戦争:彼らはいかにして生きぬいたのか」を見るのだそうで
そのために朝8時半過ぎの新幹線に乗る。
しかし成り行きから、
全く面識のない方と二人で待ち合わせすることに(@_@;)
要するに、そのお方を無事に名古屋にお連れせよ、という指令です。

待ち合わせの車両の列に並んで待っていた。

相手には「私は紫色のスカーフを巻いています」という目印を告げてある。
告げていたにも関わらず、私自身が挙動不審になり
全然関係ない人に「○○さんですか?」とか聞いちゃったりして
ドンびきされ、
2,3人の人がその列を離れていってしまう…(^_^;

私はそんなに変ですかね

私より30歳は年上の、作家ではないが美術の世界にいるその人は、
学識も経験も豊かで、ゆったりとした深みがある。
特に歴史的な作家さんに出会った時の話はとても面白かった。
新幹線の中では、様々な奇妙な話をお聞かせいただき
1冊の本(物語)を読み終えたくらいの充実感。

名古屋市美術館着。
先に来ていたグループと無事合流。
美術史家、学芸員、中村正義美術館関係者、コレクターという
とんでもないメンバーでびっくりするが
豪雨でずぶ濡れなので、何かをあきらめました…(笑)

続く