緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

初秋の大阪:関西一の金融街の街並み「北浜~淀屋橋」を散策する(2)

2012年09月17日 18時18分34秒 | 近畿地方の散策


引き続き土佐堀通りを淀屋橋方向へ向かって散策を続けていきます。今回の記事は日本郵政近畿支社前から天神橋を渡って今橋までです。天神橋交差点前には「日本郵政グループ大阪ビル」が建っており、郵便局の近畿支社、大阪監査室、大阪共通事務集約センター、北浜東郵便局が入っています。またゆうちょ銀行の近畿エリア本部、かんぽ生命の大阪支店が入居しています。




土佐堀通りと松屋町筋がクロスしている「天神橋」交差点に到着しました。この交差点前に立つと土佐堀川側に建っている黄土色のルポンドシエルビル(旧・大林組本社ビル)が見えます。土佐堀通りと同じく、松屋町筋も交通量が非常に多いです。




松屋町筋は天神橋交差点から北側は「天神橋筋」と名前を変え、そのまま「天神橋」として旧淀川(土佐堀川と堂島川)を渡っていきます。旧淀川の中には中洲である中之島公園があるので、中洲を超える形の橋となっています。現在の橋は1934年(昭和9年)には松屋町筋の拡幅に合わせて、ほぼ現在の形である全長219.7メートルの3連アーチ橋となりました。




天神橋の橋としての歴史は非常に古く、1594年(文禄3年)の架橋とされ、当初は大阪天満宮が管理していましたが、1634年(寛永11年)に他の主要橋とともに幕府が管理する公儀橋となります。当時の中之島は日本全国の大名の蔵屋敷が密集していて、大坂が「天下の台所」と呼ばれていた時代でした。




天神橋交差点を見下ろすように「大阪大林ビルディング」が建っています。鹿島建設、清水建設、大成建設、竹中工務店とともにスーパーゼネコン5社の一つである「大林組」は大阪で生まれた建設会社であり、長い間「本店(大阪)と東京本店体制」が続いていましたが、2010年(平成22年)に登記上本店を東京に移転しました。




現在の株式会社大林組の本社所在地はJR品川駅東口にある品川インターシティB棟です。大阪発祥の大企業が東京に移転するという話は既に定着している感がありますが、これは見方を変えれば「東京の大阪化」が進んでいることにもなりますね。




1892年(明治25年)に大林芳五郎が大阪(西区靱南通(現・西区西本町2丁目))で土木建築請負業・大林店を創業します。1904年(明治37年)店名を大林組と定め、東京事務所を設置します。当時は東京を日本の新しい首都として発展させるために莫大な投資がなされていた時代ですから、東京での受注が今後急増するであろうことを見越していたのでしょう。




1926年(大正15年)に天神橋(北浜)に本店ビルが完成します。設計したのは京都帝国大学工学部建築学科の一期生である平松英彦氏で、設計は社内コンペが実施されたそうです。現在は高級フランス料理店ルポンドシエルがテナントとして入居しているほか、右側入口を入った3階には大林組の歴史資料館が併設されています。




戦前、特に明治時代から大正時代、国家総力戦へと流れていく昭和初期にかけては「報国」という言葉があったそうです。読んで字のごとく「国恩にむくいるために働くこと。国に尽くすこと。」という意味であり、民間企業であろうと利益度外視で国のために身を捧げて、初めて国から「一人前である」と認められたのです。




第二次世界大戦後の荒廃した国土を復興させるために大林組を含めた日本の建設業界は激動の時代を渡っていくことになります。復興のための急増する建物の需要や、大型ダムなどの受注によって大林組は史上空前の繁栄の時代を迎えることになりました。1970年(昭和45年)の日本万国博覧会開催ではお祭り広場など主要施設を手がけるなど存在感を示していました。




淀屋橋方面へしばらく歩くと土佐堀通りは緩やかに右へカーブしながら「東横堀川」を渡っていきます。この川は土佐堀川から分かれ、大阪市中央区を流れて道頓堀へと至る全長3キロの運河であり、全線に渡って阪神高速環状線の高架橋が上空を走っています。土佐堀通りも高架橋の下をくぐっていきます。




土佐堀通りは「葭屋橋」で東横堀川を越えていきます。橋の東詰めから「今橋」も分岐しているので、見た感じでは二つの橋が天神橋側からV字状に伸びています。今橋の東詰めで京街道に接続しています。




葭屋橋から振り返って大阪大林ビル方向を撮影してみました。旧・大林組本社ビルであるルポンドシエルビルの外観が遠くからでも目立っています。




土佐堀通りは北側を流れている土佐堀川の河道に合わせるように敷かれているので、緩やかなカーブが連続していたりと真っ直ぐな大通りではないです。なのでズームで撮影するとオフィスビルが大通りに沿って「壁」のようにも見えます。




ここから少し寄り道をして、葭屋橋・今橋のさらに下流側に架かっている「高麗橋」を見に行きたいと思います。高麗橋は江戸と京都・三条大橋を結んでいた東海道53次から分岐する形で大坂まで延伸するルート「東海道57次」の大坂側の起点であり、同時に京都と大坂を結んでいた「京街道」の起点でもあります。




地図の中心点は葭屋橋です。旧淀川から南へ向かってまっすぐ東横堀川が分岐しています。この先向かう高麗橋は50メートルほど離れた場所にあります。

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