緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

初秋の大阪:西日本一のスーパーブランドブティック街「心斎橋」を散策する(4)

2012年09月23日 10時22分51秒 | 近畿地方の散策


周坊町通りは途中で「心斎橋筋」と交差していきます。交差点前には2010年4月に関西地区で初出店した「クリスピー・クリーム・ドーナツ心斎橋店」がありました。大阪ステーションシティのノースゲートビルディング内にも確か同じお店があったことを覚えています。




石畳の道路である周坊町通りを堺筋方向へ向かって散策していきます。周坊町通りは御堂筋から堺筋にかけての区間は「ヨーロッパ通り」と呼ばれていて、アメリカ村周辺よりも幾分落ち着いた雰囲気が漂っています。若者向けのアメリカ村と比較すると、この辺りはもう少し大人向けのお店が多いです。




衣料品店だけではなく、飲食店や商店、中層マンションなどが密集して立ち並んでいる街並みが周坊街通りに沿って延々と続いています。この辺は大阪市中央区の「東心斎橋1丁目」地区と呼ばれています。




平日の昼過ぎですとほとんど人通りが見えなかったですね。緑はあまり好きではありませんが、大阪市街地を「キタ」と「ミナミ」の二つの地域に分ける考え方が存在します。ここ心斎橋はキタとミナミのどちらかなのかいつもよくわからなくなりますが、多くの人たちは心斎橋はミナミであると判断している感じです。




御堂筋周坊街交差点から約500メートルほど歩くと、周坊街通りと堺筋が交差している「堺筋周坊町交差点」に到達しました。この先は堺筋を北へ向かって散策して長堀橋へ向かいます。




堺筋を北へ向かって散策していきます。この境筋は東心斎橋地区と東側の島之内地区の境界線となっている大通りです。周辺はオフィスビル街の中に中層マンションや事務所が混在している雰囲気が非常に強いです。




堺筋は御堂筋と同様、北向きの一方通行となっています。




東心斎橋地区の東縁部を南北に縦断している「堺筋」は、江戸時代の船場において堺へ出る道であったことから堺筋と呼ばれ定着しました。心斎橋地区というのは大阪のビジネス街・金融街である淀屋橋・本町を中心とした船場から堺や泉南、和歌山などへ続いている街道沿いに発展してきた歴史がある街なのです。




江戸時代から明治時代初期までの大阪の南北に伸びる大通りはこの堺筋でした。その後、昭和12年(1937年)に西側に並行して伸びる御堂筋が建設されたことから、商業の中心はこの堺筋から御堂筋へと移っていった歴史があります。




御堂筋ほどではありませんが、堺筋も結構交通量が多かったです。




前方に長堀橋交差点が見えてきました。




堺筋と長堀通りが交差している「長堀橋交差点」に到着しました。交差点の周辺はオフィスビルやビジネスホテルなどが密集しています。この交差点の地下には大阪市営地下鉄堺筋線と長堀鶴見緑地線の「長堀橋駅」があり、大阪市街地の東西南北方向へ向かうことができます。




長堀通りは高度経済成長期まで都市運河であったことから、心斎橋や四つ橋と同様に、この場所には「長堀橋」という名前の橋が架けられていて、堺筋は長堀川を渡っていました。長堀川は寛永2年(1625年)に大阪夏の陣によって荒廃した大坂の街において、東横堀川と木津川とを結んで延長約2500メートル、幅員30~40メートルの長堀川が開削されました。




長堀橋はこの長堀川に最初に架けられた橋で、公儀橋の一つでした。公儀橋とは江戸時代に江戸、大阪、京などで、江戸幕府の経費で架設、架け替え、修復が行われた橋のことです。大阪市内では旧淀川に架かる淀屋橋、天満橋、天神橋などや、京街道の京橋、起点である高麗橋などが指定されていました。




長堀橋は昭和39年(1964年)に長堀川の埋め立てによって撤去されましたが、橋の名前は交差点の名前や地下鉄の駅名として残っています。次は、長堀通りを心斎橋方向へ散策していきます。




長堀橋交差点のある場所に長堀通りの地下街「クリスタ長堀」の東端部があります。

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