緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

初秋の大阪:西日本一のスーパーブランドブティック街「心斎橋」を散策する(3)

2012年09月22日 14時32分27秒 | 近畿地方の散策


四つ橋筋の「四つ橋ランプ西」交差点から「周防町通り」へと進んでいきます。阪神高速道路の高架橋の下をくぐるとその先は若者向けの衣料品店が密集している「アメリカ村」と呼ばれている界隈となっています。心斎橋周辺を中心とした大阪市街地の中心部は街並みが碁盤目状に整備されているので、位置関係を考えながら散策すること自体は難しくはないです。




世界的なスーパーブランドのブティックが御堂筋・長堀通り周辺に集まっているのに対し、大通りカラス恋離れた場所には若者向けの「アメリカ村」「ヨーロッパ村」などの町並みが形成されています。東京の銀座が中央通りを中心とした「線」に沿って繁華街が発達しているのに対し、こちら心斎橋はエリア全域に「面」として広がっているのが特徴です。




まるでJR原宿駅前から伸びている原宿竹下通りを歩いているような感覚に囚われます。平日の午前中ですと人通りはほとんどありませんでしたが、どの店舗も営業自体は行われているようでした。この周坊町通りがアメリカ村の実質的なメインストリートということになります。




衣料品店に混じってホットドッグなどアメリカナイズされた飲食店も見かけるので、本当にアメリカの街を歩いている感じですね。戦前のこの辺りは料亭があるなど格式のある町並みだったのですが、1969年に日限萬里子が喫茶店「ループ」を開き評判を集めます。以降、倉庫を改造してサーファーの若者などによりアメリカ西海岸やハワイなどから輸入した衣服類が販売されるようになります。




原宿というよりも、渋谷センター街の雰囲気も強く感じました。「東急ハンズ」のようなファッションビルがすぐそばにあっても全然違和感がないですね(ちなみに、心斎橋周辺で展開している東急ハンズの店舗は長堀通り沿いにあります)。 




クランク上のカーブを作っている周坊町通りは御堂筋方向へ向かって一直線に伸びています。大阪市街地の小さな筋や通りは一方通行の規制が徹底されているようですね。




ファッションビル「心斎橋BIG STEP」の前を通りすぎていきます。本当に東京では見たことないようなファッションのブランドが多くて頭がこんがらがってきました。土日や祝日になると多くの若者たちで賑わうのでしょうが、平日の昼前はこんな感じなのですね。




御堂筋に近づくにつれて徐々にですが人通りが出てきたようです。最近ではJR大阪駅・梅田駅の百貨店増床やファッションビルの誕生、南側ではJR天王寺駅周辺が新たなファッションの街として生まれ変わりつつあるので、心斎橋周辺は今後厳しくなるのかもしれないです。




アメリカ村と呼ばれているエリアは大阪市中央区の「西心斎橋」と呼ばれている地域で、かつての西清水町・周防町・八幡町・三津寺町の御堂筋以西と西横堀川沿いの北炭屋町・南炭屋町の辺りです。 




「アップルストア心斎橋店」の建物が見えてくると周坊町通りは御堂筋と交差していきます。




「御堂筋周坊町交差点」に到着しました。正午前の時間帯に近づいているので、御堂筋周辺はビジネスマンの人たちを中心に、買い物客などが行き交っていました。




9月の初旬でまだ青々としているイチョウ並木を眺めながら御堂筋を渡っていきます。




周坊町通りはこの先、「ヨーロッパ通り」としてまっすぐ続いています。やはり御堂筋周辺は有名なお店ばかりが多いですね。




御堂筋を渡ると大阪市中央区の「心斎橋筋」「東心斎橋」地区へと入っていきます。石畳の道路、街灯、ショップのプランターなどヨーロッパの雰囲気を醸し出し、落ち着いた雰囲気となっています。御堂筋を挟んだアメリカ村と対比するとこちらの方が気に入りました。




途中で「心斎橋筋」のアーケード通りと交差していきます。




周坊町通り沿いのアメリカ村周辺は大阪市中央区の「西心斎橋1丁目、2丁目」と呼ばれています。


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初秋の大阪:西日本一のスーパーブランドブティック街「心斎橋」を散策する(2)

2012年09月22日 11時40分07秒 | 近畿地方の散策


道路幅が非常に広い長堀通りを西へ向かって歩き、四ツ橋交差点へ向かいます。始めから都市計画道路として建設された御堂筋と違って、都市内の運河を埋め立てて建設された長堀通りは非常に道幅が広く、幅15メートルの中央分離帯や幅の広い歩道が設けられるなど、散策していて非常に爽快でした。




前方に阪神高速道路の高架橋が見えてきました。あの高架橋の向こう側に四ツ橋交差点があります。この高架橋の通っている場所には「西横堀川」という名前の都市内運河が通っていましたが、阪神高速道路の建設工事に際して埋め立てが行われました。




JR大阪環状線の環状部のほぼ中心部に位置する心斎橋、この辺はオフィスビル街の密度が非常に多いと感じています。梅田、淀屋橋から本町、心斎橋、難波へと実際に歩いてみると、オフィスビル街の町並みの風景が全く途切れない様子に驚くことがあります(ちなみに東京都心部のオフィス街の密集度は、大阪のそれ以上だと思います)。




四ツ橋筋へ近づくにつれて、長堀通りの中央分離帯は緑地帯のような雰囲気を帯びてきました。この辺はオフィス街の雰囲気を保ちながらも中層マンションなどが所々に立っています。この辺の町域は大阪市中央区の「南船場4丁目」という地名になっていて、高架橋の先は「新町」地区となっています。




心斎橋地区(又の名前を「島之内地区」)は東を東横堀川、西を西横堀川、南を道頓堀川、北を長堀川に囲まれた地域で、人工の堀川開削によってできた島の内側であることから島之内と呼ばれていました。現在は「東心斎橋」「心斎橋筋」「西心斎橋」の三つの地区に区分けされています。




阪神高速道路の高架橋の下を渡ると長堀通りと四ツ橋筋が交差している「四ツ橋交差点」に着きます。ここから先は長堀通りから四ツ橋筋を南へ歩いてアメリカ村へ向かいます。




四ツ橋交差点の少し離れた場所では、かつて長堀川と西横堀川が十字に交差していた場所となっていて、交差する地点に「ロ」の字型に4つの橋が架けられていました。そのことから「四ツ橋」という名前で呼ばれるようになりました。二つの運河の埋め立てによって四つの橋は撤去されましたが、その跡地は長堀通りの中央分離帯として残っています。




四ツ橋交差点前からさらに西方向を撮影してみると、その先は大阪市中央区の「北堀江」と呼ばれている区域となっています。オフィス街である本町や、繁華街である心斎橋と隣接した立地であることから古くから商業地域として発達してきました。




長堀通りはこの先も広い道幅を保ったまま、大阪市街地を西へ向かって伸びていて、大通りの下には大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線のトンネルが通っています。




長堀川と西横堀川、二つの運河が交差している場所に架けられていた四つの橋の名前ですが、「上繋橋(かみつなぎばし)」・「下繋橋(しもつなぎばし)」・「 炭屋橋(すみやばし) 」・「吉野屋橋(よしのやばし) 」の四つです。「四ツ橋」の名前は「四ツ橋筋」「大阪市営地下鉄四つ橋線」に採用されているので、大阪市内では有名な部類なのでしょう。




四ツ橋交差点の中央分離帯の中央に立って、西長堀方向を撮影してみました。実際に立ってみると、やはり御堂筋よりも大通りの幅は広いと感じました。まぁ、御堂筋の方は沿道両側がオフィスビルや高層ビルで埋め尽くされているので相対的に狭いと感じるからなのかもしれませんが。




四ツ橋交差点から四ツ橋を西梅田方向を撮影してみました。四ツ橋筋はこの先で本町のオフィス街の中をまっすぐに北上し、肥後橋・渡辺橋で中之島を縦断したあと、JR大阪駅前に到達します。




西横堀川に架かる北の橋である「上繋橋」、同じく南の橋である「下繋橋」は1964年(昭和39年)に撤去されました。西横堀川が埋め立てられて、その跡地に阪神高速道路の高架橋が建設されたのと同時期です。江戸時代は水運の時代だったので、運が交差していた四ツ橋周辺は交通の要衝だったのでしょう。




長堀川に架かる東の橋である「炭屋橋」、西の橋である「吉野屋橋」は1970年(昭和45年)に撤去されました。炭屋橋の名前は島之内西端の旧町名「炭屋町」に由来し、吉野屋橋は北堀江東端の旧町名「吉野屋町」に由来しています。




四ツ橋筋をJR難波駅方向へ向かって散策していきます。




今回の心斎橋の散策ルートは、四ツ橋交差点から南へ下り、アメリカ村、ヨーロッパ村の中を通って再び新橋交差点に戻ってきます。そのあとは御堂筋を南下して道頓堀・心斎橋筋まで散策して終了です。

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