雲一つない真夏の快晴の青空の下に建っている「大手高麗門」を見上げて撮影しました。皇居東御苑の敷地内へ入るには、この大手門以外には平川門、北桔橋門の合計3か所となっています。
大手門橋の南側に広がっている桔橋濠の水面を撮影しました。この日の東京都心部は午前中は雲が多かったのですが、お昼くらいから猛烈な西風によって雲が全て吹き流されて快晴の青空が広がっていきました。
大手高麗門をくぐり、大手門内の「枡形(ますがた)」の中を散策していきます。一の門である「大手高麗門」と、二の門である「大手門渡櫓」が取り囲むように長さ約30メートル程の方形地形が整備されています。
「大手門渡櫓」を見上げて撮影しました。太平洋戦争中に大手門藻空襲を受けてこの大手門渡櫓が被災し、大手高麗門は無事でした。大手門渡櫓はその後の1967年(昭和42年)に再建されています。
振り返って大手高麗門を撮影してみました。東京駅方向から皇居東御苑を見学しに来る観光客の人たちは、この大手高麗門から入場するケースが多いそうです。今回の散策では、私「緑」は大手高麗門から散策をスタートし、平川門をゴールにしたいと考えています。
枡形の中から大手高麗門を見上げて撮影していると、背後には大手町地区の高層ビル群が見えます。江戸時代の建築物である高麗門と、現代の高層ビル群の対比もすごく面白いですね。
大手門渡櫓の建物を正面から撮影しました。高麗門を突破した敵軍はここで勢いを無くし、正面の渡櫓からもう一度攻撃を受ける仕組みになっているのです。
大手高麗門を内側から眺めると、門から飛び出ている二つの屋根があることが発見できます。これは門を開いている時に、門扉を守るための屋根なのです。
大手高麗門の背後にそびえ立っている二つの高層ビルは、右側が「パレスホテル東京」、左側が高層オフィスビルである「パレスビル」です。
丸の内や大手町地区の再開発工事による高層化によって、皇居東御苑周辺の景観もここ数年で激変しています。特に丸の内・大手町周辺は高層ビルの密度が物凄く高いので、見ていると「壁」のように迫ってくる感じです。
枡形地形の一角には「旧大手門渡櫓の鯱(しゃち)」が置かれています。1945年4月の米軍の空襲によって被災した旧・大手門渡櫓の屋根にあったものなのだそうです。
枡形内の壁面周辺も石垣や石段などで整備されていて、敵軍に枡形内から擁壁を破られないように施されているのが解ります。
大手門渡櫓を渡って皇居東御苑の敷地内へ入っていきます。築城用語の世界では、高麗門や渡り櫓の内側の城郭の敷地内を「曲輪(くるわ)」と呼ぶのだそうです。正面に写っている鬱蒼とした木々の奥には「宮内庁病院」の建物が建っています。
大手門渡り櫓のすぐ脇には事務所の建物が建っていて、そこで係の方から訪問者カードを手渡されます。この訪問者カードは散策中はずっと携帯していなければならず、3か所のいずれかの門から退出するときに返却する必要があります。
皇居東御苑は皇居に隣接している場所柄から、制服警察官の人たちが自転車に乗って敷地内を巡回している姿を多く見かけます。
管理事務所前から振り返って「大手門渡櫓」を撮影してみました。これから皇居東御苑の敷地内を散策していきます。