緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

12月の皇居東御苑:公開中の富士見多聞と江戸城天守跡地 PART2

2017年01月03日 06時01分00秒 | 皇居周辺・城西


2016年11月15日より通年公開されることになっている「富士見多聞」の建物内を見渡して撮影しました。




富士見多聞の建物には入り口が二か所設置されていて、北側の入り口前から建物の壁面を撮影しました。




北側入り口前から芝生広場方向へ向かって伸びている下り坂を降りていきます。




北東側から富士見多聞の建物の全景を撮影してみましたが、周囲には木々が生い茂っていて難しかったです。




江戸城本丸跡地広場の周囲に整備されている遊歩道前に戻ってきました。




遊歩道のそばには地下道入り口が設置されています。東京地下鉄東西線の竹橋駅方向まで伸びているのでしょうか。




上記の地下道入り口前からさらに北側へ向かって道なりに進んでいくと…。




江戸城天守跡地前に出ることができます。天守跡地の周辺も、人通りはほとんどありませんでした。




天守跡地の南側一帯を見渡して撮影しました。




南側から天守跡地の全景を撮影しました。




天守跡地の石垣に登ることができる坂道を登っていきます。




上っていくと、石垣上部が見えて来ました。




石垣上部から北側一帯を見渡してみると、正面には「北の丸公園」の広大な緑地帯が広がっているのが見えます。




天守跡地の裏側には「北桔梗門」が設置されています。北の丸公園の緑地帯の中には「日本武道館」の建物が建ってみるのが見えます。




石垣群の上部は広場が整備されています。



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12月の皇居東御苑:公開中の富士見多聞と江戸城天守跡地 PART1

2017年01月03日 06時00分00秒 | 皇居周辺・城西


皇居東御苑内の江戸城本丸跡地広場の西端部に設置されている「松之大廊下跡地」の石碑を撮影しました。赤穂浪士の討ち入り事件を描いた「忠臣蔵」の舞台の一つとして大変有名です。




元禄14年(1701年)の3月14日の午前10時頃、赤穂藩主で勅使饗応役であった浅野長矩がこの廊下で高家肝煎の吉良義央に斬りつけた事件がこの場所で起こりました。




松之大廊下跡地前から元来た道を引き返して、芝生広場方向へ向かいます。




江戸城本丸跡地広場の南端部の一角には「果樹古品目園」が整備されています。




「果樹古品目園」の説明板を撮影しました。説明を読んでみると、2008年からこの場所で栽培し始めているみたいですね。




江戸城本丸跡地広場を南西側から見渡して撮影しました。中央部には芝生広場が広がっていて、芝生広場の周囲を遊歩道が整備されています。




芝生広場の西側を通っている遊歩道を北側へ向かって歩いていきます。




枯れ草状態となっている芝生広場を見渡して撮影しました。




江戸城本丸跡地広場の西端部に設置されている「富士見多聞」へ向かいます。2016年11月15日より、その富士見多聞の建物内部が通年に渡って公開されることになっているからです。




道なりに登っていくと、富士見多聞の建物前にやってきました。周囲は木々が生い茂っていて建物の全景を撮影することは不可能でした。本当に建物の扉があいていて、一般人でも入ることができるようになっていました。




多聞とは、城郭の石垣上に建てられた長屋のことであり、城壁よりも強固な防御施設でした。江戸時代の江戸城本丸には、このような多聞が各所に築かれていましたが、現存するのはこの富士見多聞だけとなっています。




早速富士見多聞の建物内部を散策していきます。室内は木材を組み合わせたシンプルな構造となっていて、天井の高さは思ったよりも低かったです。




窓からは、皇居の緑地帯を見渡すことができました。室内には補強のための木材が至る場所に展開しています。




2016年11月15日までは、公開していたり、公開していなかったりした日がありましたが、その日以降は通年公開となっています。




建物内部から振り返って(南側)を見渡して撮影しました。



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