緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

初秋の大阪:西日本一のスーパーブランドブティック街「心斎橋」を散策する(7)

2012年09月25日 17時42分47秒 | 近畿地方の散策


御堂筋は都市運河である道頓堀を「道頓堀橋」で渡っていきます。道頓堀は大阪市街地を東西に横断している運河で、心斎橋と難波の繁華街のほぼ中間を通っています。そのため、運河沿いも西日本有数の繁華街として発展しています。水に面した繁華街という風景は、日本全国探しても珍しいのではないでしょうか。




いつもは何気なく通過してしまう道頓堀橋ですが、橋長38.2メートル、幅員43.6メートルと非常に横幅が大きな道路橋です。43.6メートルの広い幅員の中に6車線と歩道、緩速車線がとられ、電線類は地中化し、4列のイチョウ並木をもつ格調の高い道路橋となっています。




道頓堀は東横堀川から分岐する形で大阪市街地を西へまっすぐ流れている都市運河です。御堂筋・道頓堀橋が架かっている周辺は飲食店やファッションビルなどが集積している繁華街となっています。川の周辺だけではなく、この辺り一帯が「心斎橋」と「難波」の広大な繁華街が広がっています。




大阪の観光案内などで非常に有名な「グリコ」のネオンサインが見えました。ここを見ないと大阪に来た感覚が持てないですね。実際にそばで見ると、ビル7階建て分くらいの大きさがあるので、圧倒されます。夜になると綺麗なネオンサインを眺めることができますが、緑は一度も見たことがありません。今度は見てみたいです。




道頓堀橋上から上流方向を撮影してみました。両岸とも繁華街のビルが密集しており、色鮮やかな看板やネオンサインが並べられています。川の両側には遊歩道が設置されていて「とんぼりリバーウォーク(日本橋から大阪市浪速区の湊町リバープレイス西側まで)」と名付けられています。




ズームで撮影すると心斎橋筋の「戎橋(えびすばし)」が見えました。2007年(平成19年)に現在の新しい橋に架け替えられました。




戎橋の北側は心斎橋筋のストリートが北へ向かって続いていて、沿道には若者向けのファッションのお店が非常に多いです。




心斎橋筋脇に建っているのは「H&M戎橋店」が入居している「Luz Shinsaibashi(ラズ心斎橋)」の建物です。




心斎橋筋・戎橋にやってきました。この戎橋は一日に平均20万人が通行するほど有名な橋で、地元の人だけでなく観光客も多いです。




H&M戎橋店の場所にはかつて複合文化ビルである「KPOキリンプラザ大阪」の建物が建っていましたが、2007年10月に閉鎖されました。館内のギャラリーでは主に現代美術(コンテンポラリー・アート)ほか、建築、デザインなどの展覧会を開催されていました。 他にもビアレストラン、地ビール工場、1アート関係の書籍売り場、などが併設されていました。




その後、跡地はみずほグループの総合商社である「丸紅」が取得します。商業ビルLuz Shinsaibashi(ラズ心斎橋)が建設され、テナントとしてスウェーデンのアパレル会社H&Mが2010年3月6日にオープンしています。売り場面積は約900平方メートルと、日本全国のH&Mのお店と比較すると小規模な作りになっています。




戎橋の北側は心斎橋筋のアーケードの商店街が続いています。この通りの歴史は古く、18世紀の半ばには「呉服屋松屋」(今の大丸)が店を出した頃には、当時の心斎橋周辺に商店がいくつも集まり、すでに買い物の町として形成されていたと言われています。その後江戸期を通して、日本中の物資が集まる大坂における小売の中心的役割を果たしてきました。




振り返るとグリコネオンの巨大なネオンサインが建っているのが見えます。戎橋の上では、このネオンを背景に記念写真を撮影している観光客の人たちの姿が絶えなかったです。




ズームで撮影してみると「みんなに笑顔を届けたい。」という垂れ幕がネオンの脇に掲げてありました。去年3月の震災時には、節電のために道頓堀周辺のネオンサインが消灯されていたそうです。




現在、H&M戎橋店のラズ心斎橋の一つ通りを挟んだ場所で再開発工事の計画が進められていますが(2013年春開業予定の「心斎橋ZERO GATE(仮称)」)、ここにH&Mの新しいお店が入居することが決定しました。ラズ心斎橋に入居している1号店と、向かいのビルの2号店、今回の計画では3号店目となります。




この後、大阪市営地下鉄御堂筋線難波駅から電車に乗ってJR大阪駅・梅田へ戻りました。

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初秋の大阪:西日本一のスーパーブランドブティック街「心斎橋」を散策する(6)

2012年09月24日 14時50分17秒 | 近畿地方の散策


再び心斎橋散策のスタート地点、長堀通りと御堂筋が交差している「新橋交差点」に戻ってきました。お昼すぎの時間帯の新橋交差点、周辺は高級ブランドショップとオフィス街が混在した地域なので、スーツを着たビジネスマンの人たちの割合が多いように感じました。次は、鬱蒼とした緑に囲まれている御堂筋を難波へ向かって散策していきます。




非常に長い道路幅を誇る長堀通りに面したビル街の地上1階部分が高級ブランドショップが入居していて、上階がオフィスビルになっているパターンが多い気がしますね。東京では高級ブランドショップの集積地区は銀座、青山、表参道などに分散しているのに対し、大阪では心斎橋地区に一転集中しているのが特徴です。




6車線が全て南行きの一方通行となっている御堂筋です。信号が青に変わると、一斉に6車線分に並んでいる自動車が走り出す様子が、見ていて爽快です。9月上旬の季節ですとまだイチョウ並木は真夏のように濃い緑色に覆われています。




新橋交差点から御堂筋を南方向へ向かって散策していくと、売り場面積850平方メートルを誇り、関西最大級の店舗である「クリスチャン・ディオール心斎橋店」が見えてきます。このビルは2004年(平成16年)に竣工した「エトワール心斎橋ビル(LVMH大阪)」です。




「LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン・ジャパン」の大阪拠点ビルとして建設されたエトワール心斎橋ビルは8162平方メートルもの延床面積を誇り、Christian Dior(クリスチャンディオール)ほか、Chaumet(ショーメ)、FENDI(フェンディ)といった同社傘下のスーパーブランドの店舗が入居しています。




もう一度、11月の下旬くらいに御堂筋のイチョウ並木が綺麗な黄色に染まった時期に、またここの高級ブランドショップが並んでいるストリートを散策してみたいですね。まるでフランスの首都パリ市街地の大通りであるシャンゼリゼ通りを歩いているようです。実際に大阪市長である橋下さんが御堂筋を本当にシャンゼリゼ通りにしてしまう(ビルの1階にお店を出すと税制面で優遇するなど)構想を作っているみたいです。




御堂筋と鰻谷南通りが交差している「御堂筋鰻谷交差点」です。この交差点から鰻谷通りを入ってすぐの場所に「心斎橋ロフト・心斎橋パルコ」の建物が建っています。そして、ここから御堂筋に面して大丸心斎橋本店の北館・本館の脇を散策していきます。




御堂筋の鬱蒼としたイチョウ並木を挟んだ対岸には西日本発祥のファッションビルである「OPA(オーパ)心斎橋」が見えました。ファションビルの中には若者向けのブランドのショップが多く入居しています。




大阪(心斎橋・梅田)・京都・神戸・東京・札幌の6店舗を主力として百貨店を展開している大丸百貨店の本店はここ心斎橋にあります。江戸時代に京都市伏見区で創業した呉服店 大文字屋がルーツとなっていて、明治維新後に呉服店から株式合資会社に転換します。その後昭和3年(1928年)に「大丸」と解消し、呉服店から本格的な百貨店へと移行しました。




現在の北館の建物は、かつて大丸本館と隣接していた「そごう心斎橋本店」のものでした。しかし、そごうの経営が厳しくなったことから心斎橋本店は大丸に売却されることとなり、2009年11月14日に「大丸心斎橋店・北館」として開業しました。これによって大丸の心斎橋本店は今までよりも2倍以上の店舗面積を保有することになれたのです。




御堂筋と大宝寺通りが交差している「御堂筋大丸前交差点」です。大丸本店や周辺の高級ブランドショップ、ファッションビルが周辺に密集しているので、ビジネスマンの人たち以外に買い物で訪れてる人の数が多くなってきました。




「御堂筋大丸前交差点」、かつてそごう心斎橋本店があった頃のこの交差点は「そごう大丸前交差点」と名付けられていました。心斎橋周辺の御堂筋の交差点の名称は、京都方式として「御堂筋○○交差点」が採用されていますが、ここ御堂筋大丸前だけは例外扱いとなっています。それだけ、大丸のお店は心斎橋地区の中では由緒ある存在なのでしょう。




御堂筋大通りの側道部分、大丸本店の周辺部分ではタクシープールと化しています。御堂筋のイチョウ並木は歩道2箇所と側道分離帯2箇所合計の、4列の並木道となっています。この御堂筋を全線が歩行者専用・緑地帯化する計画が進められているそうですが、完成すると一体どんな風景になるのか気になりますね。




重厚な雰囲気が漂う大丸本店の本館の脇を散策していきます。ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計によるアール・デコの重厚な近代建築のビルとイチョウ並木の組み合わせの景観は、いつ見ても本当に絵になると思います。銀座と心斎橋を同じ繁華街として比較してみると、賑わいや売上面では銀座の圧勝ですが、景観や洗練さでは心斎橋が大きくリードしていると思います。




御堂筋のイチョウ並木を引き続き南へ向かって散策し、次は道頓堀・心斎橋筋へ向かます。




地図の中心点は御堂筋大丸前交差点です。御堂筋をこの先南へ向かうと難波へ進むことができます。

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初秋の大阪:西日本一のスーパーブランドブティック街「心斎橋」を散策する(5)

2012年09月24日 09時13分27秒 | 近畿地方の散策


長堀橋交差点から新橋交差点まで、長堀通りを散策していきます。長堀通りは相変わらず道路の幅が非常に広くて非常に歩きやすい道路です。長堀橋交差点から心斎橋方向へ向かって地下に「クリスタ長堀」の地下街が続いていますが、地上区間を散策していきます。




長堀橋から心斎橋・新橋までの区間の長堀通りはオフィスビル街の雰囲気が非常に強いです。バブル経済が終わる1990年代前半までは今以上にビジネス街の雰囲気が強い街だったのですが、バブルの崩壊以降はオフィスのテナントに空きが見られる状態がしばらく続き、その後空いたスペースに高級ブランドなどが入居する流れとなりました。




そのため現在の長堀通りは高級ブランドショップが集積している場所となっています。1997年(平成9年)の大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線の開業によって大阪市街地の東西から心斎橋へのアクセスが容易になったこと、日本一の広さの地下街である「クリスタ長堀」の開業によって商業スペースが爆発的に増えたことから心斎橋で買い物をする人の数がこの10年くらいで増えたそうです。




「三休橋交差点」に到着しましたが、ここで長堀通りは「三休橋筋」と交差していきます。御堂筋と堺筋、大阪市街地を南北に縦断している二つの大通りに挟まれた通りが三休橋筋であり、緑も一度この通りを歩いてみたいです。




三休橋交差点そばの長堀通り沿いには1999年(平成11年)に開業した「東急ハンズ心斎橋店」が見えました。大阪の街を散策していて、東京資本のお店などを見かけると何となくホッとしますね。




道路名の由来となった三休橋が長堀川に架けられていたが、1964年(昭和39年)に長堀川の埋立に伴い撤去された。三休橋の名称の由来は、長堀川に架かる橋の中で往来の多い心斎橋・中橋・長堀橋の三橋を休めるための橋と言われています。




三休橋交差点を渡ってひたすら心斎橋・新橋方向へ向かって歩いていきます。歩くに連れて段々人通りが増えてきたように感じました。




南船場や堀江、島之内といった地域に囲まれている心斎橋地区ではエリアの全域に渡って数多くのお店が出店しています。特に御堂筋や長堀通りといった大通り沿いには海外のスーパーブランドブティックのお店が大変多く、店舗の面積も東京の銀座や青山と比較すると非常にゆったりとした作りとなっています。




その原因は、東京と比較すると土地の値段が安くて非常に広い店舗面積やスペースを確保できるからであると言われています。実際に心斎橋と銀座にある同じブランドのお店を比較すると、心斎橋にあるお店の方が広々としているように感じました。




「ZARA(ザラ)大阪心斎橋店」が1階に入居している「ラ・ポルト心斎橋」の建物の脇を通り抜けると、いよいよ長堀通りは「心斎橋筋」と交差していきます。心斎橋筋周辺は人通りが非常に多く、心斎橋周辺の中では一番賑わっているように感じました。




長堀通りと心斎橋筋が交差している場所には、もともと「心斎橋」という名前の橋が架けられていました。長堀川を開削した民間人4名のうちの1人、岡田心斎が長堀川両岸に沿うこの町の往来の便のため、南北に橋を架けたことが名前の由来になっています。江戸時代は木橋でしたが、明治時代に2度架け直されました(明治初期に鉄橋として生まれ変わり、その後明治42年に野口孫市の設計によって石造橋に架け替えられ、壮大な渡り初めが行われました)。




高度成長期に長堀川が埋め立てられたことによって心斎橋は撤去されました。1997年(平成9年)にクリスタ長堀が完成した際、もとの心斎橋の位置に石造橋の一部がガス灯と共に復元されます。親柱、四つ葉のクローバー型の装飾のある欄干は建造時のもので、橋名・架橋年月・石工棟梁と石材提供人の名が刻まれています。クリスタ長堀の天井部を川に見立て、長堀川の水面が再現されています。




長堀通りに面した心斎橋筋脇には日本初のグローバル旗艦店である「ユニクロ心斎橋店」の特徴的な建物が建っています。2010年10月に「世界に向けた店舗デザインやレイアウト」を特長とする“世界視点”が日本に逆輸入される形で、大阪の心斎橋に世界で5番目のグローバル旗艦店としてオープンしました。ちなみに2012年3月には世界で9番目のグローバル旗艦店である銀座店が東京の銀座でオープンしています。




「グローバル旗艦店」とは、簡単に言えばユニクロが展開している全てのブランドを全て取り揃えている店舗であるということです。この心斎橋店は地下1階から地上4階までが全て衣料品売り場となっています。心斎橋地区の中で一番人通りが多い心斎橋筋の脇に有り、また地下鉄心斎橋駅前の立地条件であることから多くの人たちで賑わっていました。




次は再び新橋交差点から御堂筋を南へ向かって散策していきます。




地図の中心点は「三休橋交差点」です。

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初秋の大阪:西日本一のスーパーブランドブティック街「心斎橋」を散策する(4)

2012年09月23日 10時22分51秒 | 近畿地方の散策


周坊町通りは途中で「心斎橋筋」と交差していきます。交差点前には2010年4月に関西地区で初出店した「クリスピー・クリーム・ドーナツ心斎橋店」がありました。大阪ステーションシティのノースゲートビルディング内にも確か同じお店があったことを覚えています。




石畳の道路である周坊町通りを堺筋方向へ向かって散策していきます。周坊町通りは御堂筋から堺筋にかけての区間は「ヨーロッパ通り」と呼ばれていて、アメリカ村周辺よりも幾分落ち着いた雰囲気が漂っています。若者向けのアメリカ村と比較すると、この辺りはもう少し大人向けのお店が多いです。




衣料品店だけではなく、飲食店や商店、中層マンションなどが密集して立ち並んでいる街並みが周坊街通りに沿って延々と続いています。この辺は大阪市中央区の「東心斎橋1丁目」地区と呼ばれています。




平日の昼過ぎですとほとんど人通りが見えなかったですね。緑はあまり好きではありませんが、大阪市街地を「キタ」と「ミナミ」の二つの地域に分ける考え方が存在します。ここ心斎橋はキタとミナミのどちらかなのかいつもよくわからなくなりますが、多くの人たちは心斎橋はミナミであると判断している感じです。




御堂筋周坊街交差点から約500メートルほど歩くと、周坊街通りと堺筋が交差している「堺筋周坊町交差点」に到達しました。この先は堺筋を北へ向かって散策して長堀橋へ向かいます。




堺筋を北へ向かって散策していきます。この境筋は東心斎橋地区と東側の島之内地区の境界線となっている大通りです。周辺はオフィスビル街の中に中層マンションや事務所が混在している雰囲気が非常に強いです。




堺筋は御堂筋と同様、北向きの一方通行となっています。




東心斎橋地区の東縁部を南北に縦断している「堺筋」は、江戸時代の船場において堺へ出る道であったことから堺筋と呼ばれ定着しました。心斎橋地区というのは大阪のビジネス街・金融街である淀屋橋・本町を中心とした船場から堺や泉南、和歌山などへ続いている街道沿いに発展してきた歴史がある街なのです。




江戸時代から明治時代初期までの大阪の南北に伸びる大通りはこの堺筋でした。その後、昭和12年(1937年)に西側に並行して伸びる御堂筋が建設されたことから、商業の中心はこの堺筋から御堂筋へと移っていった歴史があります。




御堂筋ほどではありませんが、堺筋も結構交通量が多かったです。




前方に長堀橋交差点が見えてきました。




堺筋と長堀通りが交差している「長堀橋交差点」に到着しました。交差点の周辺はオフィスビルやビジネスホテルなどが密集しています。この交差点の地下には大阪市営地下鉄堺筋線と長堀鶴見緑地線の「長堀橋駅」があり、大阪市街地の東西南北方向へ向かうことができます。




長堀通りは高度経済成長期まで都市運河であったことから、心斎橋や四つ橋と同様に、この場所には「長堀橋」という名前の橋が架けられていて、堺筋は長堀川を渡っていました。長堀川は寛永2年(1625年)に大阪夏の陣によって荒廃した大坂の街において、東横堀川と木津川とを結んで延長約2500メートル、幅員30~40メートルの長堀川が開削されました。




長堀橋はこの長堀川に最初に架けられた橋で、公儀橋の一つでした。公儀橋とは江戸時代に江戸、大阪、京などで、江戸幕府の経費で架設、架け替え、修復が行われた橋のことです。大阪市内では旧淀川に架かる淀屋橋、天満橋、天神橋などや、京街道の京橋、起点である高麗橋などが指定されていました。




長堀橋は昭和39年(1964年)に長堀川の埋め立てによって撤去されましたが、橋の名前は交差点の名前や地下鉄の駅名として残っています。次は、長堀通りを心斎橋方向へ散策していきます。




長堀橋交差点のある場所に長堀通りの地下街「クリスタ長堀」の東端部があります。

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初秋の大阪:西日本一のスーパーブランドブティック街「心斎橋」を散策する(3)

2012年09月22日 14時32分27秒 | 近畿地方の散策


四つ橋筋の「四つ橋ランプ西」交差点から「周防町通り」へと進んでいきます。阪神高速道路の高架橋の下をくぐるとその先は若者向けの衣料品店が密集している「アメリカ村」と呼ばれている界隈となっています。心斎橋周辺を中心とした大阪市街地の中心部は街並みが碁盤目状に整備されているので、位置関係を考えながら散策すること自体は難しくはないです。




世界的なスーパーブランドのブティックが御堂筋・長堀通り周辺に集まっているのに対し、大通りカラス恋離れた場所には若者向けの「アメリカ村」「ヨーロッパ村」などの町並みが形成されています。東京の銀座が中央通りを中心とした「線」に沿って繁華街が発達しているのに対し、こちら心斎橋はエリア全域に「面」として広がっているのが特徴です。




まるでJR原宿駅前から伸びている原宿竹下通りを歩いているような感覚に囚われます。平日の午前中ですと人通りはほとんどありませんでしたが、どの店舗も営業自体は行われているようでした。この周坊町通りがアメリカ村の実質的なメインストリートということになります。




衣料品店に混じってホットドッグなどアメリカナイズされた飲食店も見かけるので、本当にアメリカの街を歩いている感じですね。戦前のこの辺りは料亭があるなど格式のある町並みだったのですが、1969年に日限萬里子が喫茶店「ループ」を開き評判を集めます。以降、倉庫を改造してサーファーの若者などによりアメリカ西海岸やハワイなどから輸入した衣服類が販売されるようになります。




原宿というよりも、渋谷センター街の雰囲気も強く感じました。「東急ハンズ」のようなファッションビルがすぐそばにあっても全然違和感がないですね(ちなみに、心斎橋周辺で展開している東急ハンズの店舗は長堀通り沿いにあります)。 




クランク上のカーブを作っている周坊町通りは御堂筋方向へ向かって一直線に伸びています。大阪市街地の小さな筋や通りは一方通行の規制が徹底されているようですね。




ファッションビル「心斎橋BIG STEP」の前を通りすぎていきます。本当に東京では見たことないようなファッションのブランドが多くて頭がこんがらがってきました。土日や祝日になると多くの若者たちで賑わうのでしょうが、平日の昼前はこんな感じなのですね。




御堂筋に近づくにつれて徐々にですが人通りが出てきたようです。最近ではJR大阪駅・梅田駅の百貨店増床やファッションビルの誕生、南側ではJR天王寺駅周辺が新たなファッションの街として生まれ変わりつつあるので、心斎橋周辺は今後厳しくなるのかもしれないです。




アメリカ村と呼ばれているエリアは大阪市中央区の「西心斎橋」と呼ばれている地域で、かつての西清水町・周防町・八幡町・三津寺町の御堂筋以西と西横堀川沿いの北炭屋町・南炭屋町の辺りです。 




「アップルストア心斎橋店」の建物が見えてくると周坊町通りは御堂筋と交差していきます。




「御堂筋周坊町交差点」に到着しました。正午前の時間帯に近づいているので、御堂筋周辺はビジネスマンの人たちを中心に、買い物客などが行き交っていました。




9月の初旬でまだ青々としているイチョウ並木を眺めながら御堂筋を渡っていきます。




周坊町通りはこの先、「ヨーロッパ通り」としてまっすぐ続いています。やはり御堂筋周辺は有名なお店ばかりが多いですね。




御堂筋を渡ると大阪市中央区の「心斎橋筋」「東心斎橋」地区へと入っていきます。石畳の道路、街灯、ショップのプランターなどヨーロッパの雰囲気を醸し出し、落ち着いた雰囲気となっています。御堂筋を挟んだアメリカ村と対比するとこちらの方が気に入りました。




途中で「心斎橋筋」のアーケード通りと交差していきます。




周坊町通り沿いのアメリカ村周辺は大阪市中央区の「西心斎橋1丁目、2丁目」と呼ばれています。


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