みどりの野原

野原の便り

12月16日 焼き物と陶器の町「常滑」② INAXライブミュージアム 世界のタイル博物館と企画展「和製マジョリカタイル展」

2018年12月16日 | Weblog

INAXライブミュージアムに着いたのは午後3時。

よく知らずに来たのだが、INAXライブミュージアムというのは
『「世界のタイル博物館」「窯のある広場・資料館」「土・どろんこ館」「陶楽工房」「ものづくり工房」「建築陶器のはじまり館」の6つの館からなり、ものづくりを見て、学んで、体験できる参加型の施設』だという。

広い敷地に建物がたくさんあり、窯業の煙突も見えた。

「世界のタイル博物館」へ。
 
  「世界のタイル博物館」 
『山本コレクションとINAX独自の資料による装飾タイルを展示公開し、来館者が「観て、学んで、発見」する、日本で唯一の研究博物館』 

  
  クリスマスツリー   青いタイルに縁取りされた常設展展示室に入る。

 
入口から1歩入った所 細かい丸いタイルが天井までびっしりと貼り詰められている。すごい!! 圧倒!!
 右)これはグレイペグという円錐形のやきものを土壁にモザイク模様に並べたもので5500年前のウルク人の装飾壁の再現との説明書き。 
円筒を輪切りにしたものを並べて貼り付けたと思っていたが、違った。
ウルク人はすべて手作りしていたというので、なおびっくり。

タイルの歴史がわかる。

神と信仰のため、不変で永遠の美を求めてタイルが生み出され、壮大な装飾が作られたのがタイルのはじまり。

  
  BC2650年頃の最古のタイル 
エジプトの世界最古のピラミッド「ジュセル王の階段ピラミッド」の地下空間に今も残っているという「魂のための扉」を再現 深い青のタイルが神秘的。 

 
 19Cのイスラームタイル貼りのドーム式天井(再現)  きれい!

タイルは壁や暖炉やトイレなど使用が広がり、ヴィクトリアンタイルは広く一般に使われるようになり、日本も近代化の中でイギリスタイルを学び発展させていく。

二階へ。


  階段の蹴込み部もタイル。

2階 山本コレクションなど世界のタイルを展示
山本氏はタイルに魅せられ「タイルのルーツを探る」ことをライフワークに世界各国を訪れて現地でタイルを蒐集。集められたタイル6000点を常滑市に寄贈されたのが、この博物館ができたきっかけとか。

メソポタミアで日干し煉瓦の装飾としてグレイペグが使われた。
日干し煉瓦から焼成煉瓦へ。そして施釉タイルへとたくさんの展示品

 
18~19Cのイランの多彩物語図組み絵タイル

 
モロッコのカットワークモザイク   モザイク部分
左の四角い1枚は、厚めの色釉タイルを粗く割って、ハンマーで縁を打ち欠き右のようないろんな形のモザイクを作り、それを組合せてある。全部手仕事との。ヒェ~! 気が遠くなる作業を思う。

パキスタン・シリアスペイン・・
金属光沢をもつものが出来たり、型押しでモザイク製法を簡便化したり、白地に多彩や藍彩やマンガン彩など・・

 
    白地藍彩タイル         白地マンガン彩タイル 紫色

 
   多彩レリーフタイル    イギリスのタイルメーカーのタイルの裏側を見せた展示も面白い。
イギリスのタイルメーカーといっても、ウエッジウッドしか知らなかった。

 
  チューブライニングタイル        単色レリーフタイル

イギリスでも産業革命以後需要が高まり、多様な様式のタイルが造られるようになる。
象嵌タイル・銅版転写タイル・チューブライニングタイル・単色レリーフタイル・多彩レリーフタイル・単色レリーフタイル・・たくさんの展示を見ていくうちに、「これは単色レリーフやね。これはチューブライニングや。これは組み合わさってるね・・」下の娘との会話。ちょっとわかってきた?気がしてきた??

技術が向上して大量生産ができるようになるが、手仕事が見直されるようにもなる。

日本でもイギリス・ヴィクトリアンタイルを模倣してタイルが作られるようになり、やがて、日本独自の発展をしていく。

 
瀬戸染付本業敷瓦 敷瓦とは『床や地面に敷く陶板のことで、タイルという言葉を正式に取り入れる大正11年頃までタイルに相当する呼び名の1つとして使われた』本業タイルは磁器と区別して陶器質の焼き物をいうそうだ。
       右)和製マジョリカタイル 多彩な色を用いて凸凹のレリーフを施した装飾タイル。

 
古代の敷瓦 仏教と共に伝来し、寺院の基壇や床に敷かれた。   
        右)大正から昭和中頃まで、銭湯の浴室の壁を飾ったタイル絵。

オランダタイルの製造工程などの展示もあった。

16:10 だいぶ時間が遅くなった。
企画展「和製マジョリカタイルー憧れの連鎖ー」を見に行こう。
敷地内にある「土・どろんこ館」へ。

入ったところでは親子が、光る泥団子づくりをしていた。おもしろそう。

さて、企画展示の協力者への謝辞のパネルに上の娘の名が出ている。
タイル好きであちこちタイル探訪に出かけているが、海外へも何度も行っていて、今回、台湾でお知り合いになっていた台湾花磚博物館 館長 徐嘉彬氏を紹介し、台湾花磚博物館や台湾のタイルのすばらしさを紹介した。

 
台湾花磚博物館 館長徐嘉彬氏を紹介したパネル。オープニングイベントで来日し講演された。
  右)娘が台湾のタイルを紹介したパネル。台湾で撮った写真も。下には友人の文。
台湾花磚博物館はタイルのコレクション約5000点を有し、1500点を超える和製マジョリカタイルが展示されている。
徐氏は学生時代から、再開発が進んで美しいタイルが使われた建物が壊される前に、オーナーに交渉してクレーンでタイルを救出し、タイルに付いたモルタルなどの除去も独自研究をされた方法で美しく甦らせておられる。
約20年にわたり蒐集されたタイルはほとんどが20世紀初頭に作られたものだという。

日本のマジョリカタイル
日本で発展をしていった和製マジョリカタイル。
 
温泉や銭湯・遊郭を美しく彩ったタイル 
       右)マジョリカタイルが描かれたタイルパネル(タイルの中にタイル)
 
レリーフタイル・チューブライニングタイル 右)和製マジョリカタイル


   佐治タイルの販売網 
これを見ると、世界の隅々まで日本のタイルが運ばれていることがわかる。
近代化の流れの中で、イギリスタイルの模倣から始まり、日本独自に発達したタイルは世界各国へ輸出されるようになる。その背景には洋風建築が盛んになり、需要が増えたことと、技術の確率で高品質の国産タイルができるようになったことがあるらしい。


マジョリカタイルの回廊があった。 きれいだがプリントしたものだ。
でも、この中に「本物」が混じっていて、それを来館者に探してもらおうというなかなか楽しい企画だ。
残念ながら時間が少なくゆっくり探せなかった。

ミュージアムショップに立ち寄っていたらもう17時。駅へと急いだ。

娘との旅ではマラッカでも台湾でも街中のタイルを見る。
今回はタイルの歴史や技術も少しはわかって?、
次に行くときには(誘ってくれるかな?)今までより少しは見方がわかるかな? 
娘はこの連休も「台湾に行って徐さんにもあってくるよー」と旅立った。
時間があれば、もっともっと見たいところもあったINAXライブミュージアム・常滑の町だった。

INAXライブミュージアム企画展 
「和製マジョリカタイル―憧れの連鎖」  
【会期】 2018年11月3日(土・祝)~2019年4月9日(火) 
【会場】 INAXライブミュージアム「土・どろんこ館」企画展示室

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12月16日 焼き物と陶器の町「常滑」 ① 街歩き

2018年12月16日 | Weblog

娘2人と常滑へ。次の記事②のタイル展(娘が関係している)が目的ではあるが、初めての町、常滑を歩くのは楽しみだ。


 初めて乗ったアーバンライナー

名鉄常滑駅からほどなく丘が見える。そのあたりが昭和頃まで製陶が盛んだった地域だという。
『常滑焼きは平安時代末期ごろから茶の湯や生け花用の陶器作りが盛んであったが、明治以降、土管や洗面器や便器などの製作が盛んになった』原料の土の鉄分で赤く発色するのが特徴らしい。

「やきもの散歩道」のコースを歩くことにした。

 
丘の麓に差し掛かったところにある「常滑・招き猫通り」山の斜面のタイル絵と招き猫が迎えてくれた。

斜面の壁にたくさんの招き猫 
開運招福 夫婦円満 病気平癒 家内安全はもちろん 悩み解消 ペット守護 地震息災 産業繁栄 出世 ボケ封じ 禁煙などユニークな招き猫が並ぶ。
  
美人祈願の招き猫があったのでお願いしておいた。手遅れ?? 
            中)旅行安全の招き猫   右)禁酒の招き猫(私と関係はない)

案内に沿って坂を登る。(写真は必ずしも道順通りではない)

 
坂道の両側には陶器の土管や焼酎瓶。道路も陶器の廃材?を埋め込んだ模様入り。

 
穴あき陶器(これは何をするものか)   陶片を埋め込んだ道

 
途中にあった「廻船問屋瀧田屋」見学するには時間不足で通り抜け。右)曲線の擁壁

  
土管だの陶器の半端もの?だの器だの何でもありにくっつけた石垣(陶壁といえばいいのか?)笑ってしまう。
ぐちゃぐちゃでありながら、調和がとれていて美しく見えてくるからおもしろい。 
                        
     
焼酎瓶を埋め込んだもの。隙間に植物も生えてすっかりなじんでいる。

 
四角い土管は地下に埋設するものか? 小学生の陶板 陶器の町の小学生らしい記念作品
甕や土管や陶器物があふれて、壁や植木鉢やいろんなものに利用されている。

 
     白いツバキ        陶器の上で日向ぼっこ 猫は本物です。

 
昭和の初期にもっとも盛んだった窯業も、多くは廃業され、名残の煙突や窯跡が見られる。
また、その頃の建物をショップ・ギャラリー・工房・アトリエ。土産物店などに活かして利用しているところも多く、落ち着いた街になっている。

  
「倒焔式角窯」の立札の立った窯跡 焚口や煙突が残る。
説明版によると『S33年築造。酒・酢・ソースなどのⅠ斗瓶や漬物用の甕を製造 
S38年頃からは水道用厚陶管を焼いていたが、S47(1972)末に使用中止した』 
この頃に多くの製陶会社が廃業されたのかも。

このあたりが、ギャラリーやカフェなどが集まる中心部のようだ。

 
パスタを食べた店の前 埋め込まれた色絵のタイルが楽しい。
                 右)土産もの店の奥の部屋は、元は窯だったところ。
ここで娘たちは小さいタイル片を,また、坂の下のショップでは布の小物を購入。
私はなぜか棕櫚たわしを購入。やきものの店に入ると、魅力的な食器や鉢などが並ぶが、甥が陶芸家だし、娘は自分で作ったりするし、私も必要以上にものを増やさないようにして目の保養だけにする。

 
      金魚鉢             これも金魚鉢

国の重要有形民俗文化財に指定されている登り窯(陶栄窯)
説明版によると、常滑に登り窯が導入されたのは江戸時代だそうだ。
それまでは、斜面に細長く伸びた単室の窯だったが、焼きむらがでるなど効率が悪かった。
登り窯は斜面に複数の焼成室を作り、熱効率もよい。

 
正面並ぶ6つの焚口。かつては薪や松葉で焚いていたが、次第に石炭が使われるようになる。
   右)窯の両端に設けられた通路(搬入路)各焼成室の両横には「出入口」がある。


出入口 ここから成形したものを搬入した後、封をするが、焚口を残し木材の端材や松葉などを投入した。
主焚口の石炭と併用した折衷式が一般的となっていった。


 登り窯の最上部に立ち並ぶ煙突

陶栄窯は焼成室が8つもある大きいものだが、明治末期にはこの規模の登り窯が60基ほどもあったという。

たくさんの窯から煙が登り立つ風景を想像する。
その後、石炭窯が主流となり登り窯は急激に減り、最後に残った陶栄窯もS49年1月を最後に操業を停止した。

散策道を離れてINAXライブミュージアムに向かう。  長くなったので次②に続く。

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