みどりの野原

野原の便り

1月19日 ②炭焼き釜その後、

2007年01月21日 | Weblog
飛鳥めぐりの後、気になる炭焼き釜を見に行った。
だいぶ様子が変わっている。
 
   19日火を止めた炭焼き釜全景


      木酢液用竹筒

以下は見たこと・聞いたこと

先ず、見た目は、入口に羽目板のような板が5枚はめられている。
トタン屋根の後ろの方には半分に割られた長い竹が合わせて取り
付けてあるのが見える。



(以下は最初から最後まで関わられたKさんの炭焼き日記を参考
にさせていただきました)

(1月14日)炭焼きの火入れが行われた。
火入れの前にほうらく(焼き固めた土の天井のこと)の上の灰を取
り除き、煙突を取り付ける。

焚き口から火を焚くと、滝口の上部に積んだ燃料用薪が燃え、奥の
太い原木の上に乗せた柴(バイタ)に燃え移り原木の方へと火が移る。
そのころ天井の天穴・耳穴(奥に天穴1箇所・手前に耳穴2箇所があけ
てある)も塞ぎ、焚き口も土管をさして入口を狭くし、煙突も半分蓋
をしたりして空気の量を減らす。

水抜き穴からは盛んに水が流れ出る。

そのまま一晩おき、
(1月15日)燃えすぎないように煙の色を見ながら空気量を微調整しな
がら焚く。
火入れから30時間ぐらい経った頃、煙の色が薄くなり、そのまま一晩
置く。

次の朝、(16日8時)煙の色を見て火を止めた。
このタイミングが難しく「親の死に目にも会えない」といわれるゆえん
だ。

釜は土で密封し、このまま冷ます。
(入口に羽目板を取り付け、入口との隙間には土を入れ、撞き固めた
という)

煙を樋を通った煙は、冷えて木酢液となって流れ落ちたものを下で受け、
バケツに何杯もの木酢液が採れたそうだ。

炭の取り出しの日は未定。どんな炭が出来ているか楽しみ。

もう1つ大きい変化、炭焼き釜に立派な屋根を付け、釜のそばには立派
な小屋?が出来るとかで、ごっつい基礎がしてある。

今のままの方がずっと素朴でいいと思うけど。

立派な=無粋な施設にならないように願う。
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1月19日 ①飛鳥めぐり

2007年01月20日 | Weblog
里山歴史クラブの今年はじめての活動として、飛鳥めぐり。

横道、裏道をよく知っておられるのにはいつも感心する。

もちろん歴史の説明を聞くのは楽しいが、ちっとも頭に入らないのが悩みの種で、
大きい声ではいえないが、歴史クラブの私の一番の楽しみは歩いたことのない道
を歩くこと。
ただ、これもちっとも覚えられない。

今日もどこかの家の横をひょいと曲がったり、細い田んぼ道を入っていったりし
ながら、横王路跡~飛鳥京跡苑池~飛鳥東垣内遺跡~竹田遺跡~飛鳥寺の講堂の
礎石などをまわった。

飛鳥は普通に見ていても、残っているものは少ない。お寺も火事で焼けたりして、
もとのまま残っているものはほとんどない。
しかし、いたるところに遺跡として残っている。

稲刈りの終った冬場は発掘シーズン。調査が済めばまたもとの田んぼに埋め戻される。

この間も見に行った飛鳥時代の高級官僚の屋敷跡と言われている竹田遺跡も、
今日はすっかり埋め戻されていた。

飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)の前は一見何もないけれど、説明を聞いて
見ると、少し細い田んぼがあり、そこは土木工事が好きな?斉明天皇が7万人?もの
人々を動員して作らせた渠(みぞ)の跡で、人々が皮肉って「狂心渠(たぶれごころ
のみぞ)」と言ったという昔の運河の跡で、天理の砂岩を香久山辺りまでは川で、
そこからはこの運河を使って酒舟石遺跡のあたりまで運んだという。
そんな痕跡が田んぼの形として残っているのを見つけると面白い。

飛鳥はそんな遺跡がわんさか出てくる村だ。


田んぼ道の横に湧き水があることも教えてもらった。鉄分の多い水らしく、
赤茶色のどろどろが積もっていた。
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1月18日 三輪山に登る

2007年01月20日 | Weblog
里山野外サークル9人で桜井~三輪の大神神社まで歩く。
大和川ではコガモがのどかに泳ぎ、田んぼの中には家の近くではなかなか見つけられない春の七草の
ホトケノザ(コオニタビラコ)の柔らかな葉がたくさんあった。
畦道ではナズナやオオイヌノフグリやタンポポ、ホトケノザも花をつけ、春のよう。
朝から春のような陽気。上着はリュックの中へしまいこんだ。

金屋の石仏~平等寺~三輪大神神社へ。白いヘビの棲むという巳の神杉がどっしりと立ってていた。
しめ縄は針金でしっかり巻いてある。サガリは変わった形だ。

   
          巳の神杉                  大三輪神社のしめ縄
門前でにゅうめんと柿の葉ずしの昼食の後、計画にはなかったが三輪山に登ろうかと言うことになった。

三輪山には だいぶ前にガールスカウトの仲間と登ったことがある。

狭井神社のおみくじなどを売っている所に入山登拝受付があった。
代表者が住所氏名電話番号を届け、入山料300円を払い、三輪山参拝証と書かれたタスキと杖を借り、
神聖な神の山であるので、写真を撮ってはいけない。山を汚さないように。騒がないようにとの注意
を受けた後、いよいよ鳥居をくぐり山へ入る。
       
       三輪山参拝証のタスキ                   登山口

登山道は意外とゆったりして木で足場も作ってあったり、前来た時よりはだいぶ整備されているようだ。
けれど、だんだん登るにしたがって急坂になってきた。山には常緑樹が多く、コシダやウラジロやシダ類
も多い。ハナミョウガの赤い実がたくさんあって美しい。

途中に行場がある。滝のそばには男女別に着替所がありゴムぞうりが置いてあった。
前来た時、このあたりにオオバチドメらしい大きいチドメグサがたくさんあったなあ
とキョロキョロしてみるが、それらしいものは見当たらなかった。

ぬかるんでいて足元の危ないところでは、誰かが滑った跡もある。
気をつけようねと言い合う。

だいぶ登ってきた。こんなに時間がかかったっけ?そのあたりの記憶はない。
しめ縄がかけられた大きい石が登る途中にいくつかあった。

カラスザンショの木が増えてきた頃から私の中に違和感が広がってきた。
前にはなかったように思うけどなあ。道を切り広げたから?

だんだん空が近く明るくなってきた。頂上が近そうだ。
小さい社があり、100メートルほど登ると「奥津磐座(おくついわくら)」があった。
しめ縄をめぐらした巨岩の周りは杭で囲こってある。ここが山頂か。
登山口から1時間かかった。

なんか前の印象とちがうなあ。やけに明るい感じ。あっけらかんとして神の山の感じがしない。

なぜかわかった! 頂上付近に大きい木が見当たらないのだ。小さい木ばかりだ。
立ち枯れた木が何本か見える。dそういえば途中大木が倒れていたなあ。
多分原因は10年ぐらい前?の台風のせいだ。大木がたくさん倒れてしまったんだ。
途中から目立ったカラスザンショも納得できる気がする。

磐座(いわくら)の石ももっと大きく、囲いの柵ももっと立派だったように思うのは記憶違いか?

帰りは滑らないように注意しながら下る。
山をほとんど下りて来たあたりに柿の葉ぐらいの茶色くなった薄い落葉が落ちていた。
なんだろう? ひょっとしてと思って葉をゆっくり破ってみるとわずかに糸をひく。
トチュウ(杜仲)かな? わからない。自然のものか、植えたものか、違うものか。
誰かに聞いてみよう。

結構急な山だったと思ったら、三輪山の標高は467メートルあるそうだ。
写真が撮れなかったのは残念だった。

降りたところにある狭井神社は三、輪山から湧き出る霊泉が有名で、ご神水がいただける。
ここも押しボタン式の近代施設に変わっていた。



帰ってから前に三輪山に登ったのはいつだったか調べると 平成元年10月13日とある。
18年もまえだった。
メモの目次を作ってあるのでいっぺんにわかった。
次にその時のメモを見たら「山頂に巨大スギ・キノコいろいろ・オオバチドメ」とごく簡単に書いてあった。
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1月17日 富田林奥ノ谷①

2007年01月18日 | Weblog
自然環境市民大学の卒業発表に向けて、各班に任された企画運営
先週は田淵先生のお話も聞き、奥ノ谷の保全に役立つ
「湿地と道路の間の柵作り」を我が3班のテーマに決めた。

でも、そんなたいそうなもの私たちでできるの?すごく不安。
そんな気持ちを表すように今日は朝から冷たい雨。どうすんの?
しょうがない。やるしかない。滝谷不動の駅で雨装束を整えた。

幸い現場の拠点「ミカン小屋」の作業場所に着いた頃から雨は小止
みになった。

ナタ、ノコギリ、ノミ・カケヤ等の道具や、作業台もすでに小屋から
運び出されている。
作業を始める前にヘルメットを着用してください。と言われ、ヘルメ
ットをかぶり、皮手袋をはめるとカッコウだけは一人前になったぞ。

先ず、タケとヒノキの切り出していい場所を田渕先生に案内してもら
った。
ずいぶん急なところばかりだ。

その後、どんなものを作るか案を出し合い、どんな材料がいるか、
どんな手順でするかなど話し合う。
Mさんデザイン案でやることに決まる。

80センチ間隔に打ち込む杭のサイズは100センチ。その内40センチは
地中に埋める。
その上の20センチは草刈り機も入るよう間を空ける。その上40センチ
の間にタケの小枝を挟んだタケを上下2段につける計画だ。

とりあえず今日は杭作りを出来る所までやることにする。

先ずは柵を作る現地を見る。

この道路と湿地の間に柵を作る予定

限りある日にちで(今日を含めて3日)どれぐらいできるものやら・・
最低直線の部分10メートルができれば。欲をいうと15m。本当はもう
少し頑張って20メートルできれば最高だ。
目標は高く20メートル。

杭の木は、時間の関係もあり、すでに切ってある木も利用させてもらう
ことにし、山から木を降ろしてくる。
Nさん2本も担いで降りてきた。さすが若者!

皮の着いたヒノキの皮むき。
木の根元側の皮の間にナタを入れ、皮を引き上げるとお・お・お 見事
に皮がむけていく。
ただし、これは夏に切ったからだそうだ。切る季節によっては水分の
関係かこううまくむけないらしい。 
(だから炭焼き釜の時は刃物を使ってむいていたのか)


他の班は、午前中いろりの部屋で相談してる班。どこかへみんなで出か
けた班もある。
何をするのか気になるが、それどころではない。

田淵さんがをたいて下さった焚き火を囲んででお弁当を食べた。
今日は寒さはそんなに感じないが、焚き火の火は心をホッとさせる。

昼からは本格的に作業開始。

       
皮をむいた木を1メートルに切り、切り込み用の印をノコでつける。 次にノミを使って2箇所切り込みを入れる。

次々と杭が切られて、ノコギリを引く手もだるくなってくる。
ノミで切り込みを入れるのも節があってやりにくいのもある。

田渕さんの助言を受けながら、それでもこのころには皆調子に乗っ
てきて、それぞれの作業を一心にこなしている。頼もしい姿。
Tさんも男性陣に負けじと切ったり削ったり頑張ってます。
私も仕事の合間に写真班の役目(写真の合間ではありませんよ)

杭の先を削る。ノコギリで試してみたりしたが、結局はナタで削る
のが早そう。
つぎつぎと完成品ができていく。

この作業も見てると簡単。理屈も簡単。だけど見ると
やるとでは大違い!
ナタは逃げるしなかなか思うように削れない。私の手元を見てると
見てられないのか、つい助け舟がでてくる。
くやしー!うまくなりたーい。

ようやく31本の杭が完成! 


最後はちゃんと道具のお手入れもして(拭いたり、歯ブラシで汚れ
を取ったり、油をスプレーしたり) ヘルメットもアルコールを
たっぷりとスプレーして片付けた。


ここまで出来るとは思わなかった。
お天気も持ち直してほんとによかった。
みんなの力に満足して帰途についた。

今夜はよく眠れそう・・・



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1月14日 探鳥会

2007年01月14日 | Weblog
ここ2,3日のブログはちょっと文が長くなったので、写真をせめて
2枚横に並べたつもりだった。確かにプレビュー画面では並んでい
るのに、今見てみたら1枚ずつ縦に並んでいる。
まだまだ慣れないし、扱いがわからないところもある。

さて、今日は関西自然観察会の新年始めての観察会で奈良での探鳥会。

久しぶりに甲府から夜行バスで参加のMさん、津市からのKさん、
京都からW先生他。
最年少はすっかりおなじみになった小4(5?)の男の子。大学生の
S君から最年長は一番の元気者80歳ぐらいのTさんまで、参加者は
49人の大盛会になった。

コースは興福寺~荒池~飛火野~大仏池 鳥博士のSさんを講師に、
ほんの2時間ぐらいの間に
ニュウナイスズメ・シジュウカラ・エナガ・アトリ・イカルチドリ
・セグロセキレイ・イカル・カイツブリ・カルガモ・コガモ・カワ
ラヒワ・ツグミ などが観察できた。

私の双眼鏡ではシルエットにしか見えない鳥も、プロミナーのお蔭で
細かい胸の模様まで見ることができた。
大阪ではあまり見られないニュウナイスズメも群れで、アトリも群れ
で見れた。イカルのいい声も聞けた。

お昼は年始めの会食を楽しんだ。
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1月13日 炭焼窯作り5日目 

2007年01月13日 | Weblog
いよいよ今日、炭焼き釜に火が入る。
今日は他の用事をパスして、点火の瞬間を見ようといつもの3人で
やってきた。

点火を見たら帰って家の用事をしよう。

9時半到着。釜の上はまだくすぶっている。

聞けば、予定では籾殻がすっかり燃えているはずが、まだ燃え残っ
ており、予定通りの作業が出来ないとのこと。
せっかく来たのになあ・・

昨日皮をむいていたヒノキの丸太を釜のドームの4隅に立てている。
丸太の太さに穴を掘る時に面白い道具を使っていた。
2本のスコップをハサミのようにしたもの。土に突き立てて掘り、
はさんで土を取り出す便利物。
はじめて見た。
   
    電柱スコップというらしい
建てた柱の一方の上部は、横の梁?(これも皮むきヒノキ)の丸太
を載せるために面白い切込みが入る。
もう一方の柱の上部はまた違って、切り口をチェーンソーで丸みを
つけるように削られる。おもしろ~い!

その上に太いヒノキの梁が乗せられた。そして柱と梁の固定方法が
またユニーク。
割った青竹を火であぶり、梁の丸みに合わせて曲げ、柱に針金で
くくる。

 
こんなやり方があるのか!昔の人はえらい!それが伝わって使われ
るのもすごい!
だから見に来ずにはいれないんだよね。毎日。

でも、もう帰らねば。家の用事も溜まってるし・・・
11時 またまた心を残して帰るのであった。
明日からはそうそう見にこれないなあ。
「もし見に来たら写真撮っといてや」「教えてや」2人に頼んでおいた。

やっとブログ追いついた。

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1月12日 炭焼き釜作り4日目

2007年01月13日 | Weblog
今日は朝から夕方まで参加。
「勝手にマドンナ3人組」の私たちは火入れ式の時のぜんざいの準備を頼まれている。
コンロや鍋もすでに用意されている。

シートが外されると、釜の上は土の山になって、針金が何本も出ているのが見え、
入口のレンガはごっつい丸太で支えられている。
土の下はどうなってるの?この針金は何?


昨日午後の作業内容(聞き書き)
釜に詰められた太い生木の上に藁と小枝を乗せた(ここまで昨日)上に①ドーム状に
くくった柴 ②ムシロ③金属の桟?(名前がわからない)それに針金がつけてある
③一番上に土の順番で山になっている。針金は梁を渡して取り付け、天井を吊ると
いう安全策だそうだ。
入口のレンガのきわにL字鋼を立てて補強し、さらに丸太も補強に使用。
強度や安全策に気を使われている。この辺の土はあまりよくないそうだ。

「来てや~」と声がかかり、ドームの土を踏み固めるよう言われる。
体重でお手伝いができるなら任せて! 
ふるいにかけた山土は踏むとフワフワして気持ちよい。だんだん締まってくる。

天井が落ちたら大変。時々厚みをチェックしながらカケヤで叩いてしっかり土を固める。
大事な作業だ。最初は厚み15センチぐらいのあった土が10センチぐらいになる。


その上に葉付きの枝がどっさり積み上げられた。
さらに束を解いた稲の藁が並べられドームを覆って出来上がり。
2:30いよいよ火入れの式が行われる。
いつの間にか釜の前には野菜や果物がそなえられている。
藁にお神酒が注がれ、公園館長の挨拶に続き、炭焼きの成功、作業の安全を祈願する
祝詞があげられ、昆布茶で乾杯。朝から準備していたぜんざいも振舞われた。
   
まもなく釜の上の藁に点火。先日来の好天気でいきおいよく燃え上がった。
小枝を燃やして、かぶせた土(釜の天井)を焼き固めているとのことだ。

周りの山への飛び火を警戒して、男の人たちが山側に待機して見守っている。

燃えさかる火に時々藁がかけられる。燃えた藁灰が沈んで火を抑える目的があるそうだ。
不思議な気がする。昔からの知恵なのだろう。

もう少し火がおさまったら、上に籾殻がかけられる。さらに土が強くなるとのこと。

今日の作業はこれで終り4時過ぎ解散となる。
今晩は何人かが火の番をしてくれるそうだ。ご苦労様。

明日はいよいよ炭窯に火が入る予定だ。







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1月11日午後 栢森 雌綱掛け替え

2007年01月13日 | Weblog
午後1時すぎ栢森へ着く。もう見物客も何人か来ていて、作業場はすぐわかった。
作業場の倉庫にはお綱掛保存会の法被を着た当番の村の人も9人ぐらい来ておられ、藁の準備が始まって
いて藁クズや藁束が積まれていた。
 
まもなく川に掛け渡す太い綱を編む用意が始まった。倉庫の柱に立てかけたハシゴに出来た綱を掛けて
いくらしい。3人が編み始めた。編み方は男綱と同じようだ。1回1回藁を継ぎ足しながら編まれる。70メートル
あまり編まれるそうだ。


もう一方では藁束を使ってシンボル作りが始まる。
藁束の根元をしっかりくくり、根元を上にし均等に藁先を広げ、そこに藁クズを乗せて丸く形作っていく。
言えば簡単だが、なかなかむつかしそうで何回もやり直されている。
    
年配の方2人で苦労しておられるのをそばで見ていた私たちは思わず「手伝いましょうか?」と手を添えた。
それからは私たちも一緒にああやこうやいいながらやり始めた。「これは女の神さんやから女の人の方がうまく
いくわ」とか言われて・・・やっとなんとか形作り、紐で仮止めし、その上に縄を掛けた。藁の先は細い竹ヒゴで
押さえた。
尖った先は紐を巻きつけて細くされ、下の中心に竹串に挿したハッサクを突き刺して女性シンボルは出来上がり。


あとは両側に垂らす細い縄。奥で長老のような方が1人でなっておられた。聞けば細縄は3本いるという。
これも手伝うことになって、「うまいもんやがな」とかおだてられ、3メートルぐらいの縄をTさんと私と1本ずつ編んだ。
年末にしめ縄作りで教わった縄づくりがこんな所で役立とうとは。

途中一息入れてお酒が振舞われ、すすめられたが、残念ながら車で来ているので辞退。
お酒は少し入ったが、淡々と作業が続き、さすがは昔からの神聖な行事だなと思う。

見物客は稲渕よりも多いようだ。
太い綱も出来た。私たちがつくった細縄も取り付けられた。
太い綱は稲渕の雄綱と違って継ぎ足した藁の根元を切らないらしく、綱がぎざぎざと龍のようだ。
サカキと御幣も付けてぐるぐる巻きにされ準備完了。


青竹の先を4つわりにして元をくくり、竹ヒゴにミカンを4つ突き刺し、それを4つにまとめたものを割った青竹を
広げた竹の節のところで止めたミカンの飾りもできた。

4時過ぎ、竜福寺のお坊さんも来られいよいよ綱が運ばれる。
先頭にお坊さん次に長老のMさん 後ろにぐるぐる巻きの綱に棒を通して担がれ、シンボル・ミカン飾りと、
今日雌綱作りにかかわった村人達や観光客が続く。少し下流の福石の所で綱掛神事が行われる。
Mさんの編まれた縄は福石に掛けられる。
綱にお神酒が掛けられ、神事が始まった。お経が唱えらる。
稲渕の雄綱は神式、雌綱は仏式で掛け替え神事が行われる。作業の時に聞くと「昔は稲渕もここも同じ日
やったが、飛鳥には神官が1人しかないから、仏式でするようになった」とのこと。
初めて聞いた。
 
それから古い綱を山の上からはずし川向こうの山の方で引っ張る。古い綱の端に今年の綱を結びつけ川を渡す。そして川岸でシンボルと御幣がつけられる。
こちら側は山の上から垂らした紐に今年の綱のこちら側の端を結び、引っ張り上げる。
両方を引っ張ってシンボルがうまく川の中心におさまるのだが、川岸の木の枝に引っかかったりして、「ミカンが
落ちるー」ハラハラ。
だいぶあちこち引っかかってシンボルの藁が乱れたが無事綱が掛け替えられ拍手がおこった。もう5時だ。

私たちが手伝ったシンボルが揺れている。私たちが編んだ縄が川の上に垂れている。
感動的な風景だ。 ハイキングで歩いた時見てねー。

手先が凍るように冷たい。
5時過ぎ、思い出深い体験が出来たことを感謝しつつ、だいぶ冷え込んできた栢森を後にした。







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1月11日 炭焼き釜作り3日目

2007年01月12日 | Weblog
2日目の昨日は行けなかった。今日は午前中参加。

朝10時現場に行く。穴は深くなっていて、入口両側にレンガが積まれ、
下には焚き口が開いている。奥には煙道のレンガが見え煙突の穴には
土が入らないようにレンガで蓋されていて、すでに炭焼き釜の中には
太い生木が運び込まれている最中だ。
穴の奥から地中を通っているらしく、表の階段のところに水抜きの竹
筒が見えている。竹筒の中にはヒューム管が通してあるらしい。


昨日はレンガをつなぐ泥ダンゴ(ねこ)作りで手が痛くなったと言い
ながらも今日も参加しているTさん。
私も連日で大変だけど、どうなっていくのか見たくて楽しみで、昨日
のように来れない時は本当に残念。
今日も午後からは栢森の雌綱掛け替えを見に行きたいので、身が1つ
しかないのが悔し~い。

指導の稲渕や栢森の方たちは結構年配の方々なのに、しんどいとも言
わず穴を掘ったり、レンガを積んだり、木を運んだり、中心になって
働いてくださり、しかも私たちが楽しんでいるのを喜んで下さっている。

穴の中に太い生木が縦に(横じゃなかった)ぎっしり並べられていく

入口との間にはトタン板で仕切りられ、その外側、入口の焚き口のスノ
コの上には40cmの丸太が横に積み上げられて、焚き口の外側はレンガ
で塞がれていく。

ただ並べるだけではなく、奥から長さ90cmのもの手から70㎝のものへ
と前に向かって傾斜がつけてある。しかも微妙に斜めにノコで切り取っ
たりして奥が高くなるように調整される。


焚き口の上の木(40cmの薪)も具合を見ながら並べられる。
入口上部にはレンガ半分の取り外しできる口も作られ、ここから燃やす
木を補充する。太い木が穴いっぱいになると上に薄く藁が敷かれた。
その上に細い木をまばらに置いたところで午前の作業終了。

心を半分残しながら、Tさんと栢森へと急ぐ。




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1月10日 自然環境市民大学 & 炭焼き釜(2日目)が気がかり

2007年01月12日 | Weblog
自然環境市民大学も後半となり、いよいよ自分たちで企
画運営をする事となり、富田林 奥の谷で「奥の谷の自
然を守る会」の田淵さんより活動内容など聞いて午後か
ら、奥の谷を案内してもらって、自分たちがこの奥の谷
で何ができるか。どう人に伝えていくかを考える。

このあたりは元々ミカン山だった後に杉.桧など植林さ
れた山地。耕作されなくなった棚田、池や水路のあると
ころで、放棄され水田が笹に覆われていたり、植林地に
も竹が侵入したりと保全が必要とされ、活動を続けて、
草花も花をつけるようになったり、44種ものチョウも見
つかっているという。

守る会は長年の活動を通して行政や地域とも連携を持ち、
①里山保全活動をしたり、②文化的活動として楽しみな
がらの活動③調査などをされている。

持ち主が管理しにくくなった山林や田んぼなどを覚書を交
わして借り上げ、活動されていて、役所にも自然保護の窓
口を作らせるほどの実績を持っておられ、すごいと思う。

私がうれしかったのは、借地であることも関係して、元の
姿に戻せるような活動をされていること。遊歩道も作って
はおられるが、基本的には道はない方が山に負担が少ない、
という考え方。生き物や植物など外からは持ち込まないと
されていること。たとえばメダカやザリガニも採ったとこ
ろ以外では逃がしてはいけないなど。私がいつも気になる
ことにも明快に答えてくださった。

我が班も奥ノ谷の活動に沿う企画ができればと思う。

今日は炭焼き釜作り2日目。私は行けなかった。どんなになってるかな?
どこまで進んでいるか気がかり。

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