みどりの野原

野原の便り

12月8日 香久山周辺 御厨子観音 月輪石 磐余池 イチヤクソウ ノダケ

2016年12月08日 | Weblog
昆虫館から万葉の森を抜けて、御厨子観音(みずしかんのん)へ。

昆虫館の裏山にはアゲハ食草のキハダやカラスザンショウなど昆虫の好む木が植えられている。
 
         キハダ         竹筒トラップが仕掛けられている。
ハチの仲間の営巣を調べるのかな?

クヌギやアベマキの落ち葉を踏みながら南山三角点へ。

 
イロハモミジ 樹上の紅葉と根元の散り紅葉 どちらの紅葉も美しい。

 
モチツツジの返り花 あちらに1つ こちらに1つ これはかたまって咲いていた。
                    右)イチヤクソウ しっかり実ができていた。
 
これは? カキドオシにしては香りがないし、オオチドメ?ツボクサ?
若い株で、茎もツルも伸びてないので茎が丸いか四角いかもわからない。(ツボクサは丸い)
葉の表面や葉柄には毛があった。(オオチドメは無毛)
ツボクサが「若い時にはまばらに毛がある」とのことなのでツボクサだろうか? 
1株もらってベランダの鉢に植えた。いずれはっきりするだろう。
ツボクサやカキドオシ、わかっているつもりでもちょっと様子が違うとわからない・・

 
            ノダケ                 タブノキ大きい冬芽

 
すっかり葉を落としたイヌシデの木の近く、落ち葉に混じって翼のある果実が落ちていた。


「御厨子観音 妙法寺」 吉備真備が入唐留学によって学業を修め、無事帰国できたことに感謝し、子の善覚律師に命じて観音堂を建立させたのが始まりといわれる。
一願成就の寺ともいわれる。
ここでお弁当を食べた後、3人の会員による、後で行く磐余池やそれにまつわる大津の皇子の話、モミジの説明やクイズ、香具山付近に本拠地があったという大伴氏。平城京遷都の後に大伴旅人が詠んだ「忘れ草 我が紐に付く 香具山の 古りにし里を 忘れむがため」忘れがたい飛鳥の都を忘れようとする心境の話など。物知りの会員が多くて勉強になる。

御厨子観音の裏山には村の氏神、御厨子神社がある。
ひと気がなく静かというよりもの寂しい雰囲気だ。


神社の横を入ったところに前にしめ縄のかかった、月輪石と言われる大石がある。
なぜこんなにぱっくりと割れたのか・・やっぱり人技ではない神の力を感じる。
御厨子神社の主祭神は根析神(ねさくのかみ)根を裂く威力のある神。
『月輪石は神のご神体』らしい(ネットによる)

御厨子神社のそばに、磐余池(いわれのいけ)があったとされる場所がある。
磐余池は5世紀前半、第17代履中天皇が作らせた灌漑用の池だそうだ。

謀反の罪を着せられ自害に追いこまれる直前に詠んだという大津皇子の辞世の歌「百伝もも伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ 」の万葉歌碑が建つ。


前に湿地のような広い土地。これが磐余の池かと思ってしまいそうだが違う。
磐余池はもっともっと広い池だったという。

平成23年に磐余池の堤らしい遺跡が見つかったが、まだここが磐余池と断定はできないらしい。


ここからの帰路、ナンテン畑がいくつか見られる。

いつか尋ねたなあと思って調べたら、また私のブログ記事が出てきたのだった。

「「南天のど飴」の原料にするために栽培していた。枝から実だけを採り、選別して製薬会社へ持って行くと買い取ってくれたが、手間がかかり割が合わないので今は出荷していない」前に畑にいた人にインタビューした時の様子を(2012.03.08ブログ)記事に書いている。
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12月7日 家の庭 ベランダの花 あわてんぼうのイヌノフグリ 四海波

2016年12月07日 | Weblog
家のベランダ

 
         多肉コーナー      四海波(しかいなみ)タンポポに似た花が花盛り。


大きい葉はセローム   右側は不死鳥 蕾を付けている。ベンケイソウの仲間
なぜか多肉植物は冬に花が咲き、不思議に思う。

 
こぼれ種で生えたイヌノフグリ 大株になった。  あわてんぼうの花が1つ。早すぎる。
種を蒔いた方はまだ本葉が覗いたばかり。

 
手前にはブロッコリーを2株 家計の足しになるかしら。    ひとり生えのカラスノゴマ
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12月6日 奈良公園周辺 五劫院 二月堂 春日大社

2016年12月06日 | Weblog
今日も奈良公園。五劫院 二月堂 春日大社などを回った。

ちょっと失敗して遅刻、五劫院で追いついた。

奈良中心部から少し北に外れた所で、五劫院には今まで来たことがない。
着いた時、皆さんは中でお話を聞いておられたのでしばらく外で待つ。
後で本堂の中も見せてもらった。
 
思惟山 五劫院(ごこういん) 山門と本堂
五劫院は重源上人(鎌倉時代 東大寺を再興)が開山
本尊は宋から持ち帰った「五劫思惟阿弥陀仏(座像)」重文 秘仏で写真が展示。
衆生を救わんと気の遠くなるほど長時間考え続けた(五劫思惟)お姿が髪の毛の長さに現れているらしい。伸びた髪がアフロヘアのように見える珍しい仏様。
長期間修行に励まれ「菩薩から阿弥陀如来になられた瞬間」のお姿だという。 
全国でも16体しか見られないという珍しい仏様らしい。

  
境内墓地には江戸時代東大寺再興に尽力し、完成を見ずになくなった公慶上人の五輪塔があった。重源上人五輪塔もあったらしいが見ていない。  右)地蔵菩薩2体 左が見返り地蔵

境内には手入れされたダイオウマツがあった。あまりにすっきりしていてダイオウマツとはわからなかった。

二月堂近く
 
         マルバヤナギ    ジンガサゴケと教えてもらった。
ジンガサゴケは初めて見た。ジャゴケかと思った。
調べたらジンガサゴケはジンガサゴケ科・ジャゴケはジャゴケ科・ゼニゴケはゼニゴケ科だという。共通点は3種ともゼニゴケ目とのこと。それで少し似ているのね。
雌器の形や無性芽がつかないなどの違いがあるようだがむつかしい。

 
二月堂 お水取りの時には練行衆が登る「登廊」今日は私たちも登れた。 見晴らし

水谷神社から春日神社へと歩き、解散となる。

 
    オオバヤドリギ(モミジに着生)           マツグミ(マツに着生)
どちらもオオバヤドリギ科 ヤドリギやヒノキバヤドリギはビャクダン科

最近はよう見つけなかったマツグミを友達が見つけてくれた。でも付いている枝は高い。
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12月4日 奈良公園 巨樹 昼食会 

2016年12月04日 | Weblog
奈良公園を歩き、リーダーのグループが管理している山地で昼食会になる今年最後の観察会
(写真は順不同)   
   
       アラカシ巨樹                イチイガシの巨樹

 
もう見納めかと思いつつ今日も見れた紅葉。1枚1枚の色づき具合・・私やっぱり”秋派”かな。 

 
         イチョウの黄              コシアブラの透明っぽい白
紅葉・黄葉も背景の緑あってこそ。 

こうやって私たちがゆったりと景色を見たり観察したりいている間に、準備斑(お世話係)の方たちは、朝から買い出しや準備をしてくださって、私たちが到着した時にはすっかり準備ができていた。

 
落葉の大広間。ブルーシートのお座敷へ。 
        右)付いてきたオオカマキリ 膝の上でこちらの様子を窺いながら足の手入れ。
弁当、おつまみ 甘いもの ミカン 飲み物。
燗酒が出てきた。いいですねえ暖かいお酒 いつもながら気が利くメンバーです。

その後、一人ひとり順番に今年の反省などを話す。
私は参加が少ないことが反省点。けれど楽しい1年だったことを感謝。

その後、
 
     輪切り体験 1個切るのにも入れ替わり立ち代わり。

管理地を歩く。
 
広い管理地 始めてもう7年になるとか。枯れた木などを伐採してすっきりしている。
 右)シカの影響がわかる金網で囲った一角 中にはバライチゴ?ヒメバライチゴ?が多い。

バライチゴかヒメバライチゴか帰ってから調べていたら、以前の私のブログ記事が出てきた(苦笑)
そこには「ヒメバライチゴ」と書かれていた(他人事みたい・・)
刺の向きが違うようだが、よく見てこなかったので、次回見た時確認しよう。


オオミノコフキタケ 誰かが折っていたので、断面を見ることができた。
ヒダが何段にも重なって多年性のキノコだというのがよくわかる。

次回、新年例会は1月8日から始まる。
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12月2日 ブログ11年目に入りました。

2016年12月02日 | Weblog
努力家ではなく、楽な道を探して歩いている私ですが、ブログはまる10年続きました。
今日から11年目に入ります。
一区切りついた気分ですが、あまり気を張らないようにしているせいか、もうしばらくは続けられそうです。

大勢の皆さまが見ていただいていること感謝しています。
気楽に書いている分、間違いなどもあると思います。お気づきのことはお知らせくださればうれしいです。

あちこちの会に入れてもらい、気の向いた時に参加したり、たまには一人でうろついたり・・
どちらも楽しいです。
後で調べたりもしますが、書いて忘れての繰り返しです。

こんな状態でもうしばらく続けますのでよろしくお願いします。
コメント (6)
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12月2日 ハイキング 大阪城~造幣局博物館~毛馬の閘門

2016年12月02日 | Weblog
大阪城公園出発。桜ノ宮駅までハイキング。

大阪城
 
大阪城南外堀を回って天守閣へ。石垣の規模もすごい。
               右)天守閣は昭和6年に再建された3代目の天守閣らしい。
豊臣の、徳川の大坂城はどんなんだったのだろうか。

 
刻印石広場 石垣造りを命じられた大名たちが集めた石。藩の家紋や模様が刻まれている。
          右)御座船 内堀を20分で巡る観光船 極楽橋近くに発着場がある。

 
川崎橋 自転車・歩行者専用の橋                  大川を渡る。

何か良さげな煉瓦造りの建物。

中の階段を登る。「煉瓦造りの階段塔」著名な建築家 武田吾一の設計だそうだ。

造幣局で見学時間があった。 警備詰所で番号札をもらって付ける。

『造幣局は、近代国家としての貨幣制度の確立を図るため、明治新政府によって大阪の現在地(大阪市北区)に創設され、明治4年4月4日に創業式を挙行し、当時としては画期的な洋式設備によって貨幣の製造を開始しました。』(造幣局ホームページ) 

造幣博物館 
3階(主に貨幣の歴史を展示)から1階へと見学  記事は順不同
  
金属貨幣ができるまでは貝貨だった。 
            右)古代中国の貨幣 魚・刀・楽器の形など。
清の始皇帝が初めて丸い通貨を作って今に至る。
この形が日本にも伝わって拡がっていった。

我が国での最初の貨幣は683年(天武12年)「富本銭」(なぜか撮影禁止)
以後「和同開珎」から始まる「皇朝12銭」といわれる貨幣へと・・
「皇朝12銭」とは、708年(和銅元年)から963年(応和3年)にかけて日本で鋳造された12種類の銅銭のことらしい。

渡来銭(中国、宋銭が輸入され流通)、模造銭(中国貨幣を真似た)
760年(天平宝宇4年)わが国初の金貨ができる。
大判・小判・1分金・丁銀 豆板銀・・時代劇で見る包金、地方だけで通用する貨幣・・

  
     銭函 千両箱等の展示

明治に発行された「太政官札」が紙幣のはじまり。
そして、戦後、黄銅貨幣の材料として「薬莢」が使われたという。


 
五百円玉の偽造防止策 模様の中に微細点・微細線・斜めギザ・潜像加工 まったく気づいていなかった。                           右)製造機械
貨幣製造当初『その頃我が国では、機械力を利用して行う生産工業が発達していなかったため、大型の機械設備は輸入するとしても、貨幣製造に必要な各種の機材の多くは自給自足するよりほかなかったので、硫酸、ソーダ、石炭ガス、コークスの製造や電信・電話などの設備並びに天秤、時計などの諸機械の製作をすべて局内で行っていました』(造幣局ホームページ)後で調べて改めて知った。すごい!  

造幣博物館、面白かった。3階で熱心に見過ぎて、時間不足で2階はチラ見・1階はほぼ素通り。
後で聞けば「千両箱を持ち上げたりできた」という。あ~残念。
造幣局を出て、「泉布館」へ。

 
「旧桜ノ宮公会堂」
「旧造幣寮鋳造所正面玄関」を移築保存した建築物。国指定の重要文化財。
創建当時の姿に復元して、戦後「桜宮公会堂」となったもの。
現存の近代建築としては、日本で最も古いもののひとつ。
今はレストランや結婚式場として利用されているらしい。

「泉布館」は隣にあったらしいが、上の建物の周りを回り、立派な近代建築だったので、てっきりこれが「泉布館」かと勘違いしていた。結局、「泉布館」は見ずじまいという失敗。

大川沿いに北へ。

桜並木の紅葉がまだきれいだった。
淀川はたびたび洪水による氾濫をおこすため、明治中期に大改修が行われ毛馬付近から西へ流れる新らしい淀川が作られた。
そのため新淀川が本流となり、旧淀川本流「大川」は天満・大阪中心部を経て大阪湾に注ぐ支流となる。

「毛馬の閘門」に到着。
「閘門」は『水位差により困難となる船舶の通過をスムーズにさせるための設備』
大川に流れる水量を調整する役目、大川の水を強制排水するための機能を備えている。
新淀川側、大川側に水門がある。
水位の高い淀川側の水門から船を入れ、閘門内の水位を徐々に大川の水位まで下げて、最終大川側の水門を開けて船を通す。

 
ちょうどタイミングよく中に砂利運搬船が数隻入っていた。だんだん船が沈んでいき(水位低下)赤信号が青に変わって、大川側の水門が上がって、船は大川へ出て行った。

 
    大川 向こう左へ「新淀川」が流れる。      ホシハジロの群れがいた。

毛馬の閘門 前にここを船で通ったことがある。(h25.11.07ブログ)
その時は「淀川舟運三十石船」という企画で、八軒屋浜から現代の三十石船に乗って、毛馬の閘門・赤川鉄橋・わんど・豊里大橋・鳥飼大橋などをくぐり枚方で下船
途中で舟唄の披露もあるいい旅だった。

歩いて水道記念館の見学と毛馬の閘門を見に来たこともある。(h24.2.5)
その時は今日見たものと別に第1閘門や洗堰というのも見ている。
再訪できてよかった。
泉布観を見損なったのは失敗。又の機会に。
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12月1日 山の辺の道  カメラ忘れて写真ナシ。

2016年12月01日 | Weblog
山の辺の道

駅から町の中ではネリネやガザニア・キダチアロエ・二ホンスイセンなど園芸の花がいろいろ。
コウテイダリアは流行りで、あちこちの家の庭に屋根に届きそうに枝を伸ばし花をたくさん咲かせている。
今は花色は薄紫だけのようだが、そのうちに色変わりも出てくるのではないかな?

マユミ・ウメモドキ・カナメモチなど赤い実、サカキの黒い実など、実物も見もの。

道端でもよく見ればホトケノザやタネツケバナ・ハナイバナ・ナズナ・オニタビラコ・トキワハゼ・セイヨウタンポポなど・・最近は年中どこかで咲いているように思う。

今日も又果物や野菜を買って帰った。  カメラ忘れてつまらない。


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