座右の銘の話が出た、自分の座右の銘と言えそうな物は有るんだろうか?随分色んな事を見たり聞いたり体験したりしてきたが特にそう言う物は無いような気がする、
心掛けて来た訳ではなく身についた生き方といえば出来るだけ有るがままにと言う事位か、
気負う事も無くさりとて気落ちする事も無く、起きた事をそのまま受け入れる事で生きて来た様な気がする、
無論悲観論者でも楽観論者でもなく、出来る限り前向きに生きてそれで駄目なら仕方ないと言うような事か、誰だったか西洋文学の作者の言葉に「絶望とは愚か者の結論である」と言うのが有ったがこの言葉は好きだった、しかし絶望と言う程の不幸に有った事は無論無いので好きだと言うだけの事である。息子に一度「お父さんが好きなのは一生懸命と言う言葉みたいだけど自分には疲れるんだよね」と言われた事が有った、女房からも「お父さんのその性格は素晴しいのかも知れないけど他の人もそうだと思われると堪んないかもしれないよ」と言われた事もある、
息子に「ゆっくり走っても3着に入れると言う奴よりびりでも一生懸命走る様な生き方をして欲しいんだ」と言うような話をしたときだったと思う、
若い頃は良く友人達と酒を飲んで一晩中議論のような事をした事も随分有ったがこの歳になるとそれも疲れてしまう、昔の友人と飲むとその頃の話が盛り上がるのだが何処かで空しい感じが残ってしまい結局疎遠になってしまう、
酒も弱くなったがそんな事も有って結局夫婦で取り留めの無い話をしながら質素な摘みで少しの酒を飲んで布団にもぐり込むのが一番良いようになったのはやはり歳をとったのかとも思うが一方で余裕が出来たら自動二輪でも取って何処かに走って行きたい様な気分もあったり、高所恐怖症なのにパラグライダーに挑戦してみたい気持ちもある。
結局何なんだろうね、つい数年前までは仕事を辞めるなんて考えもしなかったのにのんびりしたいと思うようになったのは単に仕事が上手く行かず金の苦労ばかりになったからかもしれないな
まあ、もう少し頑張ってみるか
心掛けて来た訳ではなく身についた生き方といえば出来るだけ有るがままにと言う事位か、
気負う事も無くさりとて気落ちする事も無く、起きた事をそのまま受け入れる事で生きて来た様な気がする、
無論悲観論者でも楽観論者でもなく、出来る限り前向きに生きてそれで駄目なら仕方ないと言うような事か、誰だったか西洋文学の作者の言葉に「絶望とは愚か者の結論である」と言うのが有ったがこの言葉は好きだった、しかし絶望と言う程の不幸に有った事は無論無いので好きだと言うだけの事である。息子に一度「お父さんが好きなのは一生懸命と言う言葉みたいだけど自分には疲れるんだよね」と言われた事が有った、女房からも「お父さんのその性格は素晴しいのかも知れないけど他の人もそうだと思われると堪んないかもしれないよ」と言われた事もある、
息子に「ゆっくり走っても3着に入れると言う奴よりびりでも一生懸命走る様な生き方をして欲しいんだ」と言うような話をしたときだったと思う、
若い頃は良く友人達と酒を飲んで一晩中議論のような事をした事も随分有ったがこの歳になるとそれも疲れてしまう、昔の友人と飲むとその頃の話が盛り上がるのだが何処かで空しい感じが残ってしまい結局疎遠になってしまう、
酒も弱くなったがそんな事も有って結局夫婦で取り留めの無い話をしながら質素な摘みで少しの酒を飲んで布団にもぐり込むのが一番良いようになったのはやはり歳をとったのかとも思うが一方で余裕が出来たら自動二輪でも取って何処かに走って行きたい様な気分もあったり、高所恐怖症なのにパラグライダーに挑戦してみたい気持ちもある。
結局何なんだろうね、つい数年前までは仕事を辞めるなんて考えもしなかったのにのんびりしたいと思うようになったのは単に仕事が上手く行かず金の苦労ばかりになったからかもしれないな
まあ、もう少し頑張ってみるか