梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

道ー2

2012-06-05 15:35:37 | 雑記
県道を右に行けば掛川の駅に出る、少し奥のトンネルから駅まで「六里半」と言われていたので今の距離で18km程度、我が家からと丁度16km位だろうか?
家と市内の半分くらいの所に通っていた中学校があり、更にその半分位の場所に小学校があった、小学校までは歩いて、中学校は自転車通学だった、7~8km程度だから大した距離ではないのだが山の村である、登校時間は20分程度で着くのだが下校時間は1時間弱掛かった、
中学を卒業した年に父親と市内に引越したがその時は未だ未舗装だった、小学校に入学したのは昭和29年、村に車は2台しかなく来る自動車も1日10便程度の乗り合いバスの他は何でも打っている村の店に物を卸す車くらいしか走っていないのだがそれでも雨が続くと道路は穴だらけになる、この穴を川原や山から砂利や土を持ってきて埋める作業を村の字単位で共同で行う、
リヤカーに積んだ砂利をスコップや鍬で埋め込んでゆく、この共同作業は道路脇に伸びて来た雑草や村の中を流れる川に掛かる小橋の清掃もある、
その時意外は朝夕以外ほとんど人は見えないし車も来ないので道路は子供の遊び場でもあった、
雨の日も当然あったがどう言うわけか私の中の村道(行政上は県道だが)は真っ白の硬い道路だった、その他の小道は砂利が浮いた少し真ん中が低くなった道で両側から背の低い雑草が伸びて来ていた、
舗装道路は県道がずっと市内に近くなった所に横切っている国道1号線まで行かないと無い、
其処を越えると直ぐ左手は城跡である、廃藩置県で廃城となり天守閣の有った所には観音像が立っていた、最初は日露戦争の戦勝記念で戦勝観音と言っていたらしいが敗戦で「平和観音」と言う名前に変っていて今では綺麗な本格木造の天守閣が建っている、
その頃は平和観音である、足元を堀替わりの栄川が流れていて川を越えず城山の足元を川沿いに東に行くと小さな動物園のある公園があり、この前を南に川を渡り真っ直ぐ行けば掛川の駅である、道路はアスファルト舗装で未だ市内は殆ど2階建てで大きなビルは無い、それでも映画館が3ヶ所あった、今帰ってみると川の先に大手門が作られているが不思議な事にあの道は子供の頃の道のままに見える、私の「街」の原風景はあの背の低い町と歩道の無い道路である