梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

音楽:マンボの頃

2012-06-22 14:54:00 | 雑記
何年位前か、「闘牛士のマンボ」と言う曲が流行った事がある、スペイン民謡の「マカレーナの乙女」をペレスブラードがマンボにアレンジした物だったと思うがこの曲がきっかけで幾つかのマンボが立て続けに流行した、
「マンボNo5」「セレサローサ」「ある恋の物語」などが有るが一寸調べたらセレサローサの方が先だったみたいだな、
彼の独特の掛け声が曲を盛り上げて彼方此方のスナック(当時はそう言わなかった筈だがなんと言う店のスタイルだったか)のジュークボックスでは何度も々掛かったし自分でもSP版のレコードを買って家でも聴いた、
ツイストと言うダンスが流行る少し前だったが恐らく昭和39年から41年くらいだったのではないだろうか、友人に誘われて会社のダンス部に所属して居たのだがレッスンのの合間の休憩時間に遊びとしてマンボを流す、先輩達がそのほかの同じ様な流行ダンスを教えてくれた、「スクスク」「パチャンガ」「ドドンパ」と色んな物が有った、
白いワイシャツにタックの入ったズボンはダブルで黒い革靴でこんなダンスを踊る、
無論ダンス部正規のレッスンはボックスルンバ、キューバンルンバ、ブルース、ワルツ、スローフォックスとロット、上級になるとタンゴと言う物だが一番盛り上がるのは休憩時間のこんなダンスだった、
女子寮と男子寮合同でダンスパーティを企画した事もある、ダンス部のダンスパーティーは基本的に技術競技だがこの手のダンスパーティーはその頃から縮めて「ダンパ」と称していわば今で言う合コンみたいな物である、
その頃ツイストが流行りだして此れは技術より感覚的なダンスなのでダンパとなれば殆ど此れになる、アルコールを入れて激しく動くので酔いは早い、そしてお決まりの「チークタイム」である、
3~4時間の間に何度か此れを入れて明かりを極端に落す、何処でチークが入るかは主催の勝手である、その時のパートナーと体を密着させてだた揺れている時間である、
「はーい、チークタイム終わり」と元の明かりに戻るのだが妙に照れくさかった思い出であるがつわものはその間に消えてしまう奴も居る、
曲はなんでも「ツイストバージョン」があってクリスマスパーティー用だったが妙に合う曲が「聖者の行進」(聖者が街にやってくる、と言う曲名だった)で此れで随分盛り上がった
ダンス部でも使っていた曲はキューバンルンバには「ワシントンスクエア」だったが此れも妙に踊りやすかった、
ワルツには「さよならはダンスの後で」だったり結構流行っていた曲で練習をしていはずたが40代のなってジルバを踊ってみたら全くステップが合わなかった、あまり自分には向いていなかったようだ