河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

制作案内 その2

2017-01-05 02:07:41 | 絵画

地塗りについて

1.カンヴァスの地塗り

 カンヴァスの地塗りが始まったのはマンテーニャ以降である。それまで彼は生地の上に軽く膠を引いて、テンペラ絵具で描いていた。膠を引くのは、絵具が布の繊維にまとわりついて描きにくかったからである。彼のカンヴァス地の織り方は一ミリ四角に4本の糸が交差した平織であった。顕微鏡で見ると布の織り目の動きで、絵具層が浮き上がっているのが確認できた。ミラノのブレラ美術館が所蔵する《死せるキリスト》、犬釘が打ち込まれてできた穴のある足の裏が手前にあって、見事な遠近表現がされている有名な作品であるが、これが西洋美術館に来た時、絵具層は浮き上がり額の表に入れられたガラスの間に、多くの剥落した絵具が落ちていた。そのちょっと前にブレラを訪ねて見たときには、そのような損傷はなかった。日本に送られて、損傷したのである。この作品はマンテーニャを代表する貴重な作品であり、悲しく悔やまれた。

カンヴァス地に目止め程度で描かれたテンペラ画は、絵具層を保護するためのニス引きは遠慮されたために、直接、裏表から湿気にさらされてこうした剥落が起きやすかった。ブリュッセル王立古典美術館のブリューゲルのコーナーに布にテンペラで描かれて、保存状態が悪く、脆くなったカンヴァスを和紙で裏打ちし屏風形式の木枠に張って、温湿度を機密管理したボックスに展示されているものがある。状態は悪く、審美性も失われて、鑑賞にも耐えない。

これらはカンヴァスと絵具層の間に、しっかりとした地塗りがなかったために、大きな損傷につながった例である。マンテーニャの時代は過渡期で、彼の師匠で、義理の父であったジョヴァンニ・ベリーニもテンペラ画の技法で多くの聖像を描いている。イタリア以外の国の美術館の所蔵品では、表面保護のニスは施されていて、ベリーニの作品も絵具が剥落する最悪の状態は免れている。(カンヴァスに描かれたテンペラ画の保護ニスは必要悪であった。板画の場合は、またこれと異なる。)

彼らの後のパドバ、ヴェネツィアでは油彩画が入ってきて、フランドル絵画の影響を受けたアントネロ・ダ・メッシーナの描く作風に、油彩画が広まることで、大型のカンヴァス作品がヴィットーレ・カルパッチョによって油彩絵の具で描かれた。しかし表現された人物は硬直したままで、絵具の外観もまるでテンペラ絵具で描いたような、不透明な塗り絵のようであった。それも先にデッサン下絵が決まると、その輪郭からはみ出さないように構想したために、隣り合う人物も、それぞれが独立しているようであった。彼の場合、油絵の具の表現の可能性を試す以前に、彼は一昔前の描き方から抜け出ることはなかった。(それはそれで魅力的なのだが)しかしカルパッチョはヴェネツィアでティントレットやジョルジョーネ、ティッツァーノと続くカンヴァス画家が輩出する基礎を作った。

海洋都市として発展したヴェネツィアでは大きな帆布が手に入り、カンヴァス画にはもってこいであった。湿気の多い水上都市ヴェネツィアの条件として、フレスコ画は向かなかったため、カンヴァス画が尚更需要があって、画家は大きな木枠に張った絵画が天井画としてあるいは壁画としての役割を担うために、しっかりとした平面の機能をもたらされた。

そこにカンヴァスの布の強度、絵具層とを繋ぐ地塗りには大切な役割があった。

前置きが長くなったが・・・・。

①目止め

カンヴァス用の布に施す地塗りには柔軟性が求められたが、布に直接地塗りをするのではなく、接着力を高め、柔軟性を与える目止めの層が必要であった。この目止めはカンヴァス地の織り目の凸凹を和らげて、平らにすることが出来た。日本でカンヴァス作りの案内書には熱い膠液を刷毛で塗ることが書かれているが、これは不適切である。膠がカンヴァス繊維の中に浸み込むと、硬くなり、経年で伸縮し続けて劣化させる。

膠を使って目止めをする場合、熱い膠液を冷ましてゲル状にして施す。厚い膠液をボールにとり、つめいたい氷の入ったボールに浸けて、膠をゆっくりかき混ぜる。これをへらでカンヴァス地に施すのであるが、薄く均一に伸ばす。気温が25℃以上になるとこの作業は向かない。ゲル状の膠が布の上で溶けて、布に浸み込んで元も子もなくなる。夏の間はクーラーをかけてやる。梅雨は乾燥するまでにカビの菌が繁殖して、地塗りの亀裂の原因になるから避けること。ここで使った膠の濃度は水と膠(三千本膠)の比率15:1程度であるが、13:1より膠を濃くしてはいけない。乾燥時に硬くなり、亀裂が入りやすくなる。ここで使った濃度は次の地塗り液に使う膠液の濃度と同じでなければならない。

膠液は必ず冷蔵庫で保存する。三日以上放置しない。臭くなった膠は亀裂の原因となる捨てる。

膠には日本独自の三千本と呼ばれる膠があるが、牛や馬の筋肉の筋、皮を煮て作るが、たんぱく質と同じで45度以上にすると分解するので、ぐつぐつ煮てはいけない。他にヨーロッパにはトタン膠と呼ばれる鹿の皮からとるものがある。しなやかで三千本よりツッパリが少ない。安いものに骨膠(ほねにかわ)というのがあるが、皿に入れたまま乾燥させると細かく砕けている。大事な絵画制作には向かない。三千本もトタン膠も経年によってツッパリは少なくなる。私は1928年製造のトタン膠をブラッハート先生にもらって、今も実験用に保存してある。

同じような方法でメリケン粉を煮て作ったペーストを目止めとして使う場合もある。膠よりツッパリが小さく柔軟な気がする。メリケン粉のペーストと膠を混ぜて塗ったりしないこと(強すぎて、みみずばれ様の亀裂が入る)。メリケン粉のペーストは膠のように溶けたりしないのでゆっくりヘラで施すことが出来る。厚さも少し厚めでも、乾燥すると布目が出るほど収縮する。

さて、この布目の出具合は画家によって好みが異なるであろう。ヴェネツィア派の画家たちのカンヴァスは織り糸も太く平織、綾織りとバリエーションもあるが、大半は平織で、ジョヴァンニ(甥バティスタ)・ティエポロのカンヴァスはしばしば綾織りで目がそのまま経年で目立つようになっている)。細密な作業が必要であれば、平滑な画面が望ましいが、ダイナミックな描写には布目が荒々しく出ている方が、かすれた表現などに向く。ヴェネツィア派の画家たちが大きな画面に描けるようになった要因は、あらかじめ下絵のデッサンが出来る「紙」の普及があげられるが、当然カンヴァスの上で新たに自由に描く経験が出来るようになったことも挙げられる。ティントレットなど構想のスケールまで自由に拡大したと考えられる画家である。それほどカンヴァスと地塗りは作用していると私は思っている。

②カンヴァス用の地塗り

 カンヴァス用の地塗りは板絵用のものと区別すべきであろう。描写表現の要素に応じて、その厚さは変えるべきであるし、色の具合も、質も変えられる。ベルギーカンヴァスの地塗りの工房では、カンヴァス地を木枠に張り、机の上に平らに寝かせ、やはりゲル状の地塗りの山をへらで動かして塗る方法を取っていた。最近では、木枠に張ったものを立てた状態でローラーを使って塗る方法も行っている。それで出来上がったベルギーカンヴァスは薄い地塗りのあまり白くない表面の製品が出来上がっている。

ルーベンスのカンヴァスの科学調査を行ったが、その時、X線写真に出た白い刷毛痕は、鉛白が地塗り液に入れられいることを示し、幅は5~6cm程度であった。しかし刷毛痕は一部であり、大方は大きなへら(現代のカンヴァス職人が用いるのと同じ)で施しており、どうも全体的には鉛白ではなく、白亜が使われていると考えられたが、この地には木炭の粉が混ぜられて色はクレーであった。何故、一部分に鉛白が入った地塗りを施したのかは不明。ルーベンスはカンヴァス作りは自分のアトリエで行っており、すべて好みの厚さや色の地塗りの指示を出していたと言える。白い地塗りには鉛白を用いることは、当時から当たり前のようであった。と同時に、カンヴァス地に赤ボルースを塗る有色地も16世紀後半から流行り始める。

レンブラント(1606-1669)の地塗り

レンブラントはいくつかの板絵をのぞいて、カンヴァスは基本的にボルース地を採用している。暗い中に人物が浮かび上がるようなレンブラント絵画にはもともと暗い中に、さらに暗い部分と明るい部分を描き分けながら制作するスタイルは、空間、立体表現を楽にし、イメージの定着にスピード感を与えた。多くのバロック画家たちはボルース地より少しくらい絵具でデッサンをして、いきなり人物を描くことが出来た。当時の人物画の肉色の部分は、多くの鉛白を含み、X線写真を撮ると、まるで白黒写真を見ているかごとき、正確な明暗の絵画に見える。しかしこのボルース地にはいくつかの問題があって、描く当初から目が赤い地色に左右され、仕上がりも赤みを感じる場合があるし、経年でボルースに含まれる酸化鉄が湿気で移動し、画面ににじみ出ることがある。レンブラント作品を20点から所蔵しているベルリン国立絵画館で研究生をしていた時、《石板を割るモーゼ》(1659年作)が修復室に運び込まれて、処置と調査の助手をした。この時見たのは硬く反り返る絵具の亀裂の周囲に、まるで赤いカビが菌糸を伸ばして四方八方に広がってくる状況であった。展示室では見えなかったが、明るい部屋で見ると激しく浸食されているのが分かった。この作品のカンヴァス糸は手撚りで、糸の太さがまちまちで織り目も決して詰んでいるとは言えなかった。このカンヴァスの繊維に目止めが浸透しているとか、いないとか判断できなかった。

 

③地塗り液の作り方

 上記項目でも触れているように、カンヴァスに施した目止めの膠液の濃度と同じものを用いて施すのが常識で、薄くすることはあり得るが、濃くすると、必ず亀裂が入る。亀裂のメカニズムとして、下に弱いものがあり、上に強いものが来て、下を濡らして柔らかくしてから、乾燥に入ると、上の収縮の方が強くなり、柔らかく弱い下の層を引っ張って割れる。この収縮はあらゆる箇所で起きるので、どこも小さく収縮しようとすると、小さな力の集合が、あの亀裂の形であると言える。そこで亀裂を防止することは当然ながら、カンヴァスの上に施す時、机の上でへらで地塗りを塗るためには、板の上にカンヴァスを張るかどうかしないと、乾燥時に生地は暴れる。板の上に生地をガンタッカーで固定するときは、生地の下に薄い吸い取り紙を差し込んでやると良い。この場合、タックのぎりぎりまで地塗りが塗れる。生地を木枠に張って施す場合、木枠の内側を表にして、内側に地塗りを施す。この場合、生地を枠に張った張り代分は、ぎりぎりまで塗布できないので不経済であるが、利点として木枠を持ち上げて、乾燥させることが出来る。

膠と白色顔料の地塗りの場合、カンヴァスには厚塗りは禁物で、柔軟性を失うし将来的に亀裂の原因となる。白さが確保できれば十分である。また柔軟性を考慮すると、この地塗り液に重合亜麻仁油を入れると良い。(地塗りの作り方参照)

地塗り液

地塗り液を膠で作る場合

①膠は前日に水に浸け膨潤させる。この時すでに膠:水の比率を守って1:15にしておく。 ②湯銭鍋にかけて溶かす。膠液を50℃以上に上げない。分解する。膠液を冷ます時、ふたをしておく。③器にとり、白色顔料を入れる。白色顔料に胡粉や白亜、石膏を選択したら、器の中心に、粉末を少しづつ注ぎ入れ、自然に膠液を吸収させる。分量比の基本は1:1であるが、目分量で多すぎると、塗る際に刷毛やへらにもたついて、均一に塗れない。器の中に注ぎ入れた粉末が、液の面から盛り上がり始めたら止めるのが賢明である。混ぜて刷毛かへらで持ち上げてみて、軽く糸を引きながら素早く落ちる程度が良い。

もしこれにチタニュウム白、リトポン、硫酸バリウムなどを混ぜる場合、あるいは単独で使用する場合は、出来上がりの白さを確保できれば良いので、分量は1:1では多すぎる。重量比で15%~20%で十分である。(亜鉛華を単独で用いる場合亀裂が起きることがあるので、胡粉などと混ぜた方が良い。)(鉛白は仕上げにサンドペーパーを用いることを考慮すると、地塗りには用いないのが良い)これらの薄い液でもへらで施すと、平滑な表面の地塗りが得られる。

半油性地塗り

半油性地は描画の際に吸い込み止めを殆どしなくてもよい状態に出来る。それに湿気に鈍感になるので、硬さが維持されるが、注意として生地に施した目止めが不均一であったり、薄すぎたりすると生地の側に、経年で脂分が移ることも考えられるので、一つ一つの工程の品質管理を完全にすること。

半油性の地塗りを作りたいときは ①白色顔料の分量と膠液の分量が明確に計測できるようにしておく。②分量が決まったら、白色顔料に器にとり、そこに膠液を少しづつ入れ、粘りのある状態で撹拌じ、その中に重合亜麻仁油、ボイル亜麻仁油、陽晒し亜麻仁油のいずれかを、少しずつ糸を引かせながら注ぐ。注ぐ間中、撹拌は続ける。その分量は白色顔料の重量の10%以下程度で十分、多いと乳化せず分離して、にじみ出るので注意。混じりにくくなったら止めるのが、タイミングでもある。そこでまた撹拌しながら、残りの膠液を少しづつ注ぐ。

 ジェッソ地塗り

ジェッソ(gesso)はイタリア語で石膏、漆喰、石灰、白亜などを意味し、それぞれ物が違うので、こまった名詞である。イタリアでは板地に石膏地塗りが一般的に用いられたが、石膏もいろんな状態で用いられた。つまり水に長いこと浸けて固まらなくなったもの(gesso sottile)を粉末にして、膠と混ぜて地塗りとして用いたもの。これは手間がかかり貴重であったためか、下には天然の祖石膏(gesso  grosso)が塗られ、厚さを十分に確保してから、用いた。もう一つは水と反応して固まってしまうものを、板に塗って固まったところを平らに削るというものがある。この水と反応して直ぐに固まる方は木の板の地塗りとしてしか使えない。思いっきり力を入れて削るからである。

市販のジェッソ

これには2種類あって、一つは油性のジェッソ(ファンデーション・ホワイト)。鉛白や硫酸バリウムをケシ油で練ったもので、チューブ入りの絵具より硬い。いきなり生のキャンバスには塗れない。目止めが必要である。へらで薄く塗って乾かすを複数回繰り返して、乾燥後のサンドペーパーがけを減らす。勿論市販のカンヴァス地にもへらで施せる。硬い状態のものを亜麻仁油とテレピン製油で柔らかく練って刷毛で塗布できる。

さいきんでは胡粉入りの水性ジェッソも売られている。これは元よりリキテックス絵具のために用意されたものであり、アクリルポリマーエマルジョン、胡粉、チタン白で構成されている。紙、布、板などに直接塗って描けるが、表面は一度サンドペーパーがけが必要である。量の割に値段が高いのが難点。

 

2.板の地塗り

 木素地の地塗り

木素地に地塗りが施されるようになったのは、先に木素地の項でミイラの肖像について触れたが、その板に描かれた肖像の延長であろうエンカオスティック画の地塗りとして行われるようになってからである。私の知るところでは7世紀のものに、板の表面の凸凹を解消するために考案されたと理解している。何事も最初は単純で、経験によって改善されるのである。

板に描くことは当然ながらイタリアが先んじたが、イコンの時代は別にして、当時から画家が居たそのものを用意することはなく、地塗りから用意したと言われている。質の悪いポプラには地塗りも載せにくく、亀裂、剥落の心配もあったため、板の上に布を貼ってから地塗りをすることも頻繁に行われた。こうした布地は画面の重要な部分にだけ貼られたものもあり、それらはx線撮影をしなくても、特徴的な亀裂が入るために、すぐわかる。それは多くの板絵が板を横に継いでいるために、その伸縮で、布にも伸縮が伝わり、地塗りにまで、おおきな亀裂が横に入り、そこから小さな亀裂がつながっていくパターンをしている。布は大きな剥落を起こさないためには役に立ったが、イタリアの作法の適切さが欠けたために、多くのすぐれた作品に亀裂が見られることになった。こうしたイタリアの板絵の地塗りは上記にカンヴァス用の地塗りを紹介したような様式で行われた。地塗りの厚さは3mm~5mmはある。

一方フランドルでは正目の通った樫の板に目止めを施し、白亜と膠で地塗りが行われた。その厚さはどんなに大きな画面でも1mm程度の厚さである。刷毛やへらで地塗りは施せるが、乾燥後に磨くには、鉄のへらで平らに、台直しカンナのような要領で刃先を立てて削ったと考えられている。木の板を大佐に削るときも、当時は刃が垂直に立った台直しカンナのようなもので削ったと言われている。

さらに表面を美しくきめ細かい表面にするためには、今日のサンドペーパーのようなものでなく、トクサ(木賊)を用いて表面を磨いたとされている。さらにつるつるの大理石のようなするためには、シャモア(鹿の裏皮)を軽く湿らせて磨くこともあったと考えられる。これはフランドル絵画の絵具層が0.1~0.2mmしかないことから、その地塗りの表情が絵具の表面に現れることで想定できる。つまり、真平ではなく、丸みを帯びた不陸が認められる。

 

 

 銅板のための地塗り

銅板に描かれるようになるのは17世紀オランダでである。そもそも銅板に描かれるのは油彩画である。なぜならもちろん直接には水性絵の具が固着しようもなく、地塗りを必要とする。しかも白い地塗りを見たことがあるだろうか。それもみな、赤いボルース地なのである。銅板は平らで木の板のように削ることなく、製造工程で平らになっていて、絵を描くにはもってこいであるが、やはり油彩絵の具でも直接描けないわけではないが、やはりそれまで木の板地に描いてきた習慣から地塗りがあったほうが画面が作り易かった。

銅の板に直接ボルース地塗りを塗って、平らにしたまま乾かす工程で化学反応が起きた。銅はCu⁻であり、ボルースの主成分は鉄Fe⁺である。つまり地塗り液の水を介して、そこに電気が流れてイオン化が起きて、どちらも成分が溶け合うのである。そして固着する。このボルース地は木の板に施したものより固着力が強く、少々銅板が曲げられても剥落しない。しかし表からガンと硬い物で叩けば、当然ながら傷や剥落は起きる。

 

吸い込み止めについて

吸い込み止めは、油彩画、テンペラ画どちらに使おうが必要である。イタリアのテンペラ画の吸い込み止めについては、確かなことは知らない。しかしテンペラで地塗りの上に直接描けは、筆のタッチが残って、なかなか絵にならない。(何度も言うが、ボッティチェリの人体表現の柔らかいタッチは彼独自の表現様式だ)フラ・アンジェリコの絵画を見ればタッチが残らない方法があることが分かる。恐らく膠は使っているだろうが、それ以上の何かを使っていると思われる。

ファン・アイクの祭壇画《神秘の子羊》を調査した時に絵具層から深く浸透した膠層とその上に油分が浸透した状態が見られた。この油分は下描きデッサンの黒い線を和らげるために、白色絵具を一層かけているため、それが同時に吸い込み止めの役割を果たしたと考えられる。他のフランドルの画家たちの作法も同じである。

 

 

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