バターが無いと暮らせない訳ではないけれど・・・。パン食が常態化している今日ではミルクにバターは普通にあって当たり前になっていて、一年前に350円だったものが最近すっと450円で止まっている。一度値を上げたものが下がることがない日本の経済システムでは「ちょっとおかしいのでは!!」と声を上げないと、全てこんな調子て済まされてしまうと思いませんか。
北海道では搾った牛乳を棄てているそうだ。どうしてそんなことになるのか?そしてツィターのchange.orgで酪農業者を助けるように求め署名を集めている・・・・おかしくないか!!??
一説に酪農業者がピンチなのは当人たちのせいで、酪農組合、酪農族議員に農林省の酪農担当者の作り出した生産と消費の不均衡だと。
私も不思議に思ったのは、むかしベルギーに居た時、友達が所有する別荘のあるアルデンヌの家に行く途中で立ち寄った酪農家でバターを買い求めた時に初めて見た「出来立てのバター」に感激したのを思いだす。出来立てのバターは色が「白い」のだ。しかも味はクリームみたいだった。こんな農家でこんなに美味しいバターができるなんてすごいことだ思った。しかしどうして日本では搾ったばかりの牛乳が捨てられているのか?牛に悪いと思わないのか!!
どうやら日本の酪農家で自家製のバターは作らないらしい。その技術もないのか?それほど難しい技術ではないように思う。牛乳をゆすっていると脂肪分が分離してバターが出来、残りは脱脂粉乳になるそうだ。つまりそんな面倒な仕事にするよりミルクだけ搾乳して売ることで家業にしている酪農家が多いこと・・・それを流通させる会社に任せた方が楽だと・・・。
で、そのシステムが上手く回らなくなったのは・・・バターと脱脂粉乳の需要のバランスで洋菓子などで需要が増えれば脱脂粉乳は輸入に頼るしかない。輸入が増えれば国内生産の脱脂粉乳の価格は下落する。それでは困ると酪農家で作る酪農組合は政治に訴える。そうすると価格を上げて酪農家の収入を守る。しかし経済は需要と生産のバランスはいつも均衡しない。ここで余るほど牛乳を搾ると結局棄てることになる。それが購買者である庶民には理解が出来ない理不尽な裏社会があることに気が付けない。しかし農林省の役人は知っているから、元農林省の役人が実情をばらす書籍を出す。それは瞬間的ではあるがネットのニュースとして掲載された。
御存じだろうか?紙パックで売られている牛乳に対して、そうでない乳製品と書かれた「濃厚」と「特濃」と書かれた商品があるのを・・・これは原材料名の所にバターと脱脂粉乳と書かれている・・・元の牛乳には戻らないから「乳製品」という名前でもう一度商品化して売ろうとしている。日本のバターはフランスのバターと同じだと思うか?ちがうよ味が。牛乳も違う・・・なぜなら加熱処理する温度と時間が違って、日本の牛乳は高温で短時間加熱し経済効率を優先するから本来ある味を殺してしまっている。
イギリスで暮らした時に「ミルクティー専用ミルク」があるのに感心した。それは賞味期限は3日ほどしかない。ほっておくと脂肪分(つまりバターの原料になる)クリームが分離してしまう。まあそれでもお腹を壊すわけではないが、どうすれば「美味しい」かを大事にしていいるのが素晴らしい。
何なんだ!!くそ!バターの値段が下がらないのは酪農家、酪農組合、農林水産省と族議員のせいではないか!!
TPPは何処に行った!
と、ここへんで止めておこう。
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