日本語で花と言えば「桜」だそうな。今日もテレビのニュースでは「開花宣言」が騒がしい。首都圏の桜の名所の開花が最も重要なニュースらしい。靖国神社、目黒川沿線、上野公園と・・・・自分は上野で仕事をしていたので、毎年春には何時桜が咲くのか楽しみだったが、上野公園とくれば「花見」で宴会で夜八時過ぎまで騒がしかった。しかし誘われて何度か桜の下で夜の花見をして、酒をご馳走になったので、「行儀の悪い客」を責められない。
あれは、1997年頃、ロダンの《地獄の門》の免震化工事で一年を通して忙しかったのだと思う。一緒に工事をやってくれた竹中工務店のメンバーが、近所で工事があったときには、その都度私や学芸課の者をさそってくれたのである。工事の後であるから、問題にならないだろう。
いろいろ忙しかったが、その前の94年は前庭を掘り起こして、企画館ギャラリーを地下に建築する建築委員をやり、その最中に母がなくなり、よく年95年正月に神戸の震災で文化庁災害派遣、3月15日ごろやっとロンドン大学コートールド研究所に客員研究員として文部省在外研修で1年4か月ロンドンに滞在し、帰国後すぐ、その《地獄の門》の免震化工事のために入札業務。ロンドン滞在中には、パリのロダン美術館で行われたさびた骨組みの交換工事を請け負ったクーベルタン鋳造所の所長を訪ねて、下調べを行っていた。だがこの一大事な工事の報告書は「ない」という。(フランス人は嘘を真顔で言うことが出来る。ゴーンの奴も大うそつきだ)本当は実在するという話は後日聞いた。要するに西洋美術館の《地獄の門》には一番貫(最初に鋳造したという意味)であると長い間主張してきた。ロダン美術館、フランス美術関係者はいつもそう言ってきた過去があって、工事調査が行われて、いろんな秘密が隠されていたのである。ロダン美術館の《地獄の門》の裏側(この彫刻は後ろは衝立でふさがれているので、後ろのふたを開けて見学したのだ。見てびっくり!!西洋美術館のものと随分違う鋳造がされていたのである。それが見抜けなかった思うなフランス人!! 調査中に一番貫がフィラデルフィアの美術館、二番貫がロダン美術館、そして三番貫がチューリッヒ美術館、そして四番貫が西洋美術館のものである。幸いにしてこの四体の《地獄の門》はルディエ鋳造所で砂型鋳造で創られたもので、彫刻の見た目、重量感が違っている。 その後クーベルタン鋳造所で鋳られたものはセラミックコア方式と呼ばれる方法で鋳造されて、石膏原型には忠実なようでも軽く感じる。またコア方式の欠点として、型に使う蝋型が収縮変形する欠点がある。こうしたことが分かるにつれて、すでに彫刻をくみ上げている鉄製の骨組みが錆びて、8トンと推定された重量で全体が沈降し始めていたのを改善するための処置計画が決まった。この鉄製の骨組みを撤去するには、表側を下にして裏から除去するほかなかったが、パリでは表に材木を当てたそうだが、私は門を鉄の箱に縦に安置し、発泡スチロールを吹き付けてから、そっと寝かせる方法を採用した。これは寝た時に全体が均等に沈む計算であったが、四隅で竹中が図ってくれた誤差は15mm程度であった。他に独特な方法として新たな骨組みはステンレスを採用し、ステンレス骨組みと力が直接かかる接合部にはブロンズで鋳造されたワッシャーや軸受けを採用した。これは異種金属が触れた時に起きる「電食(力がかかる場所に電気が発生し、金属元素がイオン化し彫刻のブロンズ側から銅イオンが析出する現象)を防ぐためにブロンズで各所鋳造した。こうして修復保存処置が完成した後、免振装置がセットされた台座の上に設置された。
この工事の免震化の工程はメルボルンで開催された保尊修復・保存科学の国際機関であるIICの国際会議でポスターとして発表された。その後、さらにこれがゲッティ美術館(ロスアンゼルス)の保存部長の目に留まり、国際シンポジュウム「美術館・博物館の地震対策」で招待発表することになった。この国際シンポジュウムはロスアンゼルス、アテネ、イスタンブール、東京(西洋美術館)と開催された。その間にギリシャの地震工学研究者から講演の中で「ギリシャの国宝のヘルメス立像の免震化は、東京を訪ねた時、西洋美術館の地獄の門の修復プロジェクトを知って実現させた」と聞いて、うれしかった。なんだか研究論文が引用されたような気分であった。
これも竹中工務店の東京のメンバーが私のわがままを聞いてくれて、プロの精神と「気合」で工事完成まで付き合ってくれたおかげである。いまだに忘れられない経験をさせてもらった。だから花見も一緒に大事な記憶なのである。
桜を絵に描く者は大胆である。本物より美し描けるだろうか?絵を描くより「花より団子」!!
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