河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

個性と才能

2019-03-23 12:52:10 | 絵画

年度末後半になって、すべての公立大学の入試は終わった。私の愛弟子のKちゃんの芸大入試も、油絵学科の二次試験で終わった。二次試験はデッサンで、課題は「世界を見る、世界を考える」だったそうだ。前から述べているように、この出題方式で「デッサン(木炭あるいは鉛筆画)」で描けというのだから、よほどこの手の出題から、絵画イメージを構想できる訓練を積んでいないと対応できないし、そもそも「観念的な意味」に違和感を感じない観念的な人間である必要がある。観念的な表現が嫌いな私はこの選択は向かないから、二次試験で排除されるであろう。しかし本気で芸大の教授たちは、これで個性と才能がある学生を選抜できると考えているのであろうか?まあ、本気であるならそろそろ「才能ある美術家」が輩出されても良かろうが・・・・?さらに三次試験は、これに輪をかけたような、観念的イメージを作り出すことを求められるが・・・。何か中途半端な選択方法だと感じるのは「観念性」で選ばれた学生を紹介するNHKの爆笑問題が担当する「00爆問」とかいう番組で芸大の教室で学生が制作する状況を紹介しているのを見た時「なんだ、これは小中学生の図画工作の延長ではないか」と思ったときから、心配していた。まさに美術と観念アートの境をはっきりさせて、「観念アート学科」を設けるべきだと・・・・しかもこれは哲学的意味を消化できるハイレベルな教授と学生がいないと成立しないと思うが。

Kちゃんにとって、私が「構想画の描写」を重んじる先生である以上、芸大の油絵学科には向かない。Kちゃんが私に「洗脳」されて、入試の準備をしてきた限り、同様に油絵学科には向かないのである。で、Kちゃんも描写で表現する「構想画」を好んでいる現状では、まだ描写力を試験する「日本画学科の方に行くしかない。前にも書いたように、日本画と油絵との違いは「すでに画材の違い」だけになっていると言える。だからKちゃんがこの先、どのような在り方を求めるか「好き」で選択するほかない。

週刊ダイヤモンドオンラインのネットページに「東大推薦入学に合格するスーパー高校生の素顔・・・」の紹介があって、小中学生であったころから、どのような興味で、様々な優れた体験をしてきたかが問われて推薦の基準となっている。普通にアカデミックな勉強で入試をこなした学生と違って、学業の成績優秀は当然ながら、それ以外に何か「研究課題」を自主的に決めて、成果を出して、中には企業の研究開発部門レベルの研究成果を上げた理数に強い高校生とか、親が外国人で、子供時からバイリンガルであるとか、突出した者もいる。こうした高校生には入学試験は必要ないであろう。そこには既に「個性と才能」が光って見える。

そこで芸大もこうした選出の仕方をもって、才能がある学生を集めるべきと思う。

そのためにも、推薦枠を設けて、自薦で「何を求めて表現したいと思っているのか」「これまで何をどうする活動を行ってきたのか」などを文書で経歴なども含めて提出し、同時に制作活動の証拠となる作品を、原作、写真、デッサンはポートフォリオで提出などで審査すればよい。もしズルをして他人の作品などを提出したものは、その後、その者の実力はばれるであろうから「退学」させれば良い。どっちみち50人合格しても4年生まで残って制作する者は4~5人程度でしかない。今時、高校生の時から、個性が際立った者はたくさんいるだろうが、地方に行けば未だに「集団の価値観」を押し付けられて「個性」を発揮できない若者もたくさんいる。この国が「国際標準」に達しない国民性や社会制度が未だに改善されていない以上、例えば「いじめ」があっても、教育委員会が調査しても「そう判断できませんでした」とか発表し、責任逃れが頻繁に起きる、「無責任体質」など状態化したままの世の中で「個性や才能」が育つわけもない。必要なのは筋の通った「合理的な社会」である。物事が曖昧に放置されて終わってしまうところでは「判断力」が育たず、時間やエネルギーも無駄になる。男女差別や不公平、不公正な基準が放置されて、社会の歪みの是正が遅れるのは、島国根性で単一民族だと信じ込んだままで、海外からの労働者に国際的な基準ではなく、日本的な基準で接するところなど・・・見ていられない。

特に地方では「個性と才能」が潰されやすい。地方の町の教育委員会のメンバーは席のたらいまわしで、縁故関係で繋がっていたりするから、彼らの資質には担保がない。で、自分たちは一流の人間だと自負したりしているから、学校教育も良く成り様がない。昔のように地方から育った維新の志士が出るはずもない。何故なら、現状に問題意識がない人たちが少ない利権を抱え込んで生きている現代の姿に希望が感じられないから、一度地方を離れたエネルギーとなる若者が帰って来ないのである。

私の入試のころは東京芸大のは競争率44倍、2200人の受験生で50人合格だった。今は18~19倍だそうだ。昔は、ただ「素直なデッサン」「素直な描き方」が入学後に「成長できる者」とされたのであるが、逆に教授が「学生の好きにやらせる」で育つほど「自主性に富んだ若者」が居るというのは、これも「観念的な思い込み」に過ぎないと思う。そこでは教授陣の能力が求められるのだが・・・・。

才能ある人材を育てるために、今年から授業料を値上げしたという芸大であるから、その責任は大きかろう。


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