自分らしく生きることは、自分以外のものすべてとの戦いであり、融和でもある。
下の作品は1987年12月の記述が、左隅のトカゲが口にくわえる石板に描かれている。珍しく画題があって「出口を捜す卵」という題だ。82年にドイツから帰国して、修復業を模索しながらしばらく絵を描いていなかったのを再開し、なるようにしかならないと開き直った頃だ。冥府の入り口で出口を捜す自分を卵に例えて描いた。妊婦は私の欲しかったもので、その横に座る男は死神だ。
この作品は私にとっての絵画の始まりで、物としてではなく、心として描く世界が感じられるようになった記念すべき作品だ。
455x620mmシナベニヤ(フラッシュ板)に胡粉地。油彩。
そう言えば、もっと以前に構想画を描いたものがあって、その後の作品にも影響を与えたと言えるものがあった。
これはベルリン時代(1979年から82年春まで)の作品で完成は1979~80年頃国立絵画館で修復保存の研究生をしていたころと思う。「植物園」という題だ。真ん中の枠の部分がベるリン時代で、外の枠は帰国後が枠に入れたいが・・・・どうしょうもなく中途半端な完成度に「屋上屋を重ねる」がごとき失敗作。
340x465mm板に胡粉地、水彩絵の具に保護ニス。イギリスの有名な風景画家JMWターナーも白地に美しく映える水彩絵の具を下絵に用いて、上に油彩を重ねることをやっているが、保存上最悪な結果が起きる。水彩の具の層がぺろりと剥がれ落ちることがある・・・を私も経験した作品。油彩絵の具の美しさは違った方法で生かすべし。水彩絵の具のメディウムのアラビアゴムは何年たっても水に溶ける。湿気で緩くなって接着力が失われるのだ。ベルリン時代の下宿では臭いがする油絵の具は使わせてもらえなかった。うるさい大家に隠れるようにして、水彩絵の具で描き始めたのだった。
下の枠の内側の部分が基の絵で、200x300mm
ちまちま描く始まりで、絵画修復のリタッチのような根気がこんな絵を描かせたのだろう。確かに細かく描くには絵具が筆にまとわりつかない水性絵の具が適している。しかしメディウムがアラビアゴムでは保存に耐えない困難さが残る。ではアクリル絵の具ではどうかというと、アクリル絵の具はアセトン、トリオールなどの有機溶剤で溶解され、油絵の具のようなメディウム効果は作れないわけではないが、経年変化の結果が見えない。
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