風のように

ゆらり 気ままに 過ごすとき
頭の中は妄想がいっぱい
錯覚の中で生きるのが楽しみ

性加害に思う

2023-09-14 17:56:23 | こころ
消えることのない
性被害者の心の傷

小学校高学年の頃私は暴行にあった
私はそのことをずっと母に話せないでいた

話したのは大人になってから
結婚してからだったろうか

その頃の私は放課後を図書室で過ごし
ひとりで帰ることが多かった

小学校から自宅へは田圃道を30分ほど歩く
私の村は二毛作地帯で

麦の穂の上に頭一つ出してランドセルを背負い
図書の本を読みながら帰っていた

ある日後ろから来た自転車が私を追い抜き停まった
そして私は麦畑の間の畔道に押し倒され馬乗りにされた

暴れ泣き叫んだが無抵抗も同じ動けない
剃刀を持った手が私の首筋に向けられた

「泣くな!泣いたら殺すぞ」の声
その声に必死の抵抗の私は泣きやんだ

なぜかその剃刀を見た途端
私は怖くもなんともなくなった

抵抗は無駄と悟り
開き直ったのだろうか

男はマフラーで顔を覆っている
誰かはわからない

それに
なぜだかわからないけれど

男は泣きやんだ私を見下ろし何もせずに去った
私は命を拾った

あの恐怖
あの開き直りの無の感情は忘れない

それになぜ私はあの時
助かったのか今でもわからない

でもそれ以来捨て蜂というか
無謀な心が住み着いた気がする

言いたいこと私のそれじゃない
性加害者のこと

長年のジャニー喜多川氏の性犯罪や
教師や警察官や養父などによる性加害

立場を利用したこれらの行為
世間に知れた時のこと分かっているはずなのに

そうしなければならない愚かさ
それとも相手は喜んでいるとか同意だとか

まさかね
そんな風に思わないよね

回を重ねるほど加害者は同意の上と都合よく思うのか
被害者は嫌悪とトラウマが増すばかりなのに

DVだって虐待だって同じこと
一方的な加害者の行為

忖度という言葉は
ほんとうに人の心を言い当てている

私の性被害未遂事件も母に心配させたくない
迷惑かけたくないという母への忖度があって黙った

もしその後誰かが被害に遭っていたとしたら
私は苦しまなければならなかった

ジャニー氏の性加害は
多くの関係者がジャニー氏に忖度して押し黙った

分かっていたのに押し黙った
被害者の子供たちも声に出せなくて忖度した

忖度って弱さの中に生まれる心
毅然とできない心

芸能界にあらず政界にあらずどんな組織に於いてでも
権力者というか力が付くほどに忖度が生まれる?

それは思いやりとは違うのだろうか?
忖度は相手にとって都合よい?

そればかりでない咎められなくて済むという
自己弁護の行為

思いやりは相手を思ってのことであるが
義の上にあるのだろう?

ほんとうにジャニーズ事務所の関係者に
ジャニーさんに対して思いやりがあれば

ここまでの犯罪にならなかった
だろうに

忖度という行為は何の罪にも問えないことなのだろうか
忖度がまかり通って大きな犯罪に結びついていく怖さ

忖度は独裁者にくっついている
小さな組織も大きな組織も諫める力がないと独裁である

独裁は孤独と不幸を呼び
周りが先か独裁者が先かきっと周りの忖度から始まる

今日9月14日
森友学園問題の財務省文書の改ざん問題で

自殺した赤木さんの資料不開示決定の取消しを
求めた赤木雅子さんの訴訟を認めず訴えは棄却された

義をもって判断してほしいと願う



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