風のように

ゆらり 気ままに 過ごすとき
頭の中は妄想がいっぱい
錯覚の中で生きるのが楽しみ

銀杏⑥

2020-11-25 02:07:05 | こころ
振動を防ぐためにありったけの夜具を敷き
まるで嬰児籠のようにしつらえたリヤカーの上で病人は丸まった

青年の勤務する大学病院に連絡するにも実家に連絡するにも
電話すらない車もない例え車があっても通れない山奥だ

「こうしていると少し痛みが和らぎます」と病人は
右わき腹を抱えて嬰児籠のように積まれた布団にもたれた

よほど眠っていなかったのだろう時々静かな寝息が聞こえる
あてもなく紅葉に魅せられて自転車を押して登った山を今は

転げそうなリヤカーの後ろに手をかけブレーキをかける
「もう少し下りれば村長の家です。電話があります」と

リヤカーの舵を取る村人の声
月明りと懐中電灯を頼りに30分は山を下りたもう夜が明ける

青年はおそらく手術になるだろうと病名の見当をつけていた
大学病院までは時間がないかもしれない

・・・・・・・・

手術は無事に済んだ
病人と住職は病室で眠っている

村人の一人はリヤカーの舵を取り青年はリヤカーの後を押し
来た道を登っている

「先生のお陰で大黒さんはようございました」
「僕は医者ですから」
「医者さんが偶然おいでるとは大黒さんは強運です」
「間に会ってよかったです。あなたのリヤカーのお陰です」
「あなたとはこそばい。吾一というので吾ッさんと呼んでください」
「吾ッさんですか!僕は慎吾っていうので慎ちゃんで」

下りの2倍の時間をかけて二人は寺に戻りその夜は吾一の家に泊まった
慎吾は一宿のお礼を吾一に言って銀杏の落ち葉の里を去った

頭陀袋の中には聴診器と吾一の母がむすんでくれたおにぎりがある
慎吾の心は穏やかだった

昨夜吾一と慎吾は親友になった
吾一の家の桶風呂に入っていると「背中流したるで」と裸でやってきた

断る間もない真一は「もう洗ったから僕が洗ってやるよ」と湯船から出る
吾一の裸はごっつい「ええ体やなあ!吾ッちゃんの仕事は?」

「俺は木こり」
「なるほど逞しいはずや」
「慎ちゃんも医者にしとくにはもったいない体や」
「何ゆうとるんや医者は重労働で体力勝負や」
「ふうんそんなもんかいな」
「そうやで」

二人は布団を並べても久しぶりの兄弟のように他愛ないことを喋った
随分上だと思った吾一の歳はたったひとつしか変わらなかった

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