--このエントリーはようやく落ち着いた1ヶ月後に、当時の日付で書いている--
8/26(日)
睡眠薬で無理やり眠るも、夜半の激痛で目が覚め、眠れぬ夜を過ごす。
早朝、痛みを紛らわす為にあてもなく病棟を車椅子でぶらついていたら、西方に常念岳と
その左に槍ヶ岳の穂先が覗いている。
早朝の西山(北アルプス)を見るのは多分そう、40数年振り。
松本で育ったものの、信州の帰省先、塩尻の妻の実家の辺りは、もう木曾谷の入口で、
北アルプスは見えない。こうして雄大な常念岳と、実はそれよりもっと高い槍ヶ岳を見ると、
「あ~ぁ、故郷の風景だ。」と思うのだ
8/27(月)
色々と調整することはあったが、9/5に相澤病院から東芝病院に転院することが決まった。
これで一安心。
8/28(火)
体調コントロール失敗。夜半よりずっと、足が痛い。
8/29(水)
相変わらず、右足の痛みが酷く、鎮痛剤が切れた時間が辛い。
看護士は、もう手術跡は融合しており、手術の痛みは無いはず。リハビリのやり過ぎの筋
肉痛か、もみ返しの痛みのはずと言うのだが、、、、、
2日ぶりに、シャワーを浴び、リフレッシュ。手術後2週間経ったので、レントゲンの再撮影、
そして、右足に20kgの負荷を掛ける練習をした。20kg負荷では足に痛み無し。でも
20kgって、片足そのものの重量程度なので、単にポジションコントロールができるだけ
で、歩くことは無論出来ないばかりか、松葉杖での歩行も恐怖感があり出来ない。
(松葉杖は脇の下で体重を支えるのでなく、手で体重を支える、したがって私の場合、
右手では使えない。)
8/30(木)
レントゲン撮影の結果、順調に回復しつつあるとの朗報にも関らず最悪の一日になった。
朝から右足が痛み、しかも攣る感じだ。妻が10時に身の回りの世話をしに来てくれている
のだが、会話が成り立たない。ただひたすら痛く、七転八倒、臀部を揉んでもらう。リハビリ
の治療師からは、坐骨神経が臀部の凝っている梨状筋などと干渉して、炎症を起こしてい
るのでは?ということで、臀部の凝っている筋肉を中心に揉み解してもらった。マッサージ
後はしばらく調子がよかったものの、夜半から激痛となり、痛み止め座薬、催眠導入剤と
試したが眠れず、最終的に睡眠剤を筋肉注射して、夜半に昏睡するように眠りにつき、
翌朝6時に目が覚めたのであった。
8/31(金)
昨日の続きとなるのを恐れ、ベッドの上でひたすら謹慎し、リハビリと時々のコーヒーブレ
イクのみにとどめた。午後より痛みもほぼ止まり、以前の状態、つまり微痛はあるものの、
我慢できる程度であり、本も読めるようになった。
思うに、ここ2~3日、足の痛みを紛らわすため、逆療法で右足のストレッチをしすぎたの
が激痛の原因であったかもしれない。主治医の鈴木医師の説明では、右足の攣るような
感覚は実際に攣るのではなく、坐骨神経の圧迫によってよく起こるようだ。右足をストレッ
チする→坐骨神経が引き伸ばされる→炎症の可能性がありそう。
骨折入院→肺栓塞→死亡という実例があると友人から知らされ、昨日脱いだ、エコノミー
症候群防止の圧縮ストッキングを今日は履いて寝ることにする。
9/1(土)
昨日昼間、運動などを自粛していたにも関らず、夜半過ぎにやはり痛みはやってきた。
入眠剤をお願いするも、夜12時以降は明朝への影響を考慮して、入眠剤は出せないと
のおおせ。そうなら、早くナースコールをしたのに、との後悔もむなしく、眠れない夜を過
ごしたのであった。昼は昨日の続きで、痛みレベル1~2/5と、まあ何とか意識を集中
できるレベル。午後レベル1に落ち着いたので、読書ができた。今日は座薬と入眠剤を
事前入手したので、何とか眠れるだろう。