モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

ジャニス・ジョプリン

2007-01-27 | BABYMETAL・LOVEBITES・XG・宮本佳林・ジャズ・クラシック
確か下北沢の一番街だったか、当時としては決して安くない金額をはたいて買ったレコードが、ジャニスの「PEARL」でした。故植草甚一氏が、経堂から通っていた「タイム」という喫茶店があり、コーヒーをすすりながら買ったばかりのLPをしげしげと眺めた記憶があります。

当時は、どちらかというとジャズに没頭していて、マイルス・デイビスやウェイン・ショーター、ジョン・コルトレーンなどを聴いていたのですが、友人に渋谷の恋文横町のもっと上の方の百軒店だったか、「サブ」というロック喫茶に連れて行かれて聴いたのが最初だったような。記憶が曖昧なんですが…。「ムルギー」で、当時は珍しいゆで卵がのったインドカレーを食べたり、「喜楽」のモヤシソバを食べてから、どっぷりとジャニスのブルースに浸ったものです。ハシゴのような階段を二階に上ると、薄暗いというよりは真っ暗に近くて、陽光降り注ぐ道玄坂から入ると一瞬何も見えなくなったものでした。明るい店内を見たことがないので、どんな内装か記憶がないのですが、当時はジャズ喫茶も今では許可にならないぐらい薄暗いものでした。

百軒店には、ブラックホーク、B.Y.G.とかロック喫茶がたくさんあったと記憶しています。なんとB.Y.G.は、まだ営業してるようですね。BEGINなどもライブをやっているとか。今なら行くでしょうが、当時は通り過ぎるだけだった名曲喫茶「ライオン」もまだ健在のようですね。学生時代になると、渋谷からは遠ざかり新宿の「ピット・イン」や「DIG」、「DUG」などに顔を出すようになりましたが、ジャニスというとなぜか渋谷の百軒店と下北沢の「タイム」を思い出すんです。

そういえば私は縁がなかったけれども、コント赤信号などが出演していた「道頓堀劇場」が目の前にありましたね。帰りに「民民羊肉館」(ミンミンヤンロウカン・本当は王偏に民)で、サンマーメンに餃子なんかも食べました。なんでも妻の両親がデートでよく行ったとか。餃子の元祖ですね。ニンニクを入れたのもそこの親爺さんのアイデアだとか。

その後は、吉祥寺近くに住んで、また「ファンキー」や「OUTBACK」などジャズ喫茶通いの日々でしたが、時々思い出したように「赤毛とそばかす」なんかにも通ってました。JBLやアルテックのスピーカー、マランツやマッキントッシュのアンプは憧れの的でしたね。バイトして憧れのラックスのアンプを買った夜は、一晩中聴いてました。昨今のCDやMP3の安っぽい音を聴いていると、それに連れて歌手や音楽そのものも安っぽくなってしまったのかなあなんて思ったりもします。70年代は60年代からの解放の時代でした。なんだかみんなゆるくて、サブカルチャーが活き活きしていた時代ですね。

実は、昨夜はちょっと時間が空いたので家族でジャニス・ジョプリンのビデオを観たのです。ちょうど小6の次男も、学校でジャズなんか演奏しているもので、ジャズ、ロック、ブルースなんかに興味を持ち始めたんですね。ちょっと重いけれど「魂のうた」ってやつを聴くのもいいかなと。なんだか気に入ったみたいです。
コメント
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