日曜日に県立歴史館へ所用に行った帰りに屋代の一重山に登ってみました。この前のhttp://ja.wikipedia.org/wiki/長野県道392号白石千曲線県道白千曲線(通称あんず街道)は頻繁に通るのですが、一重山へは登ったことがありませんでした。友人達と五里ヶ峯から国土地理院の地形図にある屋代城跡の一重山へ縦走した時も、城跡から駅方面へ下りてしまったので、本来の一重山へは登りませんでした。
頂上はどうなっていたかなと、古い記憶をたよりに尾根の先端の蹄ヶ崎から登りました。県道脇の空き地に駐車して石段を上ります。ちょっとアールヌーボー風の壊れた街灯のある門をくぐって登るとすぐに鐘つき堂。明治2年建立で山ん堂の鐘というそうです。広場に出ると一重山不動尊。明治18年頃、地元の雄志が成田山新勝寺から本尊を頂き祀り、後に鼻取地蔵と合祀されたそうです。
そこから登るとすぐに小さな御嶽神社があります。その右横を登っていくと墓地があります。脇を登ると四阿があり、見晴らしの良い広場に出ます。ここからの眺めは、日本百景に選定されているそうですが、東には鏡台山から斎場山にかけての戸神山脈が見え。西には冠着山(姨捨山)から三峯山、聖山、茶臼山が見えます。広場の南端には戦没者を祀った矢代神社があります。
神社の左横を登ると狭い山頂に着きます。ここが本来の一重山山頂です。ここには弘化4年(1847)に御嶽神社が建立されましたが、昭和55年に下に遷座されました。現在は三本の柏の木が御神木として生えています。ここから南には深い鞍部を挟んで現在国土地理院の地形図で一重山と表示されている屋代城跡の本郭がある458mのピークが見えます。この山は、埴科郡誌では小島(おじま)山と書かれています。その向こうには重なって有明山のピークも見えます。ここにはニホンカモシカが生息していて頻繁に見かけます。
もう3月というのに真冬のような寒さで薄暗く、北風が凍てつくようでしたが、うん十年ぶりの一重山は、とても懐かしさを感じるものでした。今度はカスミザクラやウワミズザクラが咲く頃に訪れたいと思います。
妻女山のニホンカモシカのスライドショーは、こちらをクリック!
★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。
★【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】ニホンカモシカに遭遇したトレッキングも数多くあります。
頂上はどうなっていたかなと、古い記憶をたよりに尾根の先端の蹄ヶ崎から登りました。県道脇の空き地に駐車して石段を上ります。ちょっとアールヌーボー風の壊れた街灯のある門をくぐって登るとすぐに鐘つき堂。明治2年建立で山ん堂の鐘というそうです。広場に出ると一重山不動尊。明治18年頃、地元の雄志が成田山新勝寺から本尊を頂き祀り、後に鼻取地蔵と合祀されたそうです。
そこから登るとすぐに小さな御嶽神社があります。その右横を登っていくと墓地があります。脇を登ると四阿があり、見晴らしの良い広場に出ます。ここからの眺めは、日本百景に選定されているそうですが、東には鏡台山から斎場山にかけての戸神山脈が見え。西には冠着山(姨捨山)から三峯山、聖山、茶臼山が見えます。広場の南端には戦没者を祀った矢代神社があります。
神社の左横を登ると狭い山頂に着きます。ここが本来の一重山山頂です。ここには弘化4年(1847)に御嶽神社が建立されましたが、昭和55年に下に遷座されました。現在は三本の柏の木が御神木として生えています。ここから南には深い鞍部を挟んで現在国土地理院の地形図で一重山と表示されている屋代城跡の本郭がある458mのピークが見えます。この山は、埴科郡誌では小島(おじま)山と書かれています。その向こうには重なって有明山のピークも見えます。ここにはニホンカモシカが生息していて頻繁に見かけます。
もう3月というのに真冬のような寒さで薄暗く、北風が凍てつくようでしたが、うん十年ぶりの一重山は、とても懐かしさを感じるものでした。今度はカスミザクラやウワミズザクラが咲く頃に訪れたいと思います。
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