今年の夏山登山は、別名を諏訪富士と呼ばれる蓼科山でした。コニーデ型火山にトロイデ型火山が噴出してせり上がってできた二重式火山です。台風や雷雨が多い毎日で心配しましたが、この日は奇跡的に?晴れました。東御SAから一路蓼科に向けて谷筋を登りましたが、周囲は朝霧に包まれて真っ白でした。大丈夫かなと一瞬不安になりましたが、標高を上げて高原に出ると霧が晴れました。
御泉水登山口の駐車場に着いたのが8時半前でしたが、既にほぼ満車状態。東京方面のナンバーが多いので、早朝もしくは深夜に出たのでしょうね。蓼科山を見上げながら準備を整えて、鳥居をくぐって出発です。登山道は前夜の雨で水の流れができていました。コメツガとミヤコザサの濡れる苔むした登山道を登っていきます。花は少なめでした。目についたのはイチヤクソウ(一薬草)とハクサンフウロ(白山風露)ぐらい。アイタケなど夏のキノコも散見されました。他には、葉が蟹の甲羅に似ているカニコウモリも咲いていました。
とにかく登山道は、岩だらけ石ころだらけなのです。登りは面白いです。足の置き場を探すパズルの様な登山です。これがずっと続くのです。花はゴゼンタチバナ(御前橘)。そしてヒカゲノカズラ(日陰葛)。胞子は石松子(せきしょうし)といい、薬用や果物などの人工授粉剤として用いられます。古生代のシダ植物の生き残りともいわれています。
『古事記』の天の岩戸で天宇受売命(アメノウズメノミコト)がたすきがけにしていたのが日陰葛(日影葛)といわれています。古代から注目を集めていたようで、万葉集には下記の四首があります。
「斎串立て 御瓶据ゑ奉る 祝部が うずの玉かげ 見ればともしも」
「あしひきの 山かづらかげ ましばにも 得がたきかげを 置きや枯らさむ」
「見まく欲り 思ひしなへに かづらかげ かぐはし君を 相見つるかも」
「あしひきの 山下ひかげ かづらける 上にやさらに 梅をしのはむ」
山頂は、だだっ広い岩塊だらけの火口跡で、ほぼ中央に蓼科神社の奥宮があります。里宮は、立科町にあります。岩の間には、コケモモがたくさん自生していました。ここで適当な座り心地のいい岩を見つけて昼食タイム。爽涼の風が気持ちよく吹いています。残念ながら北アルプスの大パノラマは拝めませんでしたが、槍の穂先は見ることが出来ました。八ヶ岳は、間にひっきりなしに雲が流れて、全貌は撮影できませんでしたが、むしろダイナミックな自然の一コマを堪能できました。
のんびりと昼食タイムや撮影タイムを過ごして下山です。しかし、この時間に登ってくる人が激増。雷雨の来る蓋然性が高い夏山は、早出早帰という原則を知らない人達ですね。4、5歳ぐらいの子供達が多いのにも驚かされました。雷雨の可能性のある午後二時には下山していることが基本です。赤ん坊を背負ったお父さんも何人かいました。私も昔、高尾山でアルミキャリアーでおんぶ登山をしたことがありますが、最悪のケースを想定して登るべきです。「キッズトレッキングのアドバイス」
御泉水からは標高差も少なく、距離も大したことはないのですが、とにかく岩だらけで浮石も多く神経と筋肉を使うのです。前を行く女性が転倒して一回転しました。幸い大事には至りませんでしたが、あなどれない山です。トリアシショウマにアブや小さなハムシが集まって吸蜜していました。コメツガの森は、湿度がたっぷりです。
そのため、樹木や岩には苔や藻類、地衣類がたくさん見られます。一般の登山者は目にも留めませんが、実はキノコなどの菌類などと共に、森を構成する非常に重要な一員なのです。今回は、期待していた粘菌(変形菌)が見られなかったのが残念でした。
下山後、女神湖(農業用に建設された人造湖・赤沼温水溜池)の畔から蓼科山を仰ぎ見て休息しました。美しい形の蓼科山は、女性の乳房のような形をしているからでしょうか、女の神山とも呼ばれてきました。
帰路の途中で、蓼科神社里宮に立ち寄りました。神代杉がそびえています。平安時代に編纂された歴史書『日本三代実録』に「陽成天皇元慶二年七月十六日信濃國正六位下蓼科神授従五位下」と記されている国史見在社の式外社です。太く高い杉木立に囲まれた趣きのある神社でした。そして隣にある南嶽山光徳寺にも立ち寄りました。ここの山門は、立川流の見事な彫り物が見られます。その後は、立科温泉 権現の湯へ。ジャグジーで疲れた筋肉をほぐしました。露天風呂からは、浅間山が望めます。
別の日には、白馬バレイへ。あいにくの小雨模様でしたが、仕事がらみの視察目的もあったので、精力的に大町から白馬村、小谷村を回りました。スキーリゾートで有名ですが、実は非常に古い歴史のあるバレイ(谷)なのです。まずは大町市の鷹狩山展望台へ。晴れていれば北アルプスの大パノラマが堪能できるベストポイントなのです。北アルプスは雲の中でしたが、眼下の大町や、東南の京ヶ倉、美ヶ原方面の景色は見事なものでした。そして雨の中を大町山岳博物館へ。ずっと行きたいと思っていた所です。展示は見応えがありました。剥製、特に蝶などは変色してしまうのは仕方がありませんが。針ノ木峠を巡る加賀藩と松本藩の攻防や協力の話は、実に興味深いものでした。化石も見応えがありました。
そして、白馬五竜、飯森ゲレンデ、47へ。雨まじりでしたが、盛夏の高原を堪能しました。オーストラリア人に人気の八方尾根スキー場へ。なかなか趣きのある旅館街です。白馬ジャンプ競技場へ。間近で見ると、ど迫力ですね。ジャンプが、飛ぶのではなく落ちるのだということが分かります。尋常ではないです。あの角度と高度差は。あんな競技を考えたバイキングの子孫たちは、クレイジーとしか言いようがありません。ノルウェーは、ブラジル人の友人がいるので訪ねたことがありますが、どちらかというと皆控えめで、そんな大それた事をする民族には見えなかったのですが、やはりバイキングの血が流れているのでしょうか。
◆この度、「信州 山の日」制定に伴い、「信州 山の達人」の募集がありましたが、私がそのひとりに選ばれました。妻女山SDP(里山デザイン・プロジェクト)の活動や、当ブログ「モリモリキッズ」やホームページCAPINOでの情報発信活動が、「独自性」「継続性」「有効性」「発信力」の観点から優れていると認められ、選考されたということです。今後も、里山保全活動や、里山インタープリター、ネイチャーフォトなどに力を入れていくつもりです。
妻女山SDPの活動記録は、■MORI MORI KIDS Nature Photograph Galleryのインデックスの妻女山SDPか当ブログ「モリモリキッズ」をご覧ください。
御泉水登山口の駐車場に着いたのが8時半前でしたが、既にほぼ満車状態。東京方面のナンバーが多いので、早朝もしくは深夜に出たのでしょうね。蓼科山を見上げながら準備を整えて、鳥居をくぐって出発です。登山道は前夜の雨で水の流れができていました。コメツガとミヤコザサの濡れる苔むした登山道を登っていきます。花は少なめでした。目についたのはイチヤクソウ(一薬草)とハクサンフウロ(白山風露)ぐらい。アイタケなど夏のキノコも散見されました。他には、葉が蟹の甲羅に似ているカニコウモリも咲いていました。
とにかく登山道は、岩だらけ石ころだらけなのです。登りは面白いです。足の置き場を探すパズルの様な登山です。これがずっと続くのです。花はゴゼンタチバナ(御前橘)。そしてヒカゲノカズラ(日陰葛)。胞子は石松子(せきしょうし)といい、薬用や果物などの人工授粉剤として用いられます。古生代のシダ植物の生き残りともいわれています。
『古事記』の天の岩戸で天宇受売命(アメノウズメノミコト)がたすきがけにしていたのが日陰葛(日影葛)といわれています。古代から注目を集めていたようで、万葉集には下記の四首があります。
「斎串立て 御瓶据ゑ奉る 祝部が うずの玉かげ 見ればともしも」
「あしひきの 山かづらかげ ましばにも 得がたきかげを 置きや枯らさむ」
「見まく欲り 思ひしなへに かづらかげ かぐはし君を 相見つるかも」
「あしひきの 山下ひかげ かづらける 上にやさらに 梅をしのはむ」
山頂は、だだっ広い岩塊だらけの火口跡で、ほぼ中央に蓼科神社の奥宮があります。里宮は、立科町にあります。岩の間には、コケモモがたくさん自生していました。ここで適当な座り心地のいい岩を見つけて昼食タイム。爽涼の風が気持ちよく吹いています。残念ながら北アルプスの大パノラマは拝めませんでしたが、槍の穂先は見ることが出来ました。八ヶ岳は、間にひっきりなしに雲が流れて、全貌は撮影できませんでしたが、むしろダイナミックな自然の一コマを堪能できました。
のんびりと昼食タイムや撮影タイムを過ごして下山です。しかし、この時間に登ってくる人が激増。雷雨の来る蓋然性が高い夏山は、早出早帰という原則を知らない人達ですね。4、5歳ぐらいの子供達が多いのにも驚かされました。雷雨の可能性のある午後二時には下山していることが基本です。赤ん坊を背負ったお父さんも何人かいました。私も昔、高尾山でアルミキャリアーでおんぶ登山をしたことがありますが、最悪のケースを想定して登るべきです。「キッズトレッキングのアドバイス」
御泉水からは標高差も少なく、距離も大したことはないのですが、とにかく岩だらけで浮石も多く神経と筋肉を使うのです。前を行く女性が転倒して一回転しました。幸い大事には至りませんでしたが、あなどれない山です。トリアシショウマにアブや小さなハムシが集まって吸蜜していました。コメツガの森は、湿度がたっぷりです。
そのため、樹木や岩には苔や藻類、地衣類がたくさん見られます。一般の登山者は目にも留めませんが、実はキノコなどの菌類などと共に、森を構成する非常に重要な一員なのです。今回は、期待していた粘菌(変形菌)が見られなかったのが残念でした。
下山後、女神湖(農業用に建設された人造湖・赤沼温水溜池)の畔から蓼科山を仰ぎ見て休息しました。美しい形の蓼科山は、女性の乳房のような形をしているからでしょうか、女の神山とも呼ばれてきました。
帰路の途中で、蓼科神社里宮に立ち寄りました。神代杉がそびえています。平安時代に編纂された歴史書『日本三代実録』に「陽成天皇元慶二年七月十六日信濃國正六位下蓼科神授従五位下」と記されている国史見在社の式外社です。太く高い杉木立に囲まれた趣きのある神社でした。そして隣にある南嶽山光徳寺にも立ち寄りました。ここの山門は、立川流の見事な彫り物が見られます。その後は、立科温泉 権現の湯へ。ジャグジーで疲れた筋肉をほぐしました。露天風呂からは、浅間山が望めます。
別の日には、白馬バレイへ。あいにくの小雨模様でしたが、仕事がらみの視察目的もあったので、精力的に大町から白馬村、小谷村を回りました。スキーリゾートで有名ですが、実は非常に古い歴史のあるバレイ(谷)なのです。まずは大町市の鷹狩山展望台へ。晴れていれば北アルプスの大パノラマが堪能できるベストポイントなのです。北アルプスは雲の中でしたが、眼下の大町や、東南の京ヶ倉、美ヶ原方面の景色は見事なものでした。そして雨の中を大町山岳博物館へ。ずっと行きたいと思っていた所です。展示は見応えがありました。剥製、特に蝶などは変色してしまうのは仕方がありませんが。針ノ木峠を巡る加賀藩と松本藩の攻防や協力の話は、実に興味深いものでした。化石も見応えがありました。
そして、白馬五竜、飯森ゲレンデ、47へ。雨まじりでしたが、盛夏の高原を堪能しました。オーストラリア人に人気の八方尾根スキー場へ。なかなか趣きのある旅館街です。白馬ジャンプ競技場へ。間近で見ると、ど迫力ですね。ジャンプが、飛ぶのではなく落ちるのだということが分かります。尋常ではないです。あの角度と高度差は。あんな競技を考えたバイキングの子孫たちは、クレイジーとしか言いようがありません。ノルウェーは、ブラジル人の友人がいるので訪ねたことがありますが、どちらかというと皆控えめで、そんな大それた事をする民族には見えなかったのですが、やはりバイキングの血が流れているのでしょうか。
◆この度、「信州 山の日」制定に伴い、「信州 山の達人」の募集がありましたが、私がそのひとりに選ばれました。妻女山SDP(里山デザイン・プロジェクト)の活動や、当ブログ「モリモリキッズ」やホームページCAPINOでの情報発信活動が、「独自性」「継続性」「有効性」「発信力」の観点から優れていると認められ、選考されたということです。今後も、里山保全活動や、里山インタープリター、ネイチャーフォトなどに力を入れていくつもりです。
妻女山SDPの活動記録は、■MORI MORI KIDS Nature Photograph Galleryのインデックスの妻女山SDPか当ブログ「モリモリキッズ」をご覧ください。