シルバーウィークは、南信へ4日間の小旅行。古社や古刹巡りと山登り、信大農学部の落葉松祭へ行くのが目的です。天候には恵まれました。高速へ乗るのでは途中が楽しめないので、あちこち寄りながら全て下道で行くことにしました。
準備が送れて出発したのが9時半頃。国道403号を登ってJR篠ノ井線姨捨駅の上にある千曲川展望公園(左)へ。棚田の稲が黄色く染まっています。稲刈りも始まりました。聖湖では、既に多くの釣人がへらぶな釣りを始めていました(中)。向かいの三峯山は雲の中。麻績村を抜けて筑北村を抜けて、国道403号から県道303号へ。風越峠のトンネルの手前にある小さな展望所で小休止(右)。雲が多くて北アルプスのスカイラインは見えませんでした。ここからトンネルを抜けて松茸で有名な旧四賀村(松本市)へ。実は嫌いではないのですが、私はそんなに松茸が好きではないのです。「匂い松茸味占地」といわれますが、いったいどれほどの人がホンシメジを食べたことがあるでしょうか。諺の通り、ホンシメジは松茸の2倍以上の旨味成分があります。一度食べたら松茸が泣いて逃げるほどの旨さです。ウラベニホテイシメジも、上手く苦味を抜いて(完全に抜いては駄目)調理すれば松茸以上の美味しさが味わえるのです。旧四賀村から松本盆地に入り、浅間温泉入り口からやまびこ道路を南下し、まず弘法山古墳に寄りました。
弘法山古墳の後方部から北に広がる松本中心市街を見たところ。古墳は前方後方墳で、3世紀中頃のものといわれ東日本最古級といわれます。同じタイプのものは長野市の川柳将軍塚古墳の上にある姫塚古墳があります。科野国初代國造の墓といわれる森将軍塚古墳の前方後円墳が出現する少し前のものです。濃尾平野に展開していたという説のある邪馬台国と戦ったという狗奴国(くなこく)との関連をいう説もあります。これに関しては、3世紀に滅亡した中国の呉など中国の古代史との関連も調べる必要があるように思われます。呉に関しては、紀元前の春秋時代にあった呉も、夫差王の子孫が列島に渡来したという伝説があるので、日本史との照らし合わせが必要と思います。世界史と日本史を分けてはいけないのです。
後方部の縁から前方部を見たところ。古墳を取り囲む森は、ソメイヨシノや八重桜で、約2000本が植えられており、春には山全体が桜色の花霞で覆われます。
古墳の上には秋桜が風に揺れていました。古墳の上を歩くと、あちこちからバッタが飛び出します。古墳の上で、信大の留学生の女性でしょうか、手紙を書いていました。気温は高めでしたが、風が気持ちよく、雲の形が次々と変わっていきました。右は、前方部から見上げた後方部。松本といえばドラマ『白線流し』を思い出す人も多いでしょう。本来は岐阜県高山市の高校の話なのですが、ドラマのロケは松本市で行われました。放映当時は仕事に追われていてほとんど見る機会はなかったのですが、七倉園子役の酒井美紀さんが美しかったですね。次は、牛伏寺へ。
牛伏寺断層で有名な?牛伏寺ですが、その前に少し奥にあるフランス式階段流路の見学へ。明治後期に学び、大正初期に作られた砂防施設なんですが、それほど牛伏川は水害に悩まされたという歴史があるのです。非常に美しい階段上の流れが見られます。川沿いには、ヤマゼリが咲き乱れ、ヒョウモンチョウの仲間が盛んに吸蜜していました。
戻って信州随一の厄除観音といわれる牛伏寺(ごふくじ)へ。牛伏寺は、聖徳太子が42歳の時に自ら刻んだ観音像を本尊として鉢伏山に安置したのが始まりといわれており、756年(天平勝宝7年)、唐からもたらされた大般若経600巻を善光寺へ奉納する途中、経典を運んでいた2頭の牛が倒れたことからの命名といわれています。
山門への石段(左)。海を渡って南下する途中のアサギマダラが一頭舞っていました。山門をくぐって茅葺きの如意輪堂へ(中)。趣があります。進むと朱塗りの仁王門(右)。下には伝説の2頭の牛が。
仁王門をくぐると左手に観音堂(本堂)。入母屋造銅板葺で江戸時代前期の数少ない建造物だそうです(左)。如意輪観音菩薩坐像(中)は、平安時代末期の作。右は、観音堂の木彫ですが、ウィキペディアでは、1796年(寛政8年)大火で堂宇が焼失とあるので、やはりその後に再建された時のものなのでしょうか。諏訪立川流を思わせる貘(ばく)と唐獅子の彫り物が見事でした。
聖徳太子殿。これは新しい物のようです。伝説の牛二頭(中)。触るとご利益があるようで、善男善女に触られて光っています。牛伏寺砂防ダム越しに見る松本市郊外(右)。牛伏川は、うしぶせと読みます。ダム上には下りる階段があるのですが、施錠されていて入れませんでした。下からは見られます。この少し下からは、鉢伏山への駐車場と登山口があります。ただ、舗装された長い林道歩きがあるので、個人的にはあまりお勧めはしません。ここからは国道153号を南下。美味しい山賊焼きの店、小松食堂を右手に見て善知鳥峠(うとうとうげ「読めないですよね。ちなみにウトウとは海鳥ですがなぜここの地名になったかが不思議です」)を越え、伊那を目指しました。
テレビでも度々紹介されて有名なグリーンファームに寄り(ここは本当に面白い。当日も満員でした)、信大農学部の落葉松祭へ。宮駿さんのご子息の宮崎吾朗監督の対談などは次回に。
9月20日の信濃毎日新聞の書評欄「ふるさと長野の本」で、拙書が紹介されました。大変大きく扱っていただきました。また、書評が私がこの本を書く際に意図したことを的確に書いてくださっていて、感激しました。地方紙ですので全国の方は見られないと思いますので、紹介します。信州の山は、首都圏や中京圏、関西圏からも登りに来る方が非常に多いのですが、トレッキングだけでなく、歴史探索やトレラン、マウンテンバイク、撮影、研究など色々な目的の人に読んでいただきたい本です。山に登らなくても見て読んで面白い本だと思います。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。この夏は、信州の里山や亜高山を歩いてみませんか。
本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応は不可能です。
準備が送れて出発したのが9時半頃。国道403号を登ってJR篠ノ井線姨捨駅の上にある千曲川展望公園(左)へ。棚田の稲が黄色く染まっています。稲刈りも始まりました。聖湖では、既に多くの釣人がへらぶな釣りを始めていました(中)。向かいの三峯山は雲の中。麻績村を抜けて筑北村を抜けて、国道403号から県道303号へ。風越峠のトンネルの手前にある小さな展望所で小休止(右)。雲が多くて北アルプスのスカイラインは見えませんでした。ここからトンネルを抜けて松茸で有名な旧四賀村(松本市)へ。実は嫌いではないのですが、私はそんなに松茸が好きではないのです。「匂い松茸味占地」といわれますが、いったいどれほどの人がホンシメジを食べたことがあるでしょうか。諺の通り、ホンシメジは松茸の2倍以上の旨味成分があります。一度食べたら松茸が泣いて逃げるほどの旨さです。ウラベニホテイシメジも、上手く苦味を抜いて(完全に抜いては駄目)調理すれば松茸以上の美味しさが味わえるのです。旧四賀村から松本盆地に入り、浅間温泉入り口からやまびこ道路を南下し、まず弘法山古墳に寄りました。
弘法山古墳の後方部から北に広がる松本中心市街を見たところ。古墳は前方後方墳で、3世紀中頃のものといわれ東日本最古級といわれます。同じタイプのものは長野市の川柳将軍塚古墳の上にある姫塚古墳があります。科野国初代國造の墓といわれる森将軍塚古墳の前方後円墳が出現する少し前のものです。濃尾平野に展開していたという説のある邪馬台国と戦ったという狗奴国(くなこく)との関連をいう説もあります。これに関しては、3世紀に滅亡した中国の呉など中国の古代史との関連も調べる必要があるように思われます。呉に関しては、紀元前の春秋時代にあった呉も、夫差王の子孫が列島に渡来したという伝説があるので、日本史との照らし合わせが必要と思います。世界史と日本史を分けてはいけないのです。
後方部の縁から前方部を見たところ。古墳を取り囲む森は、ソメイヨシノや八重桜で、約2000本が植えられており、春には山全体が桜色の花霞で覆われます。
古墳の上には秋桜が風に揺れていました。古墳の上を歩くと、あちこちからバッタが飛び出します。古墳の上で、信大の留学生の女性でしょうか、手紙を書いていました。気温は高めでしたが、風が気持ちよく、雲の形が次々と変わっていきました。右は、前方部から見上げた後方部。松本といえばドラマ『白線流し』を思い出す人も多いでしょう。本来は岐阜県高山市の高校の話なのですが、ドラマのロケは松本市で行われました。放映当時は仕事に追われていてほとんど見る機会はなかったのですが、七倉園子役の酒井美紀さんが美しかったですね。次は、牛伏寺へ。
牛伏寺断層で有名な?牛伏寺ですが、その前に少し奥にあるフランス式階段流路の見学へ。明治後期に学び、大正初期に作られた砂防施設なんですが、それほど牛伏川は水害に悩まされたという歴史があるのです。非常に美しい階段上の流れが見られます。川沿いには、ヤマゼリが咲き乱れ、ヒョウモンチョウの仲間が盛んに吸蜜していました。
戻って信州随一の厄除観音といわれる牛伏寺(ごふくじ)へ。牛伏寺は、聖徳太子が42歳の時に自ら刻んだ観音像を本尊として鉢伏山に安置したのが始まりといわれており、756年(天平勝宝7年)、唐からもたらされた大般若経600巻を善光寺へ奉納する途中、経典を運んでいた2頭の牛が倒れたことからの命名といわれています。
山門への石段(左)。海を渡って南下する途中のアサギマダラが一頭舞っていました。山門をくぐって茅葺きの如意輪堂へ(中)。趣があります。進むと朱塗りの仁王門(右)。下には伝説の2頭の牛が。
仁王門をくぐると左手に観音堂(本堂)。入母屋造銅板葺で江戸時代前期の数少ない建造物だそうです(左)。如意輪観音菩薩坐像(中)は、平安時代末期の作。右は、観音堂の木彫ですが、ウィキペディアでは、1796年(寛政8年)大火で堂宇が焼失とあるので、やはりその後に再建された時のものなのでしょうか。諏訪立川流を思わせる貘(ばく)と唐獅子の彫り物が見事でした。
聖徳太子殿。これは新しい物のようです。伝説の牛二頭(中)。触るとご利益があるようで、善男善女に触られて光っています。牛伏寺砂防ダム越しに見る松本市郊外(右)。牛伏川は、うしぶせと読みます。ダム上には下りる階段があるのですが、施錠されていて入れませんでした。下からは見られます。この少し下からは、鉢伏山への駐車場と登山口があります。ただ、舗装された長い林道歩きがあるので、個人的にはあまりお勧めはしません。ここからは国道153号を南下。美味しい山賊焼きの店、小松食堂を右手に見て善知鳥峠(うとうとうげ「読めないですよね。ちなみにウトウとは海鳥ですがなぜここの地名になったかが不思議です」)を越え、伊那を目指しました。
テレビでも度々紹介されて有名なグリーンファームに寄り(ここは本当に面白い。当日も満員でした)、信大農学部の落葉松祭へ。宮駿さんのご子息の宮崎吾朗監督の対談などは次回に。
9月20日の信濃毎日新聞の書評欄「ふるさと長野の本」で、拙書が紹介されました。大変大きく扱っていただきました。また、書評が私がこの本を書く際に意図したことを的確に書いてくださっていて、感激しました。地方紙ですので全国の方は見られないと思いますので、紹介します。信州の山は、首都圏や中京圏、関西圏からも登りに来る方が非常に多いのですが、トレッキングだけでなく、歴史探索やトレラン、マウンテンバイク、撮影、研究など色々な目的の人に読んでいただきたい本です。山に登らなくても見て読んで面白い本だと思います。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。この夏は、信州の里山や亜高山を歩いてみませんか。
本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応は不可能です。