前回の記事で、千曲市の八幡(やわた)にある武水別神社へ諏訪立川流の木彫を紹介したのですが、記事を読んだブログ「北信濃寺社彫刻と宮彫師」を上掲する友人の宮彫研究家から、土口の古大穴神社の木彫はいいですよとメールが。近所なのに灯台下暗しでした。さっそく撮影に出かけました。
◉古大穴神社御由緒
「創建年月不詳。江戸時代亨保12年4月(1727)諏訪大明神造立。往古は日ノ尾(南山)に鎮座という。明治3年9月(1870)拝殿再建。太古から塚穴が多く大穴郷(おおなごう・於保奈・多穴・大穴)と呼ばれていた。境内の石段の処に大きな古墳があった。よって明治13年12月(1880)社号を古大穴神社と改称。祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂刀売命(やさかとめのみこと)」
なお、尾根の北側に鎮座する上杉謙信が庇護した会津比売神社の御由緒には、森将軍塚古墳に埋葬されているという初代科野國造の武五百建命(たけいおたつのみこと)の妻とされる会津比売命(あいづひめのみこと)夫婦が、この地に住んでいたという里俗伝があります。会津比売命は、建御名方命の孫になります。建御名方命は大国主命の子ですから、つまり出雲系です。彼女の夫は大和系。古代科野国は、出雲系と大和系が結婚してできたというわけです。

(左)鳥居は、平成25年12月に再建されたものです。(中)狛犬の奥に拝殿。後ろの山は、斎場山(旧妻女山・斎場山古墳・上杉謙信本陣跡)から続く長尾根の先端になる薬師山。拙書でも詳しく紹介しています。(右)御由緒や沿革や彫刻の説明。

拝殿の彫刻は、立川和四郎富昌の弟子立川(池田)文四郎の作(文政13〜明治19年)。正面の虹梁(こうりょう)には、立川流得意の龍。左右の木鼻には、獅子と貘。

(左・右)龍が三頭。夫婦龍と子と思われます。その下の虹梁には、牡丹に獅子。手毬の透かし彫りの中には玉が入っています。驚いたことに、これらは一本の欅から彫られているのです。実に見事で精緻な木彫です。

(左・右)左右の木鼻には獅子と貘。耳が小さく立っていて体毛が荒ぶっているのが貘。耳が大きく垂れていれば象です。獅子は、師匠の富昌の作風と非常に似ています。惜しむらくは、大量の蜘蛛の巣と蛾の卵ですね。左の獅子の口の中にわずかですが丹塗か弁柄塗の痕跡でしょうか。

(左・右)貘は象に比べて少ないのでアップにしてみました。貘は、中国伝来の伝説の動物で、人の悪夢を食べてくれるといいます。 熊の胴体、虎の四肢、牛の尾、象の鼻、犀の目、猪の牙を持つと言われ、鉄や銅を好んで食べ、その尿には金属を腐食し溶かすという作用があるといいます。

(左・右)左右にある酒呑童子(しゅてんどうじ・酒顛童子・酒天童子・朱点童子)。丹波国の大江山、または山城国京都と丹波国の国境にある大枝(老の坂)に住んでいたと伝わる鬼の頭領、あるいは盗賊の頭目。『大江山絵詞』(大江山絵巻)。こういう盗賊の頭、または義賊が神社に彫られているというのは面白いですね。
◉酒呑童子ウィキペディア

(左・右)波に浜千鳥(千鳥)。
「わすられむ 時しのへとそ 浜千鳥 ゆくへもしらぬ あとをととむる」(よみ人しらず 古今和歌集 巻十八 雑歌・下) 「忘れられた時に今を偲べと、どこへ行ったかわからない浜千鳥がその足跡をとどめるように、ここにこうして書き残しておく」

これも牡丹。見事です。続いて古のつかないあんずの里森にある大穴神社に向かいました。

(左)大穴神社の一の鳥居。大穴神社と記されています。二の鳥居には大宮社と。大穴神社が元の社号で、おそらく南方熊楠が猛反対した明治の悪法合祀令で三社が統合されたのではと思います。(中)拝殿。左に社務所。左右に御柱が。(右)左右の木鼻の獅子と象。前記の貘と比べると、その違いが分かると思います。作者は不明ですが、諏訪立川流の流れを感じます。

(左)拝殿内部。(中)拝殿後背の覆屋に囲まれた本殿。(右)御神木の欅。樹齢900年とありますが、どうでしょう。主幹は折れて大きな虚(うろ)ができています。撮影後は近くの温泉に入って帰路につきました。
今日の長野市南部は16.3度。明日は20度だそうです。陣場平の貝母(編笠百合)の生育状況を見に行こうと思います。満開は4月下旬でしょうか。拙書やブログでも紹介し、信濃毎日新聞や松代夢空間でも掲載されたので訪問者が非常に増えました。慎ましく美しい花ですが、極めて強い毒草なので決して持ち帰らないでください。倉科の節分草の様子も気になります。いずれもカタクリと同じスプリング・エフェメラル、春の妖精、春の儚い命と呼ばれる野草です。詳しくはブログ内検索をしてください。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
◉古大穴神社御由緒
「創建年月不詳。江戸時代亨保12年4月(1727)諏訪大明神造立。往古は日ノ尾(南山)に鎮座という。明治3年9月(1870)拝殿再建。太古から塚穴が多く大穴郷(おおなごう・於保奈・多穴・大穴)と呼ばれていた。境内の石段の処に大きな古墳があった。よって明治13年12月(1880)社号を古大穴神社と改称。祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)、八坂刀売命(やさかとめのみこと)」
なお、尾根の北側に鎮座する上杉謙信が庇護した会津比売神社の御由緒には、森将軍塚古墳に埋葬されているという初代科野國造の武五百建命(たけいおたつのみこと)の妻とされる会津比売命(あいづひめのみこと)夫婦が、この地に住んでいたという里俗伝があります。会津比売命は、建御名方命の孫になります。建御名方命は大国主命の子ですから、つまり出雲系です。彼女の夫は大和系。古代科野国は、出雲系と大和系が結婚してできたというわけです。

(左)鳥居は、平成25年12月に再建されたものです。(中)狛犬の奥に拝殿。後ろの山は、斎場山(旧妻女山・斎場山古墳・上杉謙信本陣跡)から続く長尾根の先端になる薬師山。拙書でも詳しく紹介しています。(右)御由緒や沿革や彫刻の説明。

拝殿の彫刻は、立川和四郎富昌の弟子立川(池田)文四郎の作(文政13〜明治19年)。正面の虹梁(こうりょう)には、立川流得意の龍。左右の木鼻には、獅子と貘。

(左・右)龍が三頭。夫婦龍と子と思われます。その下の虹梁には、牡丹に獅子。手毬の透かし彫りの中には玉が入っています。驚いたことに、これらは一本の欅から彫られているのです。実に見事で精緻な木彫です。

(左・右)左右の木鼻には獅子と貘。耳が小さく立っていて体毛が荒ぶっているのが貘。耳が大きく垂れていれば象です。獅子は、師匠の富昌の作風と非常に似ています。惜しむらくは、大量の蜘蛛の巣と蛾の卵ですね。左の獅子の口の中にわずかですが丹塗か弁柄塗の痕跡でしょうか。

(左・右)貘は象に比べて少ないのでアップにしてみました。貘は、中国伝来の伝説の動物で、人の悪夢を食べてくれるといいます。 熊の胴体、虎の四肢、牛の尾、象の鼻、犀の目、猪の牙を持つと言われ、鉄や銅を好んで食べ、その尿には金属を腐食し溶かすという作用があるといいます。

(左・右)左右にある酒呑童子(しゅてんどうじ・酒顛童子・酒天童子・朱点童子)。丹波国の大江山、または山城国京都と丹波国の国境にある大枝(老の坂)に住んでいたと伝わる鬼の頭領、あるいは盗賊の頭目。『大江山絵詞』(大江山絵巻)。こういう盗賊の頭、または義賊が神社に彫られているというのは面白いですね。
◉酒呑童子ウィキペディア

(左・右)波に浜千鳥(千鳥)。
「わすられむ 時しのへとそ 浜千鳥 ゆくへもしらぬ あとをととむる」(よみ人しらず 古今和歌集 巻十八 雑歌・下) 「忘れられた時に今を偲べと、どこへ行ったかわからない浜千鳥がその足跡をとどめるように、ここにこうして書き残しておく」

これも牡丹。見事です。続いて古のつかないあんずの里森にある大穴神社に向かいました。

(左)大穴神社の一の鳥居。大穴神社と記されています。二の鳥居には大宮社と。大穴神社が元の社号で、おそらく南方熊楠が猛反対した明治の悪法合祀令で三社が統合されたのではと思います。(中)拝殿。左に社務所。左右に御柱が。(右)左右の木鼻の獅子と象。前記の貘と比べると、その違いが分かると思います。作者は不明ですが、諏訪立川流の流れを感じます。

(左)拝殿内部。(中)拝殿後背の覆屋に囲まれた本殿。(右)御神木の欅。樹齢900年とありますが、どうでしょう。主幹は折れて大きな虚(うろ)ができています。撮影後は近くの温泉に入って帰路につきました。
今日の長野市南部は16.3度。明日は20度だそうです。陣場平の貝母(編笠百合)の生育状況を見に行こうと思います。満開は4月下旬でしょうか。拙書やブログでも紹介し、信濃毎日新聞や松代夢空間でも掲載されたので訪問者が非常に増えました。慎ましく美しい花ですが、極めて強い毒草なので決して持ち帰らないでください。倉科の節分草の様子も気になります。いずれもカタクリと同じスプリング・エフェメラル、春の妖精、春の儚い命と呼ばれる野草です。詳しくはブログ内検索をしてください。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。





