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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

清野氏と上杉景勝の鞍骨城跡へ登山道整備と撮影に登る。拙書の読者に邂逅(妻女山里山通信)

2018-03-12 | アウトドア・ネイチャーフォト
 毎年今頃に行っている鞍骨城跡(鞍骨山)までの登山道整備と撮影にでかけました。最高気温は11度。風も弱く穏やかな日でした。用事があったので登り始めは10時過ぎ。普通なら90分で鞍骨山山頂ですが、今回は登山道整備しながらなので2時間はかかるでしょう。

(左)妻女山展望台と松代招魂社奥の駐車場。20台ぐらいは余裕で駐車できます。4月には桜が咲き乱れます。(中)駐車場奥から右の林道へ。妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーが作ってくれた登山ノートがあります。拙書のパンフレットも置いてあります。(右)林道に落ちていたウスタビガの繭。雨にあたって色が抜けていますが、本来は鮮やかな黄緑色です。繭に卵が産み付けられていますが、右の卵は他の昆虫によって食べられています。繭は空で羽化して飛び立っていった様です。

(左)10分ほどで長坂峠。昔、東風超えと呼ばれた辺りから撮影した長坂峠と斎場山(旧妻女山)。斎場山古墳が山頂で、上杉謙信の本陣と伝わる場所です。(中)そこから250mほど真っ直ぐ歩くと右へカーブします。その手前を左へ50mほど登ると陣場平。(右)菱形基線測点のコンクリートが目印です。妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーと貝母(編笠百合)の保全活動をしているギャップです。また、第四次川中島合戦の際には、上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる場所です。

(左・右)その貝母(編笠百合)です。先週に比べても順調に生育しています。日当たりのいい場所のものは、右の様に青々としています。

(左)陣場平を後にして林道を登っていくと、ほどなく天城山(てしろやま)登山道入り口。林道は右へそれていきます。(中)天城山の巻道を通って二本松峠。(右)案内がまた逆方向に回されていました。倉科側が清野坂、清野側が倉科坂なんです。これを回した人は、妻女山の駐車場から左へ伸びる清野の林道が。林道倉科坂線と表記されているのに気付かないのでしょうか。清野の人が倉科へ行く時に登るので、清野側が倉科坂なんです。

(左)笹の茂る尾根を歩いて、深さ6mほどの駒止と呼ばれる深い堀切。(中)超えてしばらく歩くと、前方に突然鞍骨城跡のシルエットが現れます。(右)ほぼ平坦な尾根を、ヤマガシュウなどのバラを切りながら進むと高圧線の鉄塔をくぐります。

(左)これがヤマガシュウ。針の様な鋭いトゲがあり、これが登山道を塞ぐと前に進めなくなります。剪定ばさみで切っていきますが、大変手間のかかる作業です。掴んだら痛いなんてもんじゃありません。悲鳴を挙げます。(中)鉄塔の先に二条の堀切。越えると鞍骨城跡城内です。(右)コナラの木に菌えい。三つほど採取しました。

 一の郭から左を巻いて登ると広い二の郭。上に本郭が見えます。ここから右手に回って登ります。ここで上から男性が下りてきました。話を伺うと象山から登って鞍骨から妻女山へ下りると。割とマイナーでマニアックなコースなので、どこでお知りになりましたと聞くとガイドブックでと。ひょっとして私の本ですかねと出すと、ああそうですと。まさか著者と邂逅できるとは思っていなかった様です。花の写真が多くていいですねと。
 実は愛読者と結構出会っているんです。その度に色々な嬉しい感想を聞かせていただいています。大病を経験して体力作りに里山歩きを始めた人とか。日本中の山城を歩いている人とか、4000回も山に登って拙書の山では登っていない山は二つだけという人とか。本に載っていない山やコースはブログでともお伝えしています。逆に情報を得ることもあるのです。コメントで書いてくださる人もいますが、メッセージから非公開のメールをくださる方も少なくありません。これは助かります。

(左)二の郭からは右の南面へ向かいます。私と倉科のMさんがかまぼこ板に描いた矢印を辿ってください。見上げると石積み。清野氏の時代の後の上杉景勝の時代のものといわれています。(中)欅の大木で石積みが壊されています。悩ましい問題です。(右)南面の虎口から見る鞍骨城跡本郭(鞍骨山山頂)。2時間かかりました。まず昼食。その後、山頂のノイバラとヤマガシュウの切除。大変です。

 山頂から見下ろす松代城跡。右手前に文武学校。その手前に神社のある離山。右に象山の尾根の先端。松代城跡の右、旧長野電鉄屋代線の線路跡は、広大な駐車場となっています。
清野氏と戦国時代』 鞍骨城跡の主、清野氏についての詳細な歴史です。

(左)山頂から南南東を見ると鏡台山。ここから縦走できます。長野県立歴史館を起点として、森将軍塚古墳から五一山脈を五里ヶ峯へ。沢山峠を経て鏡台山へ。戸神山脈を北へ辿り鞍骨山経由で斎場山。土口へ下りて歴史館に戻ります。20キロのループコース。詳しくは拙書で。(中)北を見ると長野市民の山、飯縄山。(右)千曲川を挟んで対岸には、AC長野パルセイロのホームスタジアム。試合の日にはここまで声援やチャントが聞こえます。

 鞍骨城跡から東へすぐの東の展望岩から妻女山。山座同定や地名を書き込んでみました。晴れていれば、虫倉山の左に白馬三山からの北アルプスが見られます。

(左)鞍骨城跡から南面の道を下ります。転落に要注意。(中)帰りに堂平大塚古墳に寄りました。Kさんが友人と椎茸の原木栽培のホダ木を伐採していました。別れて山蕗を採り、原木椎茸を採り帰路につきました。山蕗と椎茸とスギヨのビタミン竹輪のかき揚げを作りましたが絶品でした。
(右)戸倉上山田温泉の万葉温泉に行く途中で、屋代のスバルさんに立ち寄りました。60週年のカートピア特集号とノート、カートピア3月号をいただきました。息子達が小さい頃、スバル車のペーパークラフトで特集記事で載せてもらったことがあるんですと言ったら、STI組み立てキットをいただきました。拙書を作るにあたっては、フォレスターで登山口まで何度も行ったので、そのことをお話して拙書も紹介しました。愛車は狭い林道であちこちぶつけてボロボロですが(笑)。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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