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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

2018 中尾山ハイキング。紅葉狩りと歴史探索と北アルプスと日本の原風景・棚田を散策。夜交氏(妻女山里山通信)

2018-11-03 | 歴史・地理・雑学
 今年も長野市・川中島と篠ノ井の中尾山ハイキングのインタープリターを務めさせていただきました。通常はインストラクターといいますが、インタープリターは、里山の自然を歴史を含めて解説する更に奥深い、大学レベルの講義に相当する情報を提供するものです。それをできるだけ分かりやすく、面白く解説するのが私の約目です。
 昨年は歴史のハイキングで麓をハイクしましたが、今回は一本松峠の向こう側の旧山布施村夜交まで行きます。

(左)快晴の8時半に出発式。高校時代からの友人で、妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーでもあるN氏が今回のコースを説明。この後私が動的ストレッチをみなさんと行い出発です。(中)舗装路を登ってお見合い風呂で有名になった中尾山温泉松仙閣。前方には裾花凝灰岩の白い山が見えます。(右)昨年同様普段は入れない砂防ダムのコースを登りました。真ん中に空間があり、大きな岩や倒木はブロックしますが砂は流れる形式の砂防ダム。

 裾花凝灰岩の白山を借景に燃える紅葉。左下の紅葉はヌルデです。ヌルデの非常に面白い性質は検索してください。聖徳太子とも関係があります。果実の表面にあらわれる白い粉のようなものはリンゴ酸カルシウムの結晶であり、熟した果実を口に含むと塩味が感じられます。信州の山村では昔これを塩の代わりに使用したという言い伝えもあります。江戸時代に女性が使ったお歯黒がこれです。

(左)登山道の真ん中にムラサキシメジ。豆腐と澄まし汁にすると美味です。フランスではピエ・ブルーといって高級キノコです。バターやクリームとあいますが、このキノコのおやきも美味です。(中)今回の最高地点の一本松の峠です。旧今井村と山布施村の山を巡っての抗争の歴史の看板があります。ここで大休止。西側に下ります。(右)里に出る途中のイノシシ牧場。種イノシシでしょうか相当大きなものがいました。我々が来たので興奮して激しく走り回り始めました。この後、この牧場の持ち主が軽トラで登ってきてすれ違いました。ジビエとして市場に出しているそうです。

 森から出て視界が一気に広がりました。わあっと歓声が。北アルプスが一望できます。左に仁科三山(爺ヶ岳・鹿島槍ヶ岳・五竜岳)、右に白馬三山(白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳)。その右手前に神話の山・旧中条村の虫倉山。信州の里山の原風景です。おそらく縄文弥生時代の人も、戦国時代の人も、江戸時代の人もこの風景を見ていたのでしょう。こんな美しい風景の中でなぜ人は殺し合いをするのか。愚かです。

 白馬三山と右手前に虫倉山。神城断層地震で山頂が4割崩壊してしまいました。残りの四割にクラックが入り、大地震があれば崩壊必至の状況です。その状況は記事にしていますので虫倉山でブログ内検索をしてください。江戸時代の善光寺地震での虫倉山山体崩壊も記事にしています。ここまでが松代藩の領地でした。

(左)一本松から山布施に下ります。溜池がたくさんあります。埴科更科や塩田平は瀬戸内と並んで、日本で降水量が最も少ない地域なのです。よって先人は溜池を作りました。その数は集落の戸数よりも多いほどです。(中)とある溜池で地元の方のお話を聞きます。この地でどう生きてきたか、この地の自然など。非常に貴重なお話を聞くことができました。交尾中のアカトンボが何組も舞っていました。通常は猪や鹿の被害を防ぐための電気柵を特別に開けていただき畦(あぜ)道を歩きました。(右)そして、夜交の集落へ。

 棚田から見る仁科三山。中央の雲がかかっている鹿島槍ヶ岳は、右の平家の落人が隠れ住んだと伝わるかくね里の谷が、日本で五番目、信州で初めての氷河であると信大の研究チームにより認定されました。鹿島槍ヶ岳の名称の元は鹿島神宮です。現在その麓には鹿島という集落があり、鹿島神社が祀られています。稲刈りが終わって冬支度が始まる里山です。

(左)今回の昼食と交流会の場所。唐木田陶苑です。思い思いに昼食を頂いた後。インストラクターの講演がありました。私は最後に、この夜交(よまぜ)という小さな集落の歴史を話しました。祖を藤原氏とし、中野氏の一族が南北朝時代に夜間瀬氏を名乗ったことを話しました。川中島の戦いで夜間瀬氏は上杉方と武田方に別れたようですが、武田が滅びた後、豊臣秀吉の国替えで上杉景勝が会津へ移封になった際に、善光寺平の土豪は景勝の家臣だったため、家族家来全員を連れて会津に移りました。武田についたもの達が密かに移り住んだのか。どうしても残りたい人々が、山布施の山奥に隠れ住んだのか。その理由は色々推察できますが。これという明確なものは不詳です。幸運なことに夜交在住の方が参加されていて、古い墓石に五輪の塔や宝塔の墓石があることが分かりました。つまりこの夜交の集落は、戦国時代に移り住んだことが分かったのです。夜間瀬では、そのままで分かってしまうので、夜交と改名したのでしょうか。(中)唐木田陶苑の庭からの眺望。ここでは松代焼の陶器を買うことができます。我が家にもたくさんありますが、昔の松代焼は今のものとは釉薬とかが違うのですね。非常に魅力的な作品を作られているので唐木田陶苑で検索してみてください。(右)六地蔵。六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を表すものです。

(左)夜交から一本松に戻ります。寒風もなく絶好のハイキング日和でした。(中)山布施のしみじみと心に残る風景。癒やされます。(右)一本松を超えて善光寺平が一望の場所。たわわに実ったリンゴが見事です。一日一個リンゴを食べれば医者要らずといわれます。こんな風景を見慣れているはずの信州人も、この風景を見ると綺麗だな、美味しそうだなと思います。今回のハイキングに参加すると、長野牛乳のミルクと、共和のリンゴがもらえます。来年参加されてはいかがですが。交流会では、拙書の販売もありましたがたくさんお買い上げいただきありがとうございました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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