妻女山展望台までは、やっと普通に車で行かれるようになりました。まだカーブには雪が残っていますが。ほとんど溶けたと言っていいでしょう。しかし、そこから上の林道は北面のため、まだ20センチ以上の積雪があり、まず無理でしょう。平地は日陰を除いて雪は消えましたが、写真の西山にもまだ相当積雪がありそうです。本格的な雪解けはまだ先です。
林道は圧雪ですが溶け始めて沈むため旧道と獣道を登って陣場平へ向かいました。林道を行く半分の時間で到着します。陣場平は、川中島合戦の時に上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる平地です。同じように日が当たるのに、なぜか毎年低い北東側の方から雪が消えていくのです。八角形の菱型基準測点の辺りが最初に溶けます。地温が違うのでしょうか。麗らかな天気だったので、緋縅蝶や瑠璃立羽が舞うかなと思ったのですが、まだでした。
編笠百合(貝母:ばいも)の芽は、先日は緑だったものが、赤くなっていました。早朝の厳しい冷え込みでアントシアニンが増えたからでしょう。雪の残る場所からも芽が出ていました。貝母の持つ体温で雪を溶かしながら成長したのです。雪の下には、まだたくさんの貝母の芽が眠っていることでしょう。これが4月中旬からゴーデン・ウィークにかけて、一斉に咲き乱れるのです。といっても地味な花なのと、林道からかなり入った場所にあるので、気づく人はほとんどいません。そして、梅雨前には溶けるように消えてしまう春の儚い命です。万葉集に「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」(丈部真麻呂)という句があるのですが、この「母とふ花」が貝母であるという説があるのです。薬用に江戸時代に持ち込まれたとも言われていますが、案外古いのかもしれません。鱗茎にアルカロイド系の有毒成分があるので、薬用にはなっても食用にはなりません。花はニホンカモシカが食べるのを見たことがあります。
貝母を撮影していると、前方の落葉松林の向こうに黒い影が二つ見えました。ジッとこちらを見ています。ニホンカモシカの親子です。シロとブランカでしょう。子連れでいるときは母親のシロが警戒するので、なかなか近づかせてくれません。手を振りながら、声をかけながら少しづつ近づいたのですが、どんどん歩いていきます。呼び止めると止まりましたが、近づくとまた歩き出します。最後は鼻からシュッという威嚇音を発して塒(ねぐら)のある谷へ駆け下りて行ってしまいました。まあ仕方がない。午後は単独で行動していたので、午前中だけ母子で移動しているのでしょうか。相変わらず冬毛のままでした。
山蕗を採った帰りに亡きKさんのログハウスへ。デッキの掃除をしてから北アルプスを見ながらおにぎりを食べました。食後、大雪で倒れた落葉松の枝を切って片付けました。ふと屋根を見ると、前回は気づかなかったのですが、屋根の一部に枝が当たったようで、少し壊れていました。もう一本、倒れたら直撃しそうな斜めに生えた落葉松があり心配です。伐採するにもロープで吊っておいてしないと無理でしょう。古墳の福寿草の黄金色のパラボラアンテナが全開でした。野毛壇と呼ばれる北面の斜面には、イノシシが必死で餌を探した痕跡がありました。これは鼻で掘り返した跡です。あの豚鼻で耕耘機の様に掘ってしまうのですから、その威力は驚異的。
梅の蕾がかなり膨らんできましたが、咲くのはまだまだ。早春に里山を黄色く彩るダンコウバイの蕾もまだ固いままです。いつものログハウスからの景色。左から蓮華岳。そのすぐ右奥に針ノ木岳。右へずっと行って雲に隠れた爺ヶ岳。一番右に鹿島槍ヶ岳。猫耳の双耳峰が、同じ様に雲に隠れています。千曲川の上を直線で渡る長野新幹線。手前に更埴ジャンクション。今日は小鳥のさえずりがあちこちで聞こえました。
一週間ほど前に鳥を撮影しようとして散歩中に、近所のお宅近くで見かけたものの撮り損なった鳥が、今朝窓を開けたら隣家の屋根に留まっていたのですが、そんな時に限って手元にカメラがない。慌てて取りに行ったら、飛び立った後でした。眼の周りが白いスズメの倍ぐらいの鳥なのですが、メガネをしていなかったので同定もできないまま。なんだかもやもやしています。茶色ではないのでツグミではなさそうだし。たぶんムクドリなんでしょうけど・・。そうそう、そのお宅の貝母が芽吹いているのを見つけたので、帰って我が家の庭を見ると、日当たりが悪いのでそのお宅よりは小さいのですがちゃんと芽吹いていました。
★妻女山(斎場山)の歴史については、「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」。をご覧ください。「きつつき戦法とは」、「武田別動隊経路図」などリンク記事も豊富です。
このブログでもページの右上で「妻女山」や「斎場山」、「川中島合戦」、「科野」などでブログ内検索していただくとたくさん記事がご覧いただけます。主に古代科野国と戦国時代、幕末から明治維新にかけての記事がご覧頂けます。
川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。関連記事のリンク集も。
★妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。蝶の写真はこちらにたくさんあります。
★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌やオオムラサキ、ニホンカモシカのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。
林道は圧雪ですが溶け始めて沈むため旧道と獣道を登って陣場平へ向かいました。林道を行く半分の時間で到着します。陣場平は、川中島合戦の時に上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる平地です。同じように日が当たるのに、なぜか毎年低い北東側の方から雪が消えていくのです。八角形の菱型基準測点の辺りが最初に溶けます。地温が違うのでしょうか。麗らかな天気だったので、緋縅蝶や瑠璃立羽が舞うかなと思ったのですが、まだでした。
編笠百合(貝母:ばいも)の芽は、先日は緑だったものが、赤くなっていました。早朝の厳しい冷え込みでアントシアニンが増えたからでしょう。雪の残る場所からも芽が出ていました。貝母の持つ体温で雪を溶かしながら成長したのです。雪の下には、まだたくさんの貝母の芽が眠っていることでしょう。これが4月中旬からゴーデン・ウィークにかけて、一斉に咲き乱れるのです。といっても地味な花なのと、林道からかなり入った場所にあるので、気づく人はほとんどいません。そして、梅雨前には溶けるように消えてしまう春の儚い命です。万葉集に「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」(丈部真麻呂)という句があるのですが、この「母とふ花」が貝母であるという説があるのです。薬用に江戸時代に持ち込まれたとも言われていますが、案外古いのかもしれません。鱗茎にアルカロイド系の有毒成分があるので、薬用にはなっても食用にはなりません。花はニホンカモシカが食べるのを見たことがあります。
貝母を撮影していると、前方の落葉松林の向こうに黒い影が二つ見えました。ジッとこちらを見ています。ニホンカモシカの親子です。シロとブランカでしょう。子連れでいるときは母親のシロが警戒するので、なかなか近づかせてくれません。手を振りながら、声をかけながら少しづつ近づいたのですが、どんどん歩いていきます。呼び止めると止まりましたが、近づくとまた歩き出します。最後は鼻からシュッという威嚇音を発して塒(ねぐら)のある谷へ駆け下りて行ってしまいました。まあ仕方がない。午後は単独で行動していたので、午前中だけ母子で移動しているのでしょうか。相変わらず冬毛のままでした。
山蕗を採った帰りに亡きKさんのログハウスへ。デッキの掃除をしてから北アルプスを見ながらおにぎりを食べました。食後、大雪で倒れた落葉松の枝を切って片付けました。ふと屋根を見ると、前回は気づかなかったのですが、屋根の一部に枝が当たったようで、少し壊れていました。もう一本、倒れたら直撃しそうな斜めに生えた落葉松があり心配です。伐採するにもロープで吊っておいてしないと無理でしょう。古墳の福寿草の黄金色のパラボラアンテナが全開でした。野毛壇と呼ばれる北面の斜面には、イノシシが必死で餌を探した痕跡がありました。これは鼻で掘り返した跡です。あの豚鼻で耕耘機の様に掘ってしまうのですから、その威力は驚異的。
梅の蕾がかなり膨らんできましたが、咲くのはまだまだ。早春に里山を黄色く彩るダンコウバイの蕾もまだ固いままです。いつものログハウスからの景色。左から蓮華岳。そのすぐ右奥に針ノ木岳。右へずっと行って雲に隠れた爺ヶ岳。一番右に鹿島槍ヶ岳。猫耳の双耳峰が、同じ様に雲に隠れています。千曲川の上を直線で渡る長野新幹線。手前に更埴ジャンクション。今日は小鳥のさえずりがあちこちで聞こえました。
一週間ほど前に鳥を撮影しようとして散歩中に、近所のお宅近くで見かけたものの撮り損なった鳥が、今朝窓を開けたら隣家の屋根に留まっていたのですが、そんな時に限って手元にカメラがない。慌てて取りに行ったら、飛び立った後でした。眼の周りが白いスズメの倍ぐらいの鳥なのですが、メガネをしていなかったので同定もできないまま。なんだかもやもやしています。茶色ではないのでツグミではなさそうだし。たぶんムクドリなんでしょうけど・・。そうそう、そのお宅の貝母が芽吹いているのを見つけたので、帰って我が家の庭を見ると、日当たりが悪いのでそのお宅よりは小さいのですがちゃんと芽吹いていました。
★妻女山(斎場山)の歴史については、「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」。をご覧ください。「きつつき戦法とは」、「武田別動隊経路図」などリンク記事も豊富です。
このブログでもページの右上で「妻女山」や「斎場山」、「川中島合戦」、「科野」などでブログ内検索していただくとたくさん記事がご覧いただけます。主に古代科野国と戦国時代、幕末から明治維新にかけての記事がご覧頂けます。
川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。関連記事のリンク集も。
★妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。蝶の写真はこちらにたくさんあります。
★ネイチャーフォトのスライドショーやムービーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌やオオムラサキ、ニホンカモシカのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。