戸隠地質化石博物館(長野市立博物館分館)の続きです。帰路は混雑必至の長野の中心街を避けて、戸隠篠ノ井線を使いました。ここは知っているのでいいのですが、信州の山道は、整備された舗装路が突然なくなったり、昼なお暗いすれ違いのできない山道になったりと、気が抜けないのです。
信州の里山に生息する野生動物。ここにいる動物すべてに遭遇したことがあります。ニホンザルは、神奈川の山でも遭遇したことがあります。三国山で出会った猿の群れでは、子猿が小さかった次男に興味を示してまじまじ見つめて、後から来た母猿が行きなさいと催促したこともありました。子供は子供が分かるんですね。今回これ以外には、ホンドギツネ、ホンドテン、ハクビシン、ノウサギ、ヤマドリ、キジなど。拙書では、月輪熊に遭遇したときのエピソードを書いています。
(左)化石博物館なので、たくさん展示されています。子供の頃に自転車に乗って茶臼山まで化石を見つけに行きました。(右)地質博物館なので岩石もたくさん。
(左)江戸時代の善光寺地震で見つかった石油。約半世紀ほど使われたそうです。埋蔵量が多ければ、信州も中東の産油国の様に大金持ちになったのでしょう。(右)その善光寺地震で犀川が山崩れでダムができて決壊し、川中島に大災害をもたらしました。左が北で右が南です。善光寺平の最南端から、さらに下流まで大被害を出したことが分かります。
立体地図。こういうのは子供達が喜びますね。家族連れが来て小さな子が、うちどこうちどこと言っていました。そこまで細かくはありませんが。フォッサマグナと中央構造線。
(左)ナウマンゾウ。こんな動物が今もいたら面白いですね。(右)見つけてしまった製作途中のライオンのオスとメス。どんな仕上がりになるのでしょう。楽しみですね。
(左)授業で使った絵なんですが、レトロでなごみます。(右)懐かしいオルガン。私の母校にもたくさんありました。柔らかな音がします。
博物館を出て立ち寄った裾花ダム。ダムカードを2枚いただきました。本来は下のダムの写真を撮ってきて見せるともらえるらしいのですが、私は上流から来たので特別に。盆も正月も必ずだれかいるので、インターフォンを押せば必ず出てくるということです。11時頃に放流をしていたそうで、見たかったですね。
このまま長野市中心街へ下ると渋滞必至なので、小田切の集落を越えて19号線に下る戸隠篠ノ井線へ。裾花川の対岸を登り対岸を見ると、右に柱状節理の山。それより驚いたのは左のガードレール。なにあれ!?
(左)そうなんです。その上には戸隠の集落があるのです。恐るべし信州。長野県人ですが、善光寺平で育ち、東京に38年在住。こういうときは都民目線になってしまいます。昔は山村の方がむしろ豊かだったのです。林業や養蚕で栄えていました。(右)左に戸隠西岳、右に戸隠、一番右に戸隠富士と呼ばれる高妻山。
裾花凝灰岩の露頭。石英や長石が含まれるため。足元の砂を見るとキラキラと輝いています。
(左)19号線に下りて村山の信号から茶臼山へ。途中の山布施で布施神社に立ち寄ります。以前紹介しました。
社伝によると、神護景二年(768)高橋朝臣国是之が、更級郡の大領に任じられ、下総国結城布施郷の人民を従えて当地に移住し、この地を開拓。後の宝亀八年(777)に布施氏の祖・大彦命(おおひこのみこと)を勧請したということです。大彦命は、崇神天皇の命を受けて北陸道を東征し、息子の武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)は東海道を東征し、二人が出会ったところが「相津(会津)」と名付けられたと『古事記』にはあります。その後、大彦命は篠ノ井の瀬原田上の長者窪に住んだといわれています。石川の川柳将軍塚古墳、またはその上の姫塚古墳が大彦命の墳墓と地元では伝わっているようです。
また『信濃宝鑑』には、光仁天皇の御宇(708-782)、宝祚長久国家安全を祈願して、伊勢神宮の分霊を勧請とあります。更に、安和二年(969)佐久の望月氏が移り住み、氏を布施と改めて布施郷を領治し以後、当社は神明宮と称するようになったが、文化七年(1810)吉田家に請うて社号の許可を得て、布施神社と改称したといいます。(右)社殿は棟札から明治3年の建造。木彫は石川流の山嵜儀作(やまざきぎさく)の木鼻です。この奥には須立之城があります。
◉山布施の布施神社と石川流山嵜儀作の木彫。布施氏の須立之城探訪。陣馬平のカモシカの親子(妻女山里山通信)
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
信州の里山に生息する野生動物。ここにいる動物すべてに遭遇したことがあります。ニホンザルは、神奈川の山でも遭遇したことがあります。三国山で出会った猿の群れでは、子猿が小さかった次男に興味を示してまじまじ見つめて、後から来た母猿が行きなさいと催促したこともありました。子供は子供が分かるんですね。今回これ以外には、ホンドギツネ、ホンドテン、ハクビシン、ノウサギ、ヤマドリ、キジなど。拙書では、月輪熊に遭遇したときのエピソードを書いています。
(左)化石博物館なので、たくさん展示されています。子供の頃に自転車に乗って茶臼山まで化石を見つけに行きました。(右)地質博物館なので岩石もたくさん。
(左)江戸時代の善光寺地震で見つかった石油。約半世紀ほど使われたそうです。埋蔵量が多ければ、信州も中東の産油国の様に大金持ちになったのでしょう。(右)その善光寺地震で犀川が山崩れでダムができて決壊し、川中島に大災害をもたらしました。左が北で右が南です。善光寺平の最南端から、さらに下流まで大被害を出したことが分かります。
立体地図。こういうのは子供達が喜びますね。家族連れが来て小さな子が、うちどこうちどこと言っていました。そこまで細かくはありませんが。フォッサマグナと中央構造線。
(左)ナウマンゾウ。こんな動物が今もいたら面白いですね。(右)見つけてしまった製作途中のライオンのオスとメス。どんな仕上がりになるのでしょう。楽しみですね。
(左)授業で使った絵なんですが、レトロでなごみます。(右)懐かしいオルガン。私の母校にもたくさんありました。柔らかな音がします。
博物館を出て立ち寄った裾花ダム。ダムカードを2枚いただきました。本来は下のダムの写真を撮ってきて見せるともらえるらしいのですが、私は上流から来たので特別に。盆も正月も必ずだれかいるので、インターフォンを押せば必ず出てくるということです。11時頃に放流をしていたそうで、見たかったですね。
このまま長野市中心街へ下ると渋滞必至なので、小田切の集落を越えて19号線に下る戸隠篠ノ井線へ。裾花川の対岸を登り対岸を見ると、右に柱状節理の山。それより驚いたのは左のガードレール。なにあれ!?
(左)そうなんです。その上には戸隠の集落があるのです。恐るべし信州。長野県人ですが、善光寺平で育ち、東京に38年在住。こういうときは都民目線になってしまいます。昔は山村の方がむしろ豊かだったのです。林業や養蚕で栄えていました。(右)左に戸隠西岳、右に戸隠、一番右に戸隠富士と呼ばれる高妻山。
裾花凝灰岩の露頭。石英や長石が含まれるため。足元の砂を見るとキラキラと輝いています。
(左)19号線に下りて村山の信号から茶臼山へ。途中の山布施で布施神社に立ち寄ります。以前紹介しました。
社伝によると、神護景二年(768)高橋朝臣国是之が、更級郡の大領に任じられ、下総国結城布施郷の人民を従えて当地に移住し、この地を開拓。後の宝亀八年(777)に布施氏の祖・大彦命(おおひこのみこと)を勧請したということです。大彦命は、崇神天皇の命を受けて北陸道を東征し、息子の武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)は東海道を東征し、二人が出会ったところが「相津(会津)」と名付けられたと『古事記』にはあります。その後、大彦命は篠ノ井の瀬原田上の長者窪に住んだといわれています。石川の川柳将軍塚古墳、またはその上の姫塚古墳が大彦命の墳墓と地元では伝わっているようです。
また『信濃宝鑑』には、光仁天皇の御宇(708-782)、宝祚長久国家安全を祈願して、伊勢神宮の分霊を勧請とあります。更に、安和二年(969)佐久の望月氏が移り住み、氏を布施と改めて布施郷を領治し以後、当社は神明宮と称するようになったが、文化七年(1810)吉田家に請うて社号の許可を得て、布施神社と改称したといいます。(右)社殿は棟札から明治3年の建造。木彫は石川流の山嵜儀作(やまざきぎさく)の木鼻です。この奥には須立之城があります。
◉山布施の布施神社と石川流山嵜儀作の木彫。布施氏の須立之城探訪。陣馬平のカモシカの親子(妻女山里山通信)
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。