名峰登山と草花

春から秋にかけて、登山と草花探索等を掲載。植物観察、世界歴史遺産巡り、庭園観賞、素人農業にもチャレンジ中。

ササユリ、他

2017-08-05 20:13:34 | 自然観察_ユリ

  ヤマユリ、カノコユリと観察したので、ユリの続きで、これまでに見たササユリなど
を掲載してみたい。
 ササユリは昨年(H28年)初夏に恵那山・神坂峠や銚子ヶ峰で見かけた。その他の
ユリでは、銚子ヶ峰、白山、苗場山、天狗の庭(白馬大池)でクルマユリを見た。甑島
ではオニユリを見かけた。また、クロユリを白馬岳(お花畑)、白山で見たほか、屈斜
路湖ではエゾクロユリを見た。
<追記>ユリについて、飯豊山で見たヒメサユリ(別名:オトメユリ)、我が家に咲く
タカサゴユリ(テッポウユリ)、甑(コシキ)島で入手したカノコユリを追記した。 H29.8.5

以上です。


カノコユリ

2017-07-24 11:39:21 | 自然観察_ユリ

 カノコユリは日本に自生する百合(野生種)の一つである。花の大きさはヤマユリ
より少し小ぶりだ。7/23、24、25と甑島(コシキジマ)/鹿児島県・川内市へ
カノコユリの観察に行ってきました。
 甑島は上甑島、中甑島、下甑島の3島で構成されており、私達は上甑島のホテル
に宿泊し、レンタカーで上甑島、中甑島を、花を求めて走り回って撮影した。上甑島は
家の周りに手植えされているケースが多く、自然のものは中甑島で多数観察された。
 道路脇の土手や急峻な崖、また海岸などに自然のカノコユリが見受けられた。
 専門家に聞くと水捌けの良い場所を好むらしいことが分かった。地元の育種グループ
のご理解で苗を譲っていただき、大切に持ち帰ることができた。

 

 

 様々なカノコユリ

以上です。

 


ヤマユリ

2017-07-17 22:39:31 | 自然観察_ユリ

昨年、7月16日に奥三河の鳳来寺・参道にヤマユリの開花を求めて出かけた。
今年もより自然なヤマユリの観察をしようと探索に出かけることとした。
市の花、町の花等でヤマユリが登録された浜松市・天竜区・水窪方面で探す
こととして出かけた。
 水窪手前当たりから道路縁の土手や水窪川の急峻な崖縁に散見された。
これらの写真を撮りながら、天竜川沿いの佐久間ダム、水窪川沿いの水窪ダム
、秋葉街道の要所、兵越峠、天龍村(平岡)を検分した。奥遠州から長野県に
入るのは初めてだ。途中、崖崩れで通行止めの道もあり当惑したが、なんとか
明るい内に国道151号線に出ることができ一息ついた。ここを北上し、天竜峡
から無料高速(三遠南信道)に入り、中央道の飯田山本ICから入線して西進し
名古屋へ戻った。兵越峠から青崩峠への遊歩道を散策し、2時間程道草を食った
ため、帰宅が遅くなってしまった。

ヤマユリ
ウィキペディアなどで調べると北海道から近畿まで広く分布していると記載
されている。今回探索に当たって、県の花、市の花、町の花、村の花として
登録されている所を調べてみると、県の花:神奈川県、市の花:八王子市、
旧天竜市、町の花:水窪町/浜松市、村の花:天龍村/下伊那郡等が出てくる。
花は大型でにおいも良く、立派な花だ。

以下、個別の写真を掲載します。

    

     

    

    

         

以上です。


鳳来寺  -ヤマユリと史跡を訪ねるー

2016-07-17 12:42:39 | 自然観察_ユリ

 先週、白山連峰の銚子ヶ峰にて清楚なササユリの開花を見たが、鳳来寺山(奥三河)
の山道周辺にヤマユリが咲いているということで、鳳来寺に出かけた。
 ヤマユリは丁度咲き始めたところであったが、それでも見事なヤマユリを見ることが
できた。
 次いで、鳳来寺山自然博物館に立ち寄り、ブッポウソウ(鳥)と鳴き声「ブッポウソー」
(この鳴き声は、コミミハズク)の主の2つを確認した。また、フォッサマグナや中央
構造線(諏訪湖の辺りから赤石山脈、この鳳来寺山付近を通り、湖西連峰、渥美半島、
尾鷲、・・ 四国北部を通り大分県から今地震で話題の熊本へ抜ける)を理解できた。
 さらに、ここから鳳来寺本堂に向けて1425段の階段を上った。途中にある傘杉は
樹齢800年、高さ60mで日本で一番高い杉の木だそうだ。参道は谷筋に通っており
台風などから杉林が守られているように思った。鳳来寺は真言宗のお寺さんで702年に
文武天皇によって山岳修験の寺として許可され、利修仙人が開山した。鳳来寺山は本堂から
さらに奥に40分程登ると到達するようだ。本堂の裏手は岸壁が聳えており、いかにも
修験道のお寺さんという感じがした。
 源頼朝、徳川家光の寄進をうけ、東照宮は日光、久能山と共に日本三大東照宮とされる。
 また、松尾芭蕉などの俳人、歌人が多くの句を残してもいる。
 帰り道、新城ICから新東名に入り、長篠設楽原PAに立ち寄ったところ、武田対織田の
長篠の戦いの古戦場を一望に見下ろすことができるPAだった。すぐ隣の小山は信長の
本陣跡だそうで、当時を偲ぶことができた。武田方15000、対織田方38000の戦いは人数
でも織田方が有利と思われた。

以下、個別の写真を掲載します。

      

     

      

     

  

以上です。