南方の戦地(フィリピン・レイテ島)に出向き、現地で亡き父の霊を供養した。
(父は第26師団、独立歩兵第12連隊に属し、レイテ島カルプゴス山にて戦死)
昨年、戦後70を経過して戦没者や犠牲者の供養が行われたが、私もケジメとして
戦死した父の供養のため、国(厚労省)の主催する慰霊団への参加を申込していた。
昨年12月に参加選定の通知を受け、この2月17日から26日までの行程で現地に
出向き、慰霊巡拝を行った。(天皇陛下が先に1月26日から比国を訪問されている)
慰霊団には73名が参加し、地区別に4班に分かれ、慰霊巡拝を行った。私は第3班
(22名)でビサヤ諸島(サマール島、レイテ島、セブ島)の慰霊団に配置された。
ブログ掲載については躊躇したが、レイテ島だけで7、5万人が戦死(フィリピン
全土で51万人が戦死)している。数多の遺族は、戦地はどんなところか、まだ見ぬ地
を想像している方も多いと思い、敢えて掲載することとした。
1.サマール島・北部 2.レイテ島 3.セブ島 の順に掲載
1.サマール島・北部
2-1.レイテ島にて亡き父を慰霊
南方の戦地(フィリピン・レイテ島)に出向き、現地で亡き父の霊を供養した。
父の戦死したカルプゴス山は北カルプゴス(地名)の山塊を指すようでしたが、
丘陵に近い比較的低い山並みが続き、現在は明るくて大変のどかな土地となっていま
した。住民も協力的でした。
北カルプゴスの山頂近くの高台に祭壇を設け、父の霊を供養することができました。
<今回の慰霊で分かったこと>
個人的には、厚労省から頂戴した戦闘関連資料は詳細に調査されており、ご苦労に
感謝している。また、現地日本人ガイドの戦況説明は分りやすく、大変参考になった。
厚労省からいただいた資料によれば、父の所属した第26師団、独立歩兵第12連隊
(連隊長:今堀鉄作)の父の大隊は、S19年11月3日に応援部隊としてオルモックに
上陸し、オルモック付近の戦闘に参加、次いでアルベラ付近の戦闘に参加、その後、
師団主力と共にシラット方面に転進し、S20年4月5日から7月3日のカルプゴス山
の戦闘において部隊は全滅した。
ガイドのS氏の解説によれば、連隊長は7月4日に副官(東島大尉)に上部への報告
を指示した後、自決された。東島大尉を含む伝令5名はカルプゴス山を後にしたが、
全員米軍に発見され銃弾に倒れた。しかし、東島大尉は重体(意識不明)で米軍に収容
されて回復し、捕虜となった後、日本に復帰された。このため、独立歩兵12連隊の
行動の全貌が明らかになったとのことである。
以下、個別の写真を掲示します。
以上。 (No.2に続く) アドレス: https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/8e0026fdb24003b43adf4003f75e946b?fm=entry_awc