<<桜井よし子さんのブログ>>
日頃トラック・バックで(勝手に)お世話になっている桜井よし子さんののブログの
親学の開始こそ日本人再生の糸口に
に懐かしい昔の「辛抱強く愛情に富み、子どもにつくす母親」「行儀がよくて親切な子ども」「両親を敬愛し老年者を尊敬する日本の子ども」 の字句が並んでいた。
まさに私の子供時代の戦前の姿だ。
そして、
「子育てはイライラする」答える母親は1981年の10・8%から75%になり、「親が子の犠牲になるのはやむをえない」答えた日本の親は世界平均73%の約半分の38・5%、調査対象73ヵ国中72番目と
と続けている。
そして、
子どものために親が自分を犠牲にするという価値観が、およそほかのどの国よりも軽視されている現在の日本では、子どもも親の変化を反映して変化した。
と嘆いている。
<<昔の母親像>>
私はこの文を見て私の母親を思い出した。
私の家は、前にも書いたが学校へ持って行く弁当は鰹の削り節に醤油をかけたものか、海苔の佃煮に決まっていたほどの貧乏だった。
母親は炊事、洗濯から内職まで一日中身を粉にして働いていた。
それでいて、新、旧の正月の二度の餅搗き、雛の節句には飾る人形も無かったが、甘酒、五月の節句には、柏餅を作り、七夕には笹の飾り、夏の海水浴、学校の遠足には小遣い銭まで、余所の子と同じにしてくれた。
(最も小遣い銭も僅か5銭で、ハーフ・サイズの森永キャラメルと飴玉二つが定番だったが。)
母親は島田洋七さんのがばいばあちゃんのような、才気は無かったが、八十を越した今になっても感心するのは、母から金の愚痴など聞いたこともない し、物差しで叩かれたときも、親が苦労しているのにお前達は など言われたことはないことだ。
多分、母親は苦しい家事を切り盛りすること、子供の世話をすることを当たり前と思っていたのだろう。
母親の口癖は「余所様に迷惑をかけないように」だ。
それともう一つ「もし人が気付かないか、気付いてしない事は、人に言う前に自分でしなさい]だ。
私も受け売りで子供達に同じことを言っている。
少し恰好良くないが我が家の家訓のようなものだ。
勿論、私の母親が特に優れている訳でなく、同時代の日本の大多数の母親もみなそうだったと思う。
そのような日本の親達が何故桜井よし子さんが嘆くようにアンケート対象国の73ケ国中72番目の低レベルの意識しかない国に落ちぶれたのだろうか。
<<国民の意識レベルの低下した原因>>
その原因は,
1.戦後教育の歪み
占領軍は、一時神道を禁止しただけでなく、戦前からの日本の全ての価値観を否定し、民主主義を導入した。
おまけに神道ともに私どもの精神的支柱であった仏教まで、全ての価値観を否定されて呆然となっている国民と同様に、勢いを失い、衰退の一路を辿った。
そこに民主主義だ。
こう言う英文がある。
Being able to exercise one's rights is fundamental to democracy.
(権利を行使できるということは,民主主義 にとって基本的なことだ。)
今までの全ての価値観を否定され空白状態になった頭に、権利中心の教育をされたらどうなるかすぐ判ることだ。
少子化と若い人達の責任
権利ばかり言って、自分の責任や義務を感じない生徒。
自己中心の生徒が出来るのは当然だ。
戦後50年の間に、その生徒が親になり、結婚し、子供を産む時期になって、自己中心の親が増えて、桜井さんの心配する現象が起きているのだと思う。
そして、50年経った今教育基本法の改定問題が出てきた ように、占領された時代から何の教育方針の見直しがされて来なかったことだ。
その間、多くのの識者が心配する割りに取り上げられなかった理由は、今の一部マスコミや日教組が同法案に反対している理由と同じだ。
然も、「子育てはイライラする」答える母親は1981年の10・8%から75%になり、と彼女が言うようにそ家庭の劣化が加速度的に増えているのだ。
もう一つの原因は、色々書かなくても一行で済む。
2.市場経済中心主義→金儲け中心主義→物事を全て損得で考える人が増えて来た事だ。
<<損得勘定抜きの社会>>
私は母親の生き方とその口癖から、他人さまために私の出来ることをする、それが報われなくても、私のしたことに代償を求めない生き方を習った。
私は現在4つのクラブに入っているが、母親の教えと、私の性格から黒子的な形で出来る範囲の協力をしてきた。
例えば、私の属する英語新聞輪読会で、私が皆より少しだけ多くの英語の原書の読書経験があることと、講師がいないため、週に一度の会で英文を読むだけで、家では殆ど勉強しないと判っていている、大半の会員の為に、八十を越した今でも、毎日NHKのビジネス英語を勉強している。
そうかと言って、母親の無償のサービスの教えが染みついている私は、皆が勉強しようとしまいと無関係だと思っている。
勿論、私だけでなく、会の代表者は、無償で会の世話をし、英字新聞を取っている人は、その費用を請求しもしないし、ケーキ作りの得意な人は時々焼いたパイとコーヒーを持ってきて御馳走してくれる。
会員の中には、外国旅行に良く出かける人達が居て、そんな旅行など無縁となった私たちにもケーキなどお土産に持ってくる。
誰も損得や、計算ずくで会に来ている人はいない。
だから、この会が15年以上も続いているのだ。
なお会員の中には、外国人学生のために、ボランティアの日本語教室を主宰している人、パソコン・クラブを立ち上げその世話をしている人、市関連の二つのボランティア活動の世話をしている人なども居る。
クラシック・ギターのクラブのリーダーは、新人の人達の練習用にと、楽譜をパソコンに恐らく一日以上かけて取り込み、CDとして会員に配布している。
そして私どものお礼の申し出に頑として断っている。
詰まり、損得抜きの無償の行為で、会が成り立ち、コミュニティーが成り立ち、国が成り立つのだ。
<<損得ずくで成り立つ家庭>>
「親が子の犠牲になるのはやむをえない」と考えない100-38.5=61.5%の親を持つ家庭はどうなるのだろうか。
コミュニテイーの最小単位である、家庭て゜も無償のなにかが無ければ、成り立つ筈はないと思う。
そして、成り立たない家庭ばかりではコミュニテイーも成り立たなくなる。
・親が一生懸命しているのに、子供が応えないからと言って叱る→子供の反抗→虐待
・親の考え方をした損得勘定をする、自己中心の子供ができる、
・少子化の進行
・いじめの増加
・コミュニティーの破壊または消滅
・凶悪犯罪の増加
など数え上げればきりのないほどの社会の異常現象の増加と損得勘定する人や自己中心の人の増加と結びついているような気がする。
然し、唯一の救いは、私の身の回りのようにまだ38.5%の健全な考え持つ人達がいる。
どうか社会のために、また国の為にこの人達のより一層の頑張りと、健全な人達の増加を願うばかりだ。
参照:
子育てより自分の生活優先