私がブログを始めて今日でもう2年になりました。
駄文にも関わらず多くのご訪問を頂きありがとうございます。
今後ともどうぞご支援とアドバイスをお願い致します。
「私のマイ・ブログ批評」を書く前に前年の5月18日のブログを見た。
そして改めて私のブログの内容が殆ど進歩していないことに気づいて今更のようにがっくりしている。
そのため前年の反省と同じことの繰り返しになることも多くなるが、改めて私のブログに就いて自己批判をしてみたいと思っている。
[私のブログの短所]
1.普通のこと、当たり前のことしか書いてないので面白くない。
2.他の政治関係のブログのように他国や国内の政党、マスコミなどの攻撃だけの記事を読んでストレスを開放できない。
3.折角の戦前派の経験があまり活かされていない。
他の多くの戦前派、戦中派の人達のように、敗戦に終わった戦争中のことを言うのには抵抗がある。
私自身も戦争中のことは家の者にも周辺の人達にも殆ど話したことはない。
ブロクだから同時代の人達と違っていくらかは書けるがそれもやはり限界があるのだ。
4.私のブログから新しい知識を得ることは出来ない。
私の情報のソースは、講読している読売新聞とテレビと、インターネットから得られる知識が主体だ。
勿論それは私の不勉強の所為だが、ブログを書くために大変勉強してされているセミプロ級の方達のブログも大変為になるが、全く「普通のおっさん」が見たブログのも後に書く様にそれならに価値もあるのではないかと自己弁護している。
5.駄文で読みづらい。
誤字、脱字、修正し忘れ、書き漏らし、拙劣な表現などで、折角の来訪者に迷惑をかけている。
[私のブログの特徴]
(長所でなく特徴と書いたのは長所などほとんどないからです。)
1.批判だけでなく、前向きの提案も書いている。
血液型B型の特徴で、役に立たないことは書かないと割り切っている。
私の長年、設備保全に従事した経験から、問題点を指摘するのも良いがそれだけでは、何も生まれて来ないと思っている。
2.私の批判、提案が意外にも時々は的を得ていることもある。
例の一部を挙げると、
(1)教育における家庭の責任、権利重視・義務・責任の軽視の教育の弊害、日本古来の価値観の良い所まで無視してきた弊害は私のブログの最初からのテーマで、これらのことは、教育再生会議が発足して一般に言い出された事だが、私がブログを始めてから2年の間に学級破壊、モンスター・ペアレンツの言葉の出現、家庭内殺傷事件や通りかがり殺人の増加など、教育問題にも関係する新現象が現れている。
参照:カテゴリー →教育問題
(2)少子高齢化、石油資源の枯渇、米国依存型の市場経済など見直しの為のシンクタンク設置の提言(6年8月) →少子化に大きく起因する年金・医療制度の破綻、石油の異常な高騰による物価の上昇、米国の半永久的?な地位の低下
(3)政治関係で言えば、
・民主党の前原さんに、政府攻撃の時は喧嘩上手な人をたて、代表が前面に出ない事を提言→ガセネタ問題で代表辞任
参照:民主党チョンボの歴史
・安倍さんに、小泉政治の継承でなくて見直し、政治と金の問題では小泉さんの冷酷さを学ぶ事、裸の王様にならぬように情報収集の必要性の提言→衆院選大敗
参照:裸の王様?だった安倍さん
・福田さんに問題山積の厚生労働省の升添さんの周辺を固める事の提言→年金、老人医療問題で内閣支持率の低下
参照:福田内閣への提言
などいずれも結果から見ればそのいずれもが政局の激変に関する提言となっている。
[当たり前のこと]
以上自慢たらしく書いてきたが、読者の方達はとうにお気づきのように、そのすべては誰でも考えつく「当たり前」の事ばかりだ。
「当たり前」だから誰も書かないし言わない。
政治家の立場から言えば、国民の義務、責任など言えば軍国主義と結び付けられ、選挙に影響してくるので言いにくい。
柳沢さんの例の「産む機械」の発言は批判を浴びても仕方がない失言だが、彼の本旨は少子化に就いての一番の関係者である女性の意識の持ち方とか、責任の問題を言いたかったのだろうが、マスコミからはそれには全く触れずに女性を機械扱いにすると批判され、辞任問題まで発展した。
これでは政府関係者は昔の高遠さん達の拉致事件で「自己責任」の発言に対するマスコミの異状な反応にみて判る様に、国民の責任など恐くて言えない。
そしてそれが少子化問題など国が抱えている多くの問題の解決を遅らせているのだ。
また現在の政局で言えば、自民・民主両党の幹部たちは皆党利党略からみの発言で、「当たり前」のことを言う人は政局を動かすのに直接関係のない若い人達ばかりだ。
自社の主張にそぐわない報道も減らすし、社説やコメントもそれに沿った物にする朝日新聞などは良く言えば真っ正直で可愛いとも言えるが、他のマスコミも政治的判断が働いている報道と感じるところもあるようだ。
その一番のよい例が、もう常識になっている、マスコミのタブーとされている、宗教、左派団体、労働組合などに就いての遠慮がちの報道だ。
最近の例で言えば、オリンピックの聖火リレーで、中国の人達の起こした暴力事件やそれに対する警察の処置の報道が殆どないのがよい例だ。
政党機関紙ならともかく、いくら商業紙でも世論をリードする立場に立って、もう少しマスコミとしては「当たり前」の公平な報道や、主張があれば、日本ももっと良い方に変わって行くと思うのだが。
一方、プロの批評家達は「当たり前」のことを行ったり書いたりすれば飯の食い上げになるし、自分の主張に反することは目をつぶりがちだ。
完全にフリーな立場のブロガーも自称、他称の右翼、左翼などそれぞれの立場からは、その主張に沿わないことは書き難いだろう。
然し私のような「当たり前」の見方が案外に的を射る確率も高いようだ。
何故なら色眼鏡を通して見なくて真っ直ぐにそのまま見えるからだ。
私のブログを訪問される方への信頼を得る制限の範囲では、政治家、プロの批評家やマスコミと違って「当たり前」のことを何でも言えるからだ。
だからこそ完全なフリーの立場にいる(と自分では思っている)私のブログもそれなりの存在価値からあると思って、「普通のおっさん」として「当たり前」のことをお迎えが来るまで書き続けるつもりだ。
改めて皆様方のいつに変わらぬご支援と忌憚のないご助言をお願い致します。
このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。↓
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