普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

地域再生とパチンコ屋

2008-07-07 17:59:16 | 地方分権と再生

[駅前商店街のシャッター街化]
 私の生れ育った北九州市は沈滞に苦しんでいるが、その中でも路線価格の下落率で毎年県内のトップを走っているK駅前の商店街地区のことを書いて見たい。
 K駅はJR九州の中では、(多分桁数は違うと思うが)博多、小倉に継ぐ乗降客の数を誇っている。
 ラッシュアワーになると、多くの列車を降りた人達が駅前の人口地盤通ってそれぞれの方向に別れて向かう。
 その大部分(約85%?)は駅を出て西方向に設置されたC電鉄の始発駅とバスセンターの方へ、その一部(約10%)はその東方向にあるIデパートへ、そして残りの僅か(約5%)の人がが南方向に直進して駅前商店街やIブックセンターとその前にあるバス停の方向に向かっている。
 ある日、同時刻に駅前のアーケード街で歩く人の数を数えて目の見える範囲で、僅か8~12人だったのに愕然としたことがある。
 なおK駅の北側は工場地帯で、昔はK地区の飲み屋街を潤していたM化学、Y電機などの大工場から、合理化で数を減ったとはいえ今でも多くの人達が午後5時過ぎには退社するのだが、その殆どはそのまま直接JR、C電車やはバスに乗って帰る人達が多い。
 当然のようにこの商店街もシャッター通り化の進行が止まらない。

 K商店街は駅から扇型に伸びたC通り、バス道路に面したF通りとその間に挟まれたS街とそれから派生する2つの通りとそれらの周辺の商店からなっている。
 今日、Kへ買い物に出たついでに調べて見ると、中心的存在のC通りのうち約200mの間にシャッターを降ろした店が36軒、5.5メートルに付き1軒の割合だ。
 そして半径450m、弧の長さ約180mの扇型の中で、平地の駐車場(パチンコ屋やパーキング・ビルに類したものを除く)が11箇所と10年位前から比べるほぼ倍に増えている。
 詰まり完全に店舗を潰して、駐車場にしたのだ。
 言うまでもなく、人が居なければ店は成り立たないが、多くの乗降客や工場の通勤者はいるのだ。
 ただ商店街は彼らを逃がしているのだ。

 北九州市は5市が合併して出来た都市だ。
 小倉、門司、戸畑、若松とK商店街とC商店街のある八幡だ。
 そのうち小倉、若松ではシャッターを降ろした店が珍しい程少ない。
 駅前の大型店の影響を受けている戸畑と八幡地区の新日鉄の移転で大きな影響を受けたC商店街は僅かの閉店した店を所々見かけるがK地区の商店街のような荒廃状態ではない。
 K商店街ではIデパートの前身である、Sデパートの設立が計画された時大店を楯に猛反対をしたが、若松では商店街から歩いて数分のところに大手のスーパーがあるにも関わらず、そして北九州市全体からみれば離れ小島的な位置にあるにも関わらず、閉店した店は殆ど見かけない。

[シャッター街とパチンコ屋]
 各地の商店街比較してみて気がつくのはパチンコ屋の存在だ。
 私のような余所ものから見れば、小倉は商業地域の中心部全体でも僅か2~3軒、戸畑もほぼ同じだが、門司や若松の商店街の周辺では殆ど見当たらない。

 K商店街で直ぐ気がつくのは、その入り口のF通りの1ブロック分の75m近くを2軒の大きなパチンコ屋の建物が占めていることだ。
 そしてアーケードのどまん中にも大型のパチンコ屋、南側の入り口にも5~6階建てパチンコ屋が抑えている。

 正確に言って、K商店街の衰退の主な原因は、店主の高齢化、プライドはあるがやる気不足、時代の変化に就いて行けない、個人のことばかり考え小倉や博多に負けないような地域全体の発展を考えないことなどと思うが、パチンコ屋の存在がそれに輪をかけているのりは間違いのない事実だ。(*注1)

 パチンコ屋の騒音、ごてごてした店構え、出入りする客の顔や服装。
 現在の消費者の中心を占める若い女性や家庭の主婦たちが、駅やバスセンターから、人口地盤の約60m、パチンコ屋の前を通り抜けて商店街に入らせるには、余程の魅力のあるものが無ければならないのだ。
 彼女らにとって、そんな鬱陶しい思いをする位なら、往復2千円を払ってでも、博多に行こうと思うだろう。
 一方、パチンコ屋の客はほとんどの人は負けるに決まっているので、商店街の方に廻ることはない。
 パチンコ屋が400~600万近くの金が強奪されたと言う話を良く聞く。
 つまり今のご時世でこれだけの日銭を彼らは稼いでいるのだ。
 だから一旦パチンコ屋が出来れば余程のことが無い限り潰れない。
 それどころか、K商店街のように立て直す毎に大きくなり、地域で潰れかかった店があるとまた新しいパチンコ屋ができ、商店街の顧客の流通を阻害し、果てはシャッターを降ろす店がまた増える。
 これは商店街の癌そのもだ。
 一旦出来ると退治出来ないどころか、寄生する商店街の息の根を止まるまで増殖し続ける。
 そして街の雰囲気の悪化と言う副作用ももたらす。
 社民党始めパチンコ店の支持する人達は、市民の娯楽または息抜きだと言うがこれは昔の話(*注2)で現実は景品を媒介として金をやりとりする完全なそれもいんちき賭博だ。
 店に行った人達はだれても経験するだろうが、千円ぐらいの投資は電動ハンドル式に変わった今一瞬の内に無くなってしまう。
 そして数万も儲ける人はひとは、僅かに限られている。
 しかもパチンコ店の運営は完全なブラックボックスで、勝つには僅かの知識と腕、引き際の見極めというギャンブルの極意を必要とする。
 そのような極端な射幸性に賭ける人達は、ごく気紛れに入る人達を除いて、品性に首を捻る人達も多い。

[公営ギャンブルとパチンコ屋]
 福岡県にはボートのレース場が3つもある。
 そこでは大金を賭けて身の破滅を招く人たちも稀にはいるが、その殆どは僅かな金を使って一日を過ごす中老や老人の人達が多い。
 なにしろ1レースに100円を賭ければ全敗しても1,200円で済む。
 一瞬の内に1000札が吹っ飛ぶパチンコと全く違う。
 彼らはレースの展開を読み、友人たちや隣に座った人達と会話を楽しみ、負けたときは選手を罵倒しあう。
 そして100円つぎ込む度に75円国や地方団体の財政に寄与している。
 これこそ健康的ではないかも知れないが娯楽で息抜きの遊びだ。

 パチンコは全く違う、相手はパチンコの盤面だけ、知恵を働かそうにも相手はブラックボックス、そしてふんだくられた金がどれだけ税金として、国や地方の団体に入るかは店主の良心に待つしかない。(何でも脱税ではパチンコ店はワースト、ナンバーだそうだ。)

[パチンコ規制の動き]
 私は以前にも同商店街の活性化についてブログを書き、その中で再生プランのレイアウトを書く必要性と、その中でパチンコ屋の規制も入れることを提案し、K商店街やK副都心計画に熱心な末吉さんが率いる北九州市にも実際に提案したことがある。

 そして何ケ月前かの地方版によれば、K商店街は市の要請に答えて「K再生10年計画プラン」の中にパチンコ屋の規制も入れたそうだ。

 パチンコ屋の規制と言っても、どのような方針を出したかしらないし、この件に関しては伝統てきに社民党の強い反対があるそうだし、自民、民主では慎重なグループがあるそうなのでパチンコ屋の規制の実現は予断を許さないようだ。
 どうかK商店街はなんとかしい街の発展を阻害するパチンコやの抑制に成功して貰いたいものだ。

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*注1:参照資料
 商店街活性化への道(1) 

 商店街活性化への道(2)
 商店街活性化への道(3)
 
商店街活性化への道(4)

*注2:ハンドル式時代のパチンコ屋
  出玉の操作は今も同じと思うが釘の操作、盤面裏側玉の置き具合のより、盤の微妙な変化(天候による変化もあると言う人もいた),それと出玉と外れ玉ののどちらかを入れるかと言う単純な方法だった。
 技術屋の癖で、パチンコ玉の直径を計ったことがあるが、0.1mmから0.2mmの差がある。
 詰まり玉の径の小さい方が出玉に成りやすいので、長い間には出玉のほうに小さい玉が集まり、外れ玉には大きい玉が集まることになる。
 良く出る台はその操作に関わらず補給の玉がなくなり新しく補給し遂には打ち止めのになる。
 そしてパチンコの盤の上部にはその状況が見られる鏡がついており、客はそれを見ながら後ろのお嬢さんに指示していたが、その掛け合いが楽しみで来た人もいたようだ。
 そして肝心の金だが、余程の台で無い限り1,000円儲けるのも大変だったが、同じ額損をするにも腰が痛くなる程座って居なければならなかった。
 今の戦場のようなパチンコ屋に比べると、昔のパチンコ屋か息抜きの良い場所だった、如何にも牧歌的なものだった。