普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

大分県教育委員会汚職と地方分権

2008-07-23 17:34:14 | 地方分権と再生

[教育委員会の汚職の意味するもの]
 大分県教育委員会の汚職はその影響の深刻さで多くの人が大きな衝撃を受けたと思う。
 昔から親たちは子供に「学校に言ったら先生の言う事のを何でも聞くのよ」と言い私の母親などは家庭訪問にきた教師に「子供が言うことを聞かなかったから遠慮なく殴って下さい」と言ってきたものだ。
 時勢が変わって「モンスター・ペアレンツ」が出てきた今も、「学校に言ったら先生の言う事のを何でも聞くのよ」と生徒に言い聞かせてきた父兄もまだ多いと思う。
 然しこの汚職の報道を聞いて親たちは子供に何と言って聞かせれば良いのだろう。
 せいぜい「先生も人間だから中には悪いことをする人もいるかも知れないが、お前だけはそんなことをしては駄目だよ」位しか言えない。
 まして大人から子供まで自分の悪いことは棚に上げて、他人の所為にしたがる人が多い中で、自分の達の非行を先生の所為にする子が現れる可能性も多くなるだろう。

[地方分権と市民の責任]
 地方分権は今、全国的に議論の対象になっている。
 その主なものは小泉さんの所謂「三位一体の改革」で「地方に出来る事は地方に」という小さな政府の実現のための政策として推進されてきたが、事実は地方の交付税の削減→多くの地方の疲弊→地方からの交付税の増加の要求だけの議論に止まっているようだ。
 私は地方分権の問題を難しくしている原因の一つは、交付税に関してはそれぞれの事情を持つ都道府県に、如何に公平にそして国全体の発展に繋がる様に戦術的に配分することがあると思う。

・首長とそれを選ぶ市民の責任
 然しここでは大分県の教育委員会の汚職に関連して地方分権と人の問題について考えて見たい。
 大分県と言えば平松前知事時代に「一村一品」運動を広めて、それが道の駅など産地と消費者直結による農村復活の全国的な動きのきっかけをつくった。
 最近ではマスコミを巻き込んだ東国原さんの「どげんかせんとあかん」と言う派手な活動や、橋下さんの「前年度比で1000億円の予算削減」での議会や職員との公開討論などで、世間を賑わせている。
 その他にも、宮城県の浅野さん、三重県の北川さん、高知県の橋本さん、鳥取県の片山さんなどが有名だ。
 その理由は都道府県知事は議会制民主主義で政権党から選出された日本の首相と違って、米国の大統領のように直接選挙により選ばれたもので、それだけ都道府県の首長の政治への影響力は首相と相対的に比べるとはかに大きいからだ。

 然し.その一方、日本全体で言えば、全国規模の選挙になれば、現状ではまかり間違っても、特定の思想や宗教観を持った団体の支持を受けた人が首相になる可能性は殆ど無いが、地方ではそれらの団体の支持を受けた人が首長になる可能性は大きい。
 その時、首長が都道府県や市町村だけでなくて日本全体の利益の為に重要な決定をするときに、日本に取って正しい判断をしてくれる保証はないのは数々の実例からみても容易に想像できることだ。
 そのためにも首長に投票する一般市民の責任は重大だ。

・汚職の防止
 もう一つの問題は今回の教育委員会の汚職のように、その地方の固有の慣行で醸成されやすく、その慣行の中で生活してきた知事も地域の人たちやもマスコミもおかしいと気づかずに過ごして、その悪事が発覚したときは、いきなり全国的に報道されることになる。
 それで、これから知事になろうと思う人達は、今まで当然と思っていたこと全てに付いて、見直す覚悟とその実行力が必要になるから大変だ。
 この様な不祥事を防ぐには、何時も言われる事だが、情報公開とその収集とそれを第三者の眼で分析をする機関の設置だ。

・地域のボスと圧力団体に対する世論
 それともう一つの問題は狭い地域にありがちな、地域の政治を歪ませる、顔役的な人達とひと頃の(今もそうかも知れないが)農協や、関係などのような特定の圧力団体、労働組合や土地の有力な企業の存在だ。
 これら圧力に対して首長を唯一バックアップできるのは東国原さんや橋下さんの例のように世論の支持だけだ。
 ここでも一般市民の責任は重大だ。

・地方分権と市民の責任
 国の政治でもそうだが、全ての政治システムは性善説と、市民が的確な判断をすると言う前提に立っていると思う。
 耳障りの良い地方分権を上手く動かすには、首長は勿論だが、それを選びバックアップする市民の責任は大きいと思う。

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