一昨日の「私のマイ・ブログ批評」では思いもかけず多くのご激励のコメントを頂きまして有り難うございました。今後とも宜しくご指導とご支援をお願い致します。
またしても誰でも良かった通り魔事件が引き続いて起こった。
3人の通り魔にかぎらず、前日の夕食にカレーを一緒に作った父親(家内からこんな親を見習いなさいと言われた)の刺殺事件を起こした女子生徒、親を困らせるためにやったバスジャックを起こした少年と言い、分析好きなテレビのコメンテーターの人達も困っているようだ。
まして昔人間のおっさんの私に取って何が何でこんな事件を起こしたか首を捻るばからだが、私なりの尺度で考えつく理由を並べて見た。
[考え方、価値観の変化]
・一部(または多くの?)の教師から権利重視、それに伴う義務や責任軽視の教育を受ける→自分のことを棚に上げて、全て他人の所為にする人達の発生
・個性、プライバシー尊重→他人の迷惑を考えない
・戦後以来すべてについて女性化し、優しくなった社会や小中学校→厳しい現実に耐えられない若者の発生
(これは戦前から戦後の社会の動きを見てきた私の実感だ。)
・男は男らしく(例:良い事をする勇気、悪いことをしない勇気)、女は女らしく(例:思いやり、気配り)の考え方が殆ど消滅?
・男子生徒の間の取っ組み合いの喧嘩が減る→ストレス解消の道がないし知らない
そのルールは殴るのは平手、足蹴や木切れや石など使用は卑怯者の仕業だとされた→喧嘩やストレス発散のルールを知らない、刃物を持ち出すのに抵抗感がない
(昔は勧善懲悪の講談本が流行していて、足蹴したりや刃物を持ち出すのは悪党の中でもチンピラのやり方だとされたのが影響していたのかも知れない。)
・経済活動の発展→核家族化→共稼ぎの増加で親子の接触時間の減少とプライバシー重視→家庭内でも個人の孤立化、言わば核の分裂化→何か問題があるとき独りで抱え込む
・その反面家族への甘えが強い→家族との間の僅かのごたごたでがっくり来る、家庭内殺傷事件も家族なら言う甘えから来ている?
・少子化→子供社会の縮小→学校と言う密閉空間でのクラス内だけの社会→家庭内での孤立化で自分の世界に閉じ籠もる習性(その良い例が車内での化粧)→何か事があるときにその世界から脱出できない
・その反面で社会に自分の存在を認めて貰いたがる→犯罪を起こす動機の一つ
・読書量の減少→想像力の貧困→事件を起こしたあとの自分の人生まで考えがまわらない
テレビ、漫画、ゲーム等で動物的な反応の力は増えて来る→キレルと言う言葉で象徴されるように発作的に行動する若者の発生(キレて事件を起こす人が高齢化してきている)
・家庭内の孤立化→親と子供の距離が拡がる(その象徴は鍵付きの一人部屋)→子供は親の知らない情報や世界を持つ
[四囲の環境の変化]
・企業の責任
市場中心主義経済での厳しい環境→企業が全ての考え方→企業の倫理観の欠如と金が全ての考え方の形成→派遣労働者の増加→社会格差の発生
(政府も企業優遇し、その波及効果による日本経済の発展の政策を取ってきた。
私は派遣労働者に一端になれば最後、それから脱出する以外に這い上がれない事態は階級社会の発生だと思う。
派遣労働者の採用は致し方ないとしても、かれ等が起こす犯罪をみて、その人達の人格を認め、その能力を100%発揮させ、その中の優れた人を正規社員に登用するのが、日本社会にある企業の責任だと思うのだが。)
改善活動など従業員の能力を100%発揮させる経営→米国流の、「会社は(株主)(経営者)(設備と労働者)で成り立つ」と言う様に労働者を設備と同列に扱う考え方や成果主義の導入→従業員のモラルの低下、特に派遣労働者は自分がロボット扱いにされていると考える
(私はこのような企業のやり方は、一昔のように学力(受験技術)に優れた人が一流大学に入り、トコロテン式に卒業し、企業も一流大学なら間違いないと思ってその卒業生を採用し、特に企業経営など教育しないまま、経営陣に登用したのが原因だと思っている。
最近は大学も企業も考え方が変わっているようだが、是非、問題意識を持ち、自分なりの考え方や倫理観をもった経営者が出てきて貰いたいものだ。)
・マスコミと批評家の責任
権力は悪、弱者は善と言う杓子定規の報道→それで悪い事をしても権力や社会の責任だで済ませがちなマスコミ報道→犯罪者に弁解の余地を与えたり、ヒーロー的な気分にさせる。
この種の犯罪のいやになる程の繰り返しの報道→不満を持つ若者に社会が悪い、人もやっているので自分がやって何が悪いとい思わせ、また犯罪者予備軍に模倣犯罪を起こさせる。
多くの批評家は勿論健全な考え方を持ち的確な批評をしていると思うが、中には何故か独自の議論を展開して、例えば昔からこの種の事件はあったとか、昔より今の方がずっとましだという人がいる。(*注1)
(これは戦後から生きたきた私がみても明らかに間違いで、こんなことを言って世のために役立つと思っているのか、或いは変わったことを言って目立ちたいのか首を捻るばかりだ。
悪い事は悪いと言えば自分の沽券にかかわるとでも思っているのか。)
(私は民放も社会の公器と思うのなら、(特にテレビ朝日の「スーパー・モーニングの様に)官から民迄の悪事をこれでもかこれでもかと放送するのは、上記の例の示すように社会の為に必ずしも良いとは思わない。
私は同じ報道番組でこの種の犯罪の報道を仮に1時間するのならその10~15分は今の厳しい時代でも頑張っている若者の放送も是非入れて貰いたいものだ。
このような明るい報道があれば、若い人達に希望を与え、犯罪者のやったことが如何に酷いものだと言うことが一層アピール出来ると思うのだが。)
色々と思いつくまま書いてきたが、仮にその一つ二つは当っているかも知れないが、それで全て解釈できるとは思えない不思議な事件ばかりだ。
日本社会は何故こんなに捩じれてしまったのだろうか。
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*注1:日本は昔より今の方が安全?
先日、読者から或る本の記事を例に上げて、「お前は昔は安全だったと言うが、今の日本の方が安全だ」とのコメントを貰ったことがある。
私は終戦前後は20歳代で、趣味の山登りで旅館に何度も泊まったことがある。
どの宿も例外なしに、何の予約もなくふらりと来た一人の薄汚い登山者に対して、嫌な顔一つせず泊めてくれた。
時代は変化して、自殺者や犯罪人を警戒して一人だけの宿泊を断る旅館が増えてきたという報道がされたことを覚えている。
今はホテル以外で一人でも宿泊できる旅館はごく限られており、一人でも泊まれる旅館を集めたガイド本が出ているくらいだ。
そのような旅館のない僻地では、ふらりとくる旅人を泊めてくれる民家が何となく決まっているらしくて、村人から教えて貰ってその様な民家に泊めて貰ったり、小学校の分校に宿を借りたりしたことがあったが、一度も断られた経験はない。
鹿児島県の桜島で泊めて貰った民家が、祝い事で忙しそうなのを見て恐縮した覚えがある。
私の先輩などは昼食をするのに農家の縁側を借りると、決まったようにおばあさんが出てきて、お茶や漬け物などを出して世間話をしたものだ。
今このような風習は四国88ケ所の沿道に残っているそうだが、私のこの小さな経験からしてもすくなくと、昔の方が今よりはるかに安全だと思うのだが。
然し断って置くが、その一方で日本としては軍国主義→世界大戦の道を歩んでいたので、年寄りが良く言う「昔の方が全て良かった」とは少しも言うつもりは無い。