葬儀から戻ったNPO法人なごやか理事長は、私に川井主任と愛子CMを呼ぶよう指示した。
亡くなられたのは理事長が起業してグループホームを立ち上げた初年度の利用者様で、大震災後事情があって退居され、自宅で過ごされていたとのことだった。
二人が到着すると、理事長はこれまでについてのねぎらいと謝意を述べた。
先に愛子CMが口を開いた。
「野川トチ子様のことは、新聞の訃報欄で目にしていました。
トチ子様は私がグループホームで初めて担当した方で、仕事を覚えていく中で、多々苦戦しながらも一緒に過ごした楽しい日々を思い出します。
ある日の受診時には、トチ子様が理事長の車、私はホーム活動車で帰園するという今では笑えるエピソードも、昨日のことのように感じられます。
素っ気ない態度や、たまに見せるニヤリとした笑顔など、懐かしい思い出ばかりです。
亡くなられたことはとても悲しいのですが、故人を思い出すと、ほっこりします。」
川井主任が続いた。
「私も朝刊の訃報欄を見て、驚いていました。あまりにも長い月日が経ちましたが、振り返ってみると、初期の利用者様や同期の職員の顔は、名前も忘れずに今でも覚えています。
今残っている利用者様は清美様だけですね。
野川トチ子様だけでなく、初期の利用者様の居室内の配置、全て鮮明に覚えています。
誕生日会も忘れません。古いメンバーでしか語れないトチ子様のエピソードも沢山あります。思い出深いですね。
私が入社した頃は、グループホームの在り方さえ分からず戸惑いもありましたが、利用者様から学ぶ事が沢山ありました。
その時は、職員間や利用者様の対応も含め、悩むことはありましたが、今は客観的に周囲を見ることができている自分がいます。」
「そうか、それは成長だね。
真面目でガンコなきみがホームの現状を憂いて、新しく管理者に着任したばかりのミス・エイスワンダーへ涙ながらに訴えた時のことは、忘れられないよ。
あの方も、相当面食らったことだろう。とんでもないところへ来てしまった、と内心後悔されたかもしれない。
実際、あのあと僕は時々彼女へ謝った。
でもね、あれがあったからこそ、僕も、彼女も、きみたちも、いいホームにしようと精魂を傾け、力を尽くし、今があるのだと思う。本当にありがとう。」