喫茶店アルファヴィルのアルバイト店員で、現在はNPO法人なごやかのパート事務員でもあるIさんが退職して故郷の弘前へ帰ることになった。
私は全く気づかなかったのだが、この街に赴任中の夫と最近離婚して子供二人を引き取ることになったのだそう。
お店も会社も、みなさんも大好きなのだけれど、経済的なこともあるし、いったん弘前に帰ろうと決めたの。「ふりだしに戻る」ね。
そう言って彼女は屈託なく笑った。
私が涙ぐむと、高梨さん、泣かない泣かない、ほら、テレビドラマのシリーズで、1シーズンが終わると準レギュラーが何人か入れ替わるでしょ?あなたはレギュラーで、私は準レギュラー。きっと次のシーズンはまた新しい、魅力的なキャラクターが登場するわよ。
妙な例えだったが、いつも女スパイのようないでたちの彼女が言うものだから、思わず吹き出してしまった。
理事長は何と言っていました?
先週、お話に行ったの。そしたら、とても残念だけれど、弘前は素敵な街だから、あちらでまだ幼いお子さんたちを育てるのはいいだろうね、と。私が思っていることそのままだった。
それが今日ね、電話があって個人事務所を訪ねたところ、おせんべつにって小さな包みをいただいた。うながされて開けてみたら、これだったの。
Iさんは首元に手をやった。小さめの真珠のネックレスだった。黒いタートルネックのシャツによく映えていた。実はさっきから気になっていたのだ。
きっと理事長は喜んだでしょうね、贈ったものを身に着けてもらって。
ええ、パール・オン・パールだな、なんて、褒め過ぎよね。
私たちはくすくす笑った。
笑いながら、私は思った、出会ったその時から、別れる時がいつか来る。
今日、私は別れを見た。美しく、豊かな別れを。
「唇からナイフ」(1966年)より
女スパイ、モデスティ・ブレイズ(モニカ・ヴィッティ)