VANが社長の石津謙介センセイによる放漫経営で倒産したのは1978年4月だという。
その時のことはよく覚えている。当時僕らは田舎の男子高生で、学校には制服がなく、私服での通学だった。そしてほとんどの生徒たちのワードローブにVANは浸透していて、そのダメージは大きかった。
しばらくして、クラスメートからVANの処分セールがあるから行かないか、誘われた。小さなデパートの階段の踊り場に置かれたワゴンに、少し前まで定価で買い求めていた商品が無造作に山積みされ、投げ売りされている。うらぶれて物悲しい雰囲気が漂っていた。でもさ、ロゴが入ってなければいいんじゃない?僕らは顔を見合わせてうなづき、シャツやパンツをまとめ買いした。その時はお互いなんだかだと言い訳しながら帰ったが、結局、週6日の通学の着回しにはこれが恵みの雨となった。
(ウィキペディアのVANの項にも、このことは「4月、社員OB等で構成されたPX組合が、破産管財人の許可の下、在庫品の販売を継続する。」と載っていて、そういった経緯だったのか、と感慨深かった。)
時は流れて、現在の僕はというと、ブルックス・ブラザーズやトーマス・ピンクのクレリック・シャツや派手なストライプ・シャツを着たり、時々ラウンド・クレリック・シャツをオーダーしたり、とそれなりに素敵なシャツ生活を送っている。
「シャツとダンス」という、VANの倒産時、部長職だった男性が、その後起業してメーカーズシャツ鎌倉を設立するまでを描いた伝記本がある。
残念ながら僕はそこのシャツを買ったことがない。
理由は、(実際に試してみていただいてもいいのだが)たまにオンライン・ショップを覗いてクレリック・カラーやラウンド・カラー・シャツの、自分のサイズ、43-85もしくは43-87をチェックすると、見事なくらい全て品切れになっているからだ。
いわゆる、商売上で一番あってはならないとされる機会損失を繰り返し起こしているのだ。
売り切りで補充がないのか、欠品に気づいていないのか、そのサイズを重要な購買層とは思っていないのか。
まあ、どれでもいい。幸いにも僕は先に書いたように、このメーカーの先のステージへ、すでに行ってしまっているのだもの。