二年ほど前に角川新書から出版された「武田氏滅亡」という好著がある。
700ページ強の大冊なのだが、武勇の誉れ高かった武田氏が信玄公から三男勝頼へと代替わりしたのち衰退、滅亡に至るまでを時系列で淡々と記述していて、かえって飽きさせない。
長篠の合戦での大勝から七年後の天正10年(1582年)2月、織田信長は勢いの衰え著しい武田氏討伐に取り掛かる。
先陣として長男信忠が岐阜城を出てまもなく、浅間山が噴火する。
信濃・甲斐のひとびとにとって浅間山の噴火は天変地異の前触れとして古くから恐れられており、弱体化し、裏切りや逃亡が相次いでいた武田軍はさらに戦意を喪失したという。
そのうえ3月3日にはこともあろうに信忠が、人々の心の拠り所であり、勝頼の生母である諏訪姫(諏訪御料人)と縁深い(実家が代々神職を務めている)諏訪大社に火をかけ、全焼させてしまう。
そして3月11日、名門武田氏は滅亡した。
それから80日後の同年6月、織田信長と信忠は本能寺の変で横死する。
諏訪の神官は神罰が下ったのだと語ったそうだ。
先週、浅間山噴火のニュースを観て、少しだけ心配になった。