天和三年(1683年)に書かれた「政宗記」から抜粋編集した「政宗公御名語集」(昭和10年)という本がある。
その中には伊達政宗公の、もてなしの心についての言葉が記されている。
「仮初にも振舞候は、料理第一の事なり(かりそめにも人に振る舞いをするときは、料理こそ第一の物である)。
馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなすことである。」
続けて現代語訳して行く。
「昔は誰をもてなしに招待するにも、そのひとのつてを以って、嫌うものを聞き届けてからもてなしたので、非常に心安かったものだが、最近はそういった習慣も無くなってしまい、気遣いが一層多くなってしまった。」
「人をもてなす時は身分の上下によらず、馳走のために多くの道具を揃えるのは無用である。
さしたる物ではなくても、一、二種求め、それに何か品をつけ、目の前で料理するか、あるいは亭主自らが料理して盛ったなら、そのまま座敷に持って出すのがいい。これこそ一種の、御取り成しと申すものである。
これは何々と言うような珍物を数多く出すよりも、ずっと優っている。
そして食事の場を、涼やかで清潔にしていることが馳走なのだ。」
「それから、種々様々、百品千品取り揃えて一度に振る舞うよりも、なんということのない物、一種二種ずつでも折々にもてなすことの方が優っている。」
「友は馴れるほど親しくなるものだ、一度にもてなすなどというのは、仕方なくやることであり、その奥意には、そのひとをおざなりにしている気持ちがあるのだ。
これはあらゆることに当てはまる。
理のないところに力を入れて、むやみに我が理を言い立てるのは、結局はその者の無分別さ、臆病さが致すところなのである。」
いくどとなく戦場を駆け抜けた天下の勇者が到達した粋の極み、その重さに胸打たれる。
振り返ってみて、自分のもてなしは装置に凝ったりして、やや技巧的だという自覚がある。ただし、相手になにか見返りを求めるような無粋なことはまったくなく、相手のちょっとした笑顔や驚きの表情があれば、それで十分だと思っている。
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小田原城攻めに遅参するも、白装束姿で現れ難を逃れる
大学2年の娘から、気になる男の子がいるのだけれど、普段はいい雰囲気の割に、なんだか逃げ腰のところもあって、仲が一向に進展せずもどかしい、と打ち明けられた。
今も昔も、そういう男の子っているのよね、と私は自分の短大時代の思い出を話した。
アルバイト先で知り合った大学生の男の子はとても親切で、他愛のない世間話にもしっかり耳を傾けてくれた。
そのうち買い物や映画に一緒に行くようになったものの、そこから全然進まないの。
ヘンな例えだけれど、風に舞っているたんぽぽの綿毛をつかもうとしても、指の間をすうっとすり抜けて行くじゃない、あんな感覚よ。
そんなことが続いて、私は思ったの、ああ、私じゃ無理なんだ、と。
それで、私はクラスメートで一番可愛いコに彼を紹介した。
ところが、二カ月くらいたってからだと思う、そのコからクレームが来てね、どうも進展しない、私に気がないようだって。
そこで私はクラスメートで一番頭のいいコを紹介した。
けれども結果は同じだった。
彼は柔らかい殻の中にいるみたいよ。
彼女はため息交じりに話してくれた。
そうこうしているうちに私は短大を卒業して、もう彼と会うこともなくなった。
「じゃあ、お母さんはそのひとが今どうしているのか、知らないの?」
知ってるわよ。ほら、そこのソファに座っているわ。
娘の目が大きくなった。
「でもどうやって―」
ホントは教えたくないんだけど、あなたも困っているから話すとね、3年ほどたったころ、その男の子のところへ押し掛けたの。
サラリーマンになっていた彼は、やっぱり一人のままだった。
私が突然現れたことで十分驚いてた彼に、私は大声で言ってやった、
「あなた、そろそろ目を見開かないと、本当に大切なものを取り逃がしちゃうわよ!」
思えば私が自分を一番高く売った瞬間だったかもしれない。
そして、あれが私たちのマジックタイムだったのよ。