1940年代の終わりに映画界入りしたロック・ハドソンははじめアクション映画や西部劇でくすぶっていたが、たまたま出演したダグラス・サーク監督のメロドラマで火がつき、あっという間にドル箱スターとなった。56年には超大作「ジャイアンツ」の主役の一人に抜擢されている。
前回書いた「翼に賭ける命」(57年)はそんな時期の作品だ。
他の有名監督・プロデューサーからも引っ張りだこになる中、義理堅いことにハドソンは計8本、サーク作品に出演している。
「翼に賭ける命」の前年にサークと撮った「風と共に散る」も、忘れがたい佳品だった。
主演がハドソンとローレン・バコール、助演がロバート・スタックとドロシー・マローン。ややこしいのだが、「風と共に散る」からバコールをのぞいたキャストで翌年、「翼に賭ける命」が作られたと言っていい。「風と共に散る」でドロシー・マローンがまさかのアカデミー助演女優賞に輝き、ステータスが上がったからかもしれない。
物語だが、石油王の息子の二代目社長(スタック)とその幼なじみで今は会社の顧問(ハドソン)、上司ハドソンに惹かれながらも社長の猛チャージに負けてプロポーズを受け入れる秘書(バコール)、社長の妹でハドソンが振り向いてくれないことからあてつけに奔放な行動を繰り返すお嬢様(マローン)という、恋愛ベクトルとコンプレックスが入り組んだ苦しい四角関係が陰翳濃く描かれている。
ロバート・アルドリッチ監督の「ガン・ファイター」(1961年)は登場人物の恋愛ベクトルが複雑に入り組んだ、一風変わった西部劇だった。
正確に書くと、この映画は主演のカーク・ダグラスが自社ブライナ・プロで制作しており、ここでのアルドリッチは雇われ監督という立場に過ぎない。
ダグラスのライバル役にロック・ハドソンが決まり、ヒロイン役は旧知のローレン・バコールへダグラス自らオファーしたものの断られ、ドロシー・マローンが代役となった。
ダグラスの自伝「くず屋の息子」に書かれたこの経緯が正しければ、ハドソンとマローンがまた顔を合わせたのは偶然かもしれないが、長々書いてきたサークの2本と併せて観ると一層趣き深くなる。
「風と共に散る」(1956年)
オスカーを受賞したマローン。隣りは「炎の人ゴッホ」でゴーギャンを演じて助演男優賞を獲得したアンソニー・クインだ。
「翼に賭ける命」(57年)
また書斎仕舞いの話である。
ビデオとレコードは相当整理したが、蔵書の処分は全く手つかずだ。
そこへまた困惑するニュースが飛び込んできた。
本邦未訳だったウィリアム・フォークナーの選集「ポータブル・フォークナー」(1946年)が出版されるという。なぜ今なのだ?
よりによって、学生時代に古書店を巡り歩いてちまちま買い揃えた「フォークナー全集」(全27巻)から処分しようか、と考えていたこのタイミングで。
「ポータブル・フォークナー」は彼の膨大な作品から架空の地ミシシッピー州ヨクナパトーファを巡る短編等を抽出した高名な選集で、収録作は作品内の年代順に並べられ、1800年代から1960年代まで150年以上に渡る一つの長大な物語(サーガ)としても読めるのだと、これまでさまざまなフォークナー解説文で言及されていた。実際、洋書店で原書を手にとっては、自分程度の語学力では難しいなあ、と棚に戻したことも何度かある。
フォークナーと映画というと、脚本担当としてハワード・ホークス監督とタッグを組んだ「脱出」(1944年)、「三つ数えろ」(1946年)が有名だが、ダグラス・サーク監督が長編小説「標識塔」を白黒で映画化した「翼に賭ける命」(1957年)も、一度観たら忘れられない作品だ。
うらぶれたスタント飛行ショー一座と新聞記者の、短くも濃厚な数日間の物語。
危険な航空スタントとレースを縦糸に、パイロットとメカニック、新聞記者と、パイロットの妻との愛憎の四角関係を横糸にして編み上げた、一種異様なメロドラマだった。
左からパイロット(ロバート・スタック)、メカニック(ジャック・カーソン)、パイロットの妻(ドロシー・マローン)、新聞記者(ロック・ハドソン)。手前はパイロットの妻の子(パイロットとの子なのか、メカニックのとの子なのか、と周囲にからかわれているという設定)。
たとえば、オークションで1枚2000万ドル以上の高値がついたり、村上春樹のたいていの翻訳書のカバーに使われたりしているけれど、エドワード・ホッパーがこの日本で本当に有名なのかどうかはわからない。
なにせバブル時代にあれだけさまざまなものを買いあさったこの国に、ホッパーの絵は1枚もないのだそうだから。
僕がその名を知ったのは割と早く、1974、5年ころだった。
何度か書いているが、アイラ・レヴィンの推理小説「死の接吻」の中に、ヒロインが好きな画家として名前が挙げられていた。
インターネットがない時代に田舎の中学生がこんな時どうするかというと、図書館へ行き、百科事典で調べた。
あった。代表作「ナイトホークス(夜の散歩者)」の写真も添えられていた。
都会の中の孤独というものを僕はまだ知らなかったけれど、この絵にひどく胸打たれた。
そして自分もまた好きな画家としてホッパーの名を必ず挙げるようになった。
僕が知る限り、ホッパーの展覧会はこれまで1990年と2000年の二度しか開かれていない。
後者を福島県立美術館で観た。
Bunkamuraザ・ミュージアム発の大規模巡回展だったが、残念なことに代表作と言われるものはあまりなかった。
それでも、早朝、ひとり車で高速道を飛ばし、本物を初めて観た高揚は忘れられない。
今やすっかりやせ細ってしまったこの日本ではもう経験することがないのかと思うと、少し寂しく感じている。
当時の図録
書店で手に取って驚いた、好きな作家×好きな画家
好きな作家×「ナイトホークス」
気仙沼市気仙沼地域包括支援センター開設のお知らせ
平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
さてこのたび、令和4年10月1日付で気仙沼市気仙沼地域包括支援センターを開設し、業務を開始する運びとなりました。
今年度、本市では6か所目に当たる本地域包括支援センターが増設されることになり、当法人が階上・面瀬地域包括支援センターに続いて、運営業務を受託させていただくこととなりました。
地域の皆様のお役に立てるよう、職員一同精一杯努力して参りますので、ご支援ご指導を賜りますよう、お願い申し上げます。
令和4年10月吉日 特定非営利活動法人なごみ
https://www.kesennuma.miyagi.jp/sec/s002/020/010/010/104/041001/2022-10-01_koho_12-13.pdf