ロバート・ミッチャムは一種異様なハンサムの主演級スターであるにもかかわらず、悪役を演じることもいとわなかった。代表的なものが、弁護士(グレゴリー・ペック)にお礼参りに来る性犯罪者役の「恐怖の岬」(1962年)や、邪教の伝道師を演じた「狩人の夜」(1955年)だ。
僕の中では最高傑作になっている「見知らぬ人でなく」(1955年)も、オールドミスの看護師をだまして結婚し、学費を負担させる医学生の役だった。
「街中の拳銃に狙われる男」(1955年)という、一見どうでもいい、誰も知らない白黒の西部劇がある。
これが実はどうでもよくなくて、そのミッチャムの持つ二面性がよく発揮された異色の作品だった。
ヤクザ者一家に支配された小さな町の住民たちが、ちょうど町にやってきていた巡回保安官(ミッチャム)に治安回復を依頼する。
初めは彼の手腕に感心していた住民だったが、やがて強権的な手法でトラブルを増やして行く彼をうとましく感じ始める。
彼が町にとどまる本当の理由は、幼い娘を連れて自分のもとを去った妻を探し当ててのことだったが、妻から悲しい事実を突きつけられ、胸が張り裂けてしまった彼は敵方のサルーンに単身で乗り込み、店へ火をかけたうえに店主を血祭りにする―。
スリーピング・アイと呼ばれた半開きの目に能面のような無表情で何を考えているのか、どんな思いがその下に去来しているのか、ミッチャムの演技はいつも考えさせられる。
この映画はさらに二つ、見どころがある。
先日紹介した脇役俳優のクロード・エイキンスがチンピラのリーダー格で出演しているのだ(クレジットなし)。
また、サルーンに出演するその他大勢の踊り子役でアンジー・ディキンソンが出ている(同じくクレジットなし)。二人が揃う「リオ・ブラボー」より4年前、「殺人者たち」より9年前だ。
もう一つは、今回ユー・チューブで観直していて気がついたのだが、この映画のセットは以前紹介した「ワーロック」(1959年)と同じものだった。
メインストリートがゆるやかな坂道になっていて、なんだか既視感があるなと思って見比べたところ、リチャード・ウイドマークとヘンリー・フォンダ主演作だけあり(4年後の)「ワーロック」ではかなりメンテナンスが施されているものの、基本的な建物の並びはそのままだ。
クロード・エイキンスの最期がすごい(37分30秒)
カルト映画の極北「狩人の夜」より。黒づくめに白馬。右手にLOVE(愛)、左手にHATE(憎悪)の入れ墨を使っての説法。
「見知らぬ人でなく」より。中央フランク・シナトラ、左端リー・マーヴィン(!)、医学部のクラスメイト。
おまけ。「殺人者たち」より、左からドン・シーゲル監督、ディキンソン、クロード・エイキンス。
なんだかすごくいい写真だ。