ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

ステンカラーコート

2024年12月13日 | 日記

 10代からプレッピー、アイビーボーイを自任していた僕だが、大男な上に老け顔だったため、自分にはピーコートやダッフルコートのような可愛いアイテムは似合わない、と決めつけて、とうとう着なかった。
その代わり、ベージュ(カーキ)やネイビーブルーのコットン地のステンカラーコートは大のお気に入りで、今なお秋になるとよく着る。
ところが今年は暑い夏がやっと終わるとすぐ、冬が来てしまった。
まだブルックス・ブラザーズの素敵なハーフコートを一回と、ロングコートを一回、着ただけだというのに。
今日はこの街でも雪がちらちら降り、もう厚手のオーバーコートでないと、景色に不釣り合いだ。
地球温暖化の影響で、来年以降もこんなカンジだろう。
こうして僕がステンカラーコートを楽しく着る機会がなくなって行くのは、残念だな。

 ステンカラーコートは和製英語。
諸説あるが、スコットランドの地名が由来のバルマカーンコートが正式名称と言われている。バルカラーコートはその略称だ。
(ここはさほどこだわらなくてもいい、と個人的には思っている。)

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「観察記録」

2024年12月09日 | 日記

 

 学生時代のアルバイトとして廃刊寸前のロック雑誌にレコードレビューを書いて以来、駄文を書き散らかしてきた。
思い返してみると、片田舎に住んでいた十代の頃から、一番書きたかった題材はクリフォード・オデッツ(劇作家)だった。
彼の戯曲と映画化作品を全部観て読んで、評論を書きたかった。
僕はオデッツの作品に魅了されていた。
結果として、「悪徳」や「喝采」、「成功の甘き香り」など、一部ではあるけれど実際に書いて、とても満足している。
 これから書いてみたいのは、人物スケッチのようなもの。
トルーマン・カポーティの「観察記録」のような。
「観察記録」は、写真家リチャード・アヴェドンが撮影した有名人のポートレートにカポーティが珠玉の文章を添えた、アヴェドン初の写真集だ。
カポーティの文章はのちに自著「犬は吠える」に収録され、現在日本国内では「ローカル・カラー/観察記録」と「詩神の声聞こゆ」に二分冊されている(上の写真)。

できるかな?無理かな?

 

 

ピカソ

 

ボギー

 

マリリン

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明晰夢

2024年12月08日 | 日記

 朝早く自宅を出て、100キロ離れた県都での長い打ち合わせを終えた僕は疲れもあり、ケヤキ並木を見下ろすビルの二階にある古い喫茶店の片隅でうとうとしていた。
夢を見た。
僕は雪深い山の中を延々歩いている。送電線が正常な状態であるか、確認するための作業らしい。凍え死にそうだ。
何かの説明会に従妹と出席しているのだが、彼女が本当にそうなのか、分からなくなっている。
朝方まだ暗い中、僕は砂浜に座ってサーフィンを見ている。この静けさは、映画「渚にて」に描かれた世界の終わりによく似ている。                                           「ムーン・リバー」を歌い終えたヘンリー・マンシーニの娘へ立ち上がって拍手を送っている。
何だろう、この一連の夢は。ゾートロープ、走馬灯か?
いや、まだ僕には死ぬ兆候も理由もない。
では明晰夢(いま夢を見ていると自覚しながら見る夢。夢だと自覚しながら、その内容を自由自在にコントロールできる者も居ると言われている)か?
でも、この夢を操作して僕に何のメリットがある?
頭を上げると、向かいの席にアーモンド型の光る眼があった。
よくお休みのようだったので、声を掛けずにいました。
パール、きみか、テスト・パターンを送りつけたのは。

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ア・クリスマス・ギフト・フォー・ユー(再掲)

2024年12月06日 | favorite songs

 1963年、「ビー・マイ・ベイビー」などの大ヒットにより、弱冠23歳にして売れっ子プロデューサーにのし上がったフィル・スペクターは、当時としては非常に斬新なアイディアを実行に移す。

自分が抱える人気アーティスト4組によるクリスマスソングのカバー集「ア・クリスマス・ギフト・フォー・ユー・フロム・フィル・スペクター」である。

「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれた彼独特の録音技法を用い、クリスマスソングの名曲へ「ビー・マイ・ベイビー」、「ダ・ドゥ・ロン・ロン」、「キッスでダウン」など4組のヒット曲を想起させる大胆なアレンジを施した一種のコンセプト・アルバムで、誰もがこの企画は大ヒット間違いなしと見ていた。

 約8か月という異例の製作期間を費やし、ヒットシングルの収益のほとんどを製作費としてつぎ込んだこのアルバムは63年11月にリリースされたが、大コケしてしまう。

奇しくも発売日と重なったケネディ大統領暗殺事件とその後の自粛ムードに原因を求める音楽評論家は多いが、本当のところはわからない。

ともあれ、ロケットのように急上昇していたスペクターのキャリアはこれを境に減速し、ビートルズなどイギリス勢のアメリカ侵攻によってとどめを刺されることになる。

 けれども、このクリスマス・アルバムは長い時間を経て名盤中の名盤との評価を得て、60年以上たった今なお、世界中で愛聴されている。

今年のクリスマスも、きっと何万人というひとがこのアルバムと出会うことだろう。

1曲目の、ダーレン・ラブがソウルフルに歌う「ホワイト・クリスマス」は、いつ聴いても飛び切りのワクワク感をもたらしてくれる。

 

ダーレン・ラブはその後、大ヒットした映画「リーサル・ウエポン」シリーズでミセス・マータフを演じている。

第一作目は特に、いつ歌い出すかとハラハラしたものだ。

 

マータフ刑事(ダニー・グローバー)と。

 

 

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「エミリーはプレイ・ガール」

2024年12月02日 | favorite songs

 

 サロン・ミュージックの「シー・エミリー・プレイ」(1984年)はよく聴いた。
チロリアンやエスニックな衣装がとてもチャーミングだった男女デュオ。
この曲が収録されたセカンドアルバム「ラ・パロマ・ショウ」は高橋幸宏との共同プロデュースだった。
オリジナルはピンク・フロイドの初期シングル曲「エミリーはプレイ・ガール」(1967年)で、デビッド・ボウイも全曲カバーアルバム「ピンナップス」(1973年)で取り上げている。
歌詞の書き出しはさすが天才シド・バレット、見事な筆致だ。

 

Emily tries but misunderstands
She’s often inclined to borrow somebody’s dreams ‘til tomorrow

エミリーはトライするけど取り違えの繰り返し
よく他人の夢を明日まで借りたがる

There is no other day
Let’s try it another way
You’ll lose your mind and play
Free games for May
See Emily play

でも別の日なんてないわけだから
違うやり方でトライしようよ
正気を失うかもしれないけど
5月のフリーゲームを楽しんで
ほらエミリーのさまを見てよ

 

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