【公式】『万引き家族』予告
物置とタイヤの冬支度後、今週終了の『万引き家族』(是枝裕和監督)を観に行く。120分間、幸せとは何か、家族とは何か、生きる糧とは何かを考える。スクリーンの独居老人、年金詐欺、非正規採用、幼児虐待、DV、風俗は、21世紀のこの国の貧困の姿。昔の経済的貧困は脱出可能な救いあっても、自己責任でガンジガラメにされている今は難しい。そうした現実を見ないよう、見せないことへの痛烈で優しい批評精神が響く。
家族は笑いながら一緒に食べる/コロッケ、ラムネ、ゆでトウキビ、麩、カップラーメン、白菜と麩ばかりのすき焼き、ソーメン。家族は一緒に行動する/海水浴、花火、そして万引き。家族は相手に通じる言葉で話し、子どもを「かまう」。この疑似家族のキーワードが『絆』。3.11以降爆発的に消費され今は胡散臭さ漂う言葉を、社会から見捨てられた家族が真面目に使う皮肉。犯罪を「誰かが捨てたものを拾っただけ」と言う彼らが、実は家族から捨てられ、漂い着いた先で祖母・父・母・子・孫を拾ってきて作ろうとしたのが家族の形。
昨日、「品のある貧乏」を書いたので、貧乏とは何か、価値観とは何かを違う角度から考えた。そして、この映画が、抜群のセンスを持つ俳優と演出で撮られているから、「貧困」の向こう側にある言葉に出来ない価値を感じさせてくれると思った。
劇場を出ると星空。久しぶりに、ほか弁を買う。ママヨさんは鮭弁、波風氏はイカ明太。この「20世紀の貧困」を象徴するホカ弁で、この品目以外をそれぞれ食べたことが無い。昨日は、文化的かつ経済的贅沢(映画:60歳以上割引で1.100円×2人+シャケ弁450円+イカ明太490円)な文化の日だった。
映画の家族は弁当を食べていない。カップ麺にコロッケを浸して「美味い美味い」と。贅沢なんだろうなあ、弁当は 最近、「実は」という感じで、家族との問題を聞く機会がいくつかあった。「どんな家庭も苦しんでいるけれどただ話をしないだけ」なのだが、波風家も同じ。