波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

『モノ語り』を語ったりする

2024年11月03日 | 日記・エッセイ・コラム

遅い朝食をとり、「この頃、ブログを書いてないなあ」とスマホを見る、菓子の空き箱、使わなくなった裁縫箱が載っていた。書くまで時間がかかり更新すると読み直さないのが波風氏。終わった満足感と、自分の文章を読むのは何だか気恥ずかしい。面白いなあは滅多に無く、参ったなあこんなこと書いているなのだ。
さて、この間のブログに載せた箱物はどれも使い終わってから新しい使命を与えられて喜んでいるよう。そう波風氏は自己満足に浸る。使い切るというか使い倒す満足感が気持ちいい。

過度な消費の軽薄な暮らしの中で、正常なモノ感覚を一時だが取り戻したりする。昔の人が、手の平大の使い込んだ布を寄せ集めた(今でいうパッチワーク)ボロの着物やボロの布団、節約精神以上に生きる時間というか生きる必死さが紡ぎ込まれた異次元のモノに仰天する。まだ本物は見たことないが、画像だけでも脳天直撃のカメハメ波的衝撃。(次回に続く と思う)


画像は小松菜の後に種を蒔いたら大きくなってくれた秋大根。12本取れた。ちびた奴を福神漬けにした。レンコン茹で銀杏切りにした大根と茄子に醤油の調味料を加えた。来週食べられる。貰った秋刀魚も、大根おろしも旨かった こんな緩やかな世界にこんなに可笑しく生きている、『駄目も目である』(木山捷平著:ちくま文庫)を読みママヨさんとくすくす笑う。耳かきが必要で街にでかけその度に友だちと酒を飲み泊まったりもする。出かけると言うと、奥さんが「耳かきですか」と返す5年間(「耳かき抄」)。飄々とした話は好きだなあ。

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